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overflow 1

 高校時代から彼を知っている。だが、泣くのを見たのは初めてだ。  涙なら、何度か見たことはあった。階段の角に足の小指をぶつけたとか、鼻を殴られてつーんと来た、とか。どちらにしてもそれらは生理的なものであって、悲しいと […]

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avarice

 残酷に空気を切り裂く鋭いリフ。  腹に響く重低音のリズム。  内臓を抉るようなざらついたギター。  太く豊かな声、不意に伸びる高音、耳元で囁く低音、しゃがれた叫び。  音の洪水。音の暴力。音の快楽。  苛々する。 […]

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くちにだせないあいをささやく

 篠原が部屋に帰ると、そこには既に客がいた。  玄関に脱いだままの状態で転がされた黒と白のスニーカーで客の正体が知れる。自分のビジネスシューズの上に転がるそれを見て、篠原は苦笑した。 「竜矢?」  名前を呼びながらド […]

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うそとほんとう

 兄ちゃんがゲイだと知った時は、嘘だと思った。あの兄ちゃんが、まさか。  そして次に、兄ちゃんを恨んだ。何で俺の結婚が決まってから言うんだ? せめて彼女が婚姻届に判を押してからにしてくれ。  三度目には、失神しそうに […]

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四百四病の外 5

そのまま机の上で犯されたとでも言えば、まったくもって成人指定ビデオの世界だ。しかし、そうはならず、聖なる職場は守られた。——とも言えないが、取り敢えずは事なきを得た。ただ、それは決して梨本が有言不実行な男だと言うこと […]

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四百四病の外 4

先延ばしにすれば問題が消えてなくなるのなら、息を潜めていればいい。そうはいかないから対策を考え、出来うる限りの速さで実行するのだ。損害は最小限に、利益は最大限にするために。  昨日の営業部会での部長の話が何故だか一日 […]

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四百四病の外 3

 グレーの絨毯を踏みしめる足が思わず止まる。柔らかい化繊は靴音をすべて吸い込む。その善し悪しは状況で違う気がするが、この場合門間の心臓にはよくなかった。  白とグレーの無機質な空間に、梨本の長身が立っていた。腕にかけ […]

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四百四病の外 2

「あーもう急に横殴りになって……勘弁してくれ」  同じ部の妹尾が門間の後ろを通りながら大きな声でそう言って、犬のように頭を振る。同僚の跳ね飛ばした雨粒が顔に飛び、門間は椅子をずらしてそれを避けようと試みた。 「水飛び […]

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四百四病の外 1

「好きだ」  衝撃的な台詞をクソ真面目な顔で吐き出すと、台詞を発した本人は表情を変えずに背中を向けて歩み去った。去年の今頃、成り行きで門間が選んでやったマフラー。梨本の背中で翻るそのこげ茶色が、網膜に焼きついた。   […]

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追いかける

 勘弁して欲しい。門間は目の前の酔っ払いを眺めてつくづくそう思った。絵に描いたような汚い路地裏。青い蓋のポリバケツがありそうな、飲食店の裏手だ。一本入っただけなのに、表通りと違って人通りなどまるでない。  よく見知っ […]