仕入屋錠前屋とハロウィン

 ゾンビ、魔女、ミイラ、吸血鬼、幽霊、狼男──
 哲は周囲を見回した。様々な仮装をした客がひしめいている。その間を縫って食事や飲み物を出しているのは全員黒いスーツにサングラスの男たちで、この格好が店員の目印らしかった。
 今日、ティアラは特別に昼間から店を開けていた。系列店から料理人を呼んでフードメニューやデザートも出している。ハロウィンは明日だが、明日は明日で夜のイベントがあり、今日は家族や友人知人向けのパーティーなのだそうだ。
 ティアラはゲイバーだから、実は女が混じっていたりするダンサーを別にすると、普段は女装の男しかない。今日の彼女ら──生物学的には彼ら──は、スーツが仮装だということだった。
 哲がここにいるのは、耀司の家族枠で参加している利香にせがまれたからだ。そうでなければどうしてこんな格好で……とつい渋面を作った哲に、元凶であるところの耀司が近づいてきた。
 ちなみに、耀司は最近勤務先が変わってティアラの従業員ではなくなっているので、スーツではなく、自ら用意した魔女の扮装をしている。
「哲、食べてる?」
「食った」
「ほんと? さっき利香が持ってきたアレは? カボチャのケーキ」
「食うわけねえだろ。そのへんにいたエロ悪魔にやった。あ、そこの壁際の」
 脚の付け根ぎりぎりまでしか丈がないミニドレスの女を指すと、耀司はおかしそうに笑った。
「利香には食べたって言いなよね」
「そりゃお前──つーか、何でお前の仮装はそんな中途半端なんだよ」
 耀司は魔女だが、髪は本来の短髪のままだし、化粧もしていなかった。仕事とはいえ女装し慣れているやつにしては完成度が低い。それに、耀司に着替えさせられた哲も同様だ。
「これから本気でコスプレしてるのが出てくるから」
「ダンサーとか?」
「そうそう。だから、俺たち……って俺はもう従業員じゃないけど、とにかくその他大勢が目立つ必要ないからね」
「ふーん」
「ああ、そろそろ始まるよ」
 耀司が言うと同時に店内の照明が落ちて、赤いライトが会場を照らす。海外のロック──結構マニアックなバンドの、それこそホラーショーみたいなタイトルの曲だ──が大音量でかかった途端、舞台の袖からわらわらとゾンビみたいなのが出てきて仰天した。
 本気どころか、本物ではないかと思わせる出来だ。ステージに近いところにいた子供がギャーッと声を上げ、大人の悲鳴もいくつか被さる。
 ゾンビ、魔女、ミイラ、吸血鬼、幽霊、狼男──さっきと同じことを頭の中で繰り返す。
 客にも同じ種類の仮装をしているやつらがたくさんいる。しかし、ステージの袖からどんどん出てくるやつらは完成度が桁違いだ。ステージに残っているのもいれば、フロアにおりてくるのもいる。
 泣いている子供の頭を撫でてもっと泣かれているミイラがいる。吸血鬼が数名いるが、そのうちひとりが女の子を抱え上げてこちらに向かって歩いてきた。
「……マジかよ」
「いやあ、いい出来だよねえ」
 耀司がにっと笑い、薄茶の目をした吸血鬼に抱かれた小さな魔女の利香が、得意満面の笑顔で哲に手を振った。

 

「どうなってんだ……」
「こら、やめろ」
 長い犬歯を引っ張ってみようと伸ばした手を引っ叩かれ、哲は小さく唸り声を上げた。
「なあ、それって入れ歯?」
「お前ね。俺の歯は全部自前だよ。これはかぶせてあるんだ」
 秋野はファンデーションを塗られているせいで顔色が悪かった。薄い色の目は自前。髪は普段より撫でつけているものの、きっちりオールバックではないからまあそう違わない。マントでも纏っていれば笑えただろうに、着ているのは普通の燕尾服だった。あまり誇張されていないだけに、リアリティがあって却って不気味だ。
「……それよりお前のそれは?」
 壁際の椅子にどっかり腰を下ろしている哲を見下ろし、秋野は口元を微かに緩めた。
「あれじゃねえか、町娘」
「時代劇か」
「だってよ、どう見てもバケモンの類じゃねえだろ」
 哲が来ているのは臙脂色のドレスだった。しかし、化粧もしていなければ髪も素のまま。女装とは言い難い。
「ちなみに下もそのまんまだぜ」
 わっさりと重なったスカートを持ち上げてデニムとスニーカーを見せると、秋野はげらげら笑った。
「何なんだ、それは」
「知らねえ。耀司に呼ばれて来たんだけど、普通の格好じゃダメだから着ろって迫られてこの様だ」
「言われたからっておとなしく着たのか」
「それが、着たらアンティークの鍵付き宝箱解錠させてやるって言われてよ」
「あいつも大分お前の扱いがわかってきたんじゃないか」
「まったく、参るよな。お陰様であっさり釣られたぜ」
 ちなみに解錠は後日別の場所に行くことになっている。さすがの哲もこのまま仕事をするほど無神経ではない。世間様にお見せできるような格好ではないという自覚はある。
「スカートなんて死んでも穿かねえ! って暴れそうなのにな」
「別に……女物の下着穿けとか言われたらさすがに逃げるけどなあ」
 ステージの上ではゾンビと狼男がダンスを披露していた。ゾンビの六人組はやたら動きに切れがあり、特にほとんど髪がないやつがすごい身体能力だった。あいつと喧嘩してえなあと呟いたら、秋野に素早く却下された。
「利香がお前に会いたがってたからな」
「何もスカート穿いて会う必要なくねえか? まったく、どうせ耀司が面白いってだけだろ」
 ステージの近くに立っている色っぽい女が秋野に視線を送って寄越した。黒いレースでできたドレス。何の仮装でもなさそうだが、敢えて言うなら蜘蛛女、というところか。
 秋野は壁に背中を預けたまま女に微笑み、哲を見た。
 いつもと違う顔色も、唇の隙間から覗く尖った歯も気色悪い。どうせなら包帯だらけのミイラにでも仮装すれば笑ってやったのに。
「呼んでるぞ、あそこの色っぽい姉ちゃんが」
「行ってほしいのか」
「なんか気持ち悪ぃからどっか行け」
 壁から背を起こし、秋野は犬歯を見せてにやりと笑った。
「ニンニクを投げつけられる前に退散するよ」
「さっさと行けロクデナシ伯爵」
 ドレスの裾から脚を出して蹴り上げたが、あっさり躱された。こちらを向いて優雅なお辞儀をした吸血鬼は、嫌味なくらい男前な笑顔を哲に投げつけて、蜘蛛女のところへ歩き去った。

 

 

「ドアには鍵をかけろよ」
「勝手に入ってきて何言ってやがる。何だこれ」
「土産」
 背後のドアが開き、目の前にオレンジ色の袋がぶら下がる。顔を仰向けたら秋野の普段どおりの顔がこちらを見下ろしていた。
「吸血鬼って招かれないと入れないんじゃねえの」
「心の中で招かれた」
「頭おかしいな、相変わらず。甘いもんはいらねえぞ」
「酒だよ。耀司から」
「ああ、そう。どうも」
 手を出したが袋はすいと遠ざかり、同時に襟首を掴まれ引っ張られた。転がった哲の上にかぶさってくる秋野の口元に当然ながら牙はない。食いつかれても首に牙の痕なんかつかないが、その代わりどこかが抉られ穴が開いたみたいに腹の底がスカスカする。
「噛むんじゃねえ、首がちぎれる」
「そんなに強く噛んでない」
 秋野は哲の髪を乱暴に掴み、無理矢理上げさせた顎をべろりと舐めた。オレンジ色のビニール袋が秋野の身体に触れて乾いた音を立てる。
「楽しかったか?」
「何が」
「ハロウィンパーティー」
「あー……スカートが邪魔くせえもんだっつーことはよく分かったけど、あとは別に」
 飲みに行くのは嫌いじゃないが、大勢集まる場所は面倒くさい。耀司と利香がいるから足を運んだものの、二人は哲の最優先事項では決してない。
「お前は? 蜘蛛女はどうだったんだよ」
「誰?」
 秋野は珍しくぽかんとした顔をして哲の顔を覗き込み、数秒考えて「ああ」と言った。
「俺が会場で話してた黒いドレスの子か?」
「そう、なんかレースが蜘蛛の巣みてえな柄の」
「化け物の本命は色っぽいお姉ちゃんじゃなくて町娘って決まってる」
「はあ?」
「だから耀司はお前にあれを着せたんだろ」
 ハロウィンが何なのか、本来はどういうものなのか哲はよく知らない。化け物たちが群れをなして歩くのだろうか。それは百鬼夜行というのだったか。
 ふと、秋野より自分のほうが化け物みたいなものかもしれないという考えが頭を過った。吸血鬼の衣裳を身に着けたら本物みたいに不気味に見えた。しかし、その実秋野というひとはどこまでも人間らしい。
「──てめえにバケモンの気持ちはわかんねえんじゃねえの」
「お前にだってわからんだろう」
 お前よりはわかる、と思ったが言わなかった。秋野はちょっと眉を上げ、何か訊ねたそうにしたものの、結局何も言わないことにしたようだった。
 長い指がシャツのボタンを外し、Tシャツを捲って腹筋から肋骨を撫で上げる。どう考えたって黒いレースを脱がすほうがいいだろうに、やっぱりこいつの頭はどうかしている。
「退け」
 退かないだろうと思いながらもとりあえず言ってみる。案の定、秋野は退けるどころか易々と哲を組み敷いた。
 耳元で何か囁く男のうなじに手をかけ引き寄せ、首筋に勢いよくかぶりついた。低い声の囁きは紛うことなき人間の言葉だけれど、本当の意味では理解できない。いつか、きちんと腹に落ちる日が来るのだろうか。
「ああ、ドレスのうちに脱がせておくんだったな」
「死ね、くそったれ」
 秋野はまるでカボチャのジャックみたいににんまり笑い、哲の唇に噛みついた。

 

| 本編完結後、仕入屋錠前屋 a sequel のどこかの時点の二人 |