untitled – TBD 9

「腹減った」
「なんでほとんど食い終わってるタイミングで言うわけ? サクラ」
 相原は目尻に皺を寄せて笑う。若ハゲとか若白髪とよく言うが、皺は何て言うんだろうなと考えた。顔中なわけじゃなくて、笑った時の目尻だけ。
 外回りの最中たまたま相原と会ったから、一緒に昼飯を食いに定食屋に入った。とは言え、既に昼休みも終わって二時近いから、店内に客はまばらだ。
「いや、なんか腹が減りすぎて食ってんだか食ってないんだか分かんねえの」
「お前よく食うのに何でそんな痩せてんだろうなあ」
「親父似でさあ、昔からいくら食っても脂肪もつかないけど筋肉もつかねえんだよなあ」
「土屋と大違いだな」
 土屋は桜澤と違って、放っておいたらすぐに食うのを忘れる。そのくせ鶏ガラみたいに痩せていたりはせず、ちゃんと筋肉がついているから背丈の分だけ重量はある。あのでかい身体をごく僅かなエネルギーでどうやって動かしているのかは、同期の中でもいつも話題になるし、諸説ある。今のところ最有力は、久保の唱える「ニコチンが燃料」説。
「土屋って言えば」
 相原はチキン南蛮定食の付け合せの野菜を口に運びながら目を上げた。
「この間サクラが酔っ払ってるの見て、心配してたぞ」
「心配だぁ? 何で俺があいつに心配されんの」
「噛みつく以外にもなんかやらかしてんじゃないかって」
 最後のカツの切れ端を食いかけて丼を置き、黙り込んだ桜澤を見て、相原はまた穏やかに笑った。
「いや、何もやらかしてねえから安心しろって。江田にも訊いてたけど、江田も先月玄関で靴に躓いてすっ転んだくらいだって言ってたし」
 暫くカツを眺めていた桜澤は、結局それを口に放り込んで咀嚼しながら相原に目を向けた。
「相原は、なんで江田と仲いいの?」
「何でって? ていうか、土屋と江田のほうが仲いいんじゃねえ? 付き合い長いし」
「でもあいつら普段つるんでないよな、全然」
「ああ、確かに……仲いいっていうか、何かとのときに頼るっていうか、信用してるって感じかな。長い時間二人きりでいらんねえみたいよ。江田が言うには、お互いだけだといちいちイラっとするって」
「嫌ヨ嫌ヨもスキのうちって?」
「俺も言った、同じこと。そうじゃなくてほんとにイライラすんだってさ。あれは嘘じゃねえよ多分」
 おかしそうに笑って箸を置き、相原は煙草に火を点けた。
「じゃあやっぱり相原じゃん。江田と一番一緒にいんの」
「そんな不思議か?」
 目を細めて煙を吐き出す相原は、程よく相手に気を遣うし、気分の浮き沈みが少なくて色んな意味でバランスがいい。対して江田はきつくて容赦がなく、皮肉屋だ。とはいえ、親しくない人間への対応は、土屋よりはずっと柔らかいが。
 そのあたりを説明すると、相原は銜え煙草で考え込み、長くなった灰が落ちそうになってからようやく穂先を払って口を開いた。
「多分、一緒にいると楽なんだよ」
「江田が?」
「いや、俺が」
 意外な台詞に湯呑みを傾けたまま思わず固まる。
「あいつ、腹ん中が見えねえんだもん」
「……それ普通、楽って言わないんじゃねえか?」
「いや、俺さ、相手が何考えてるか分かっちゃうと、応えてやらなきゃいかんとか思って無駄に頑張るタイプだから。そもそも分かんなかったら汲んでやる必要もねえし、口に出されたことにだけ対応すればいいから、それが楽で」
「へえ……」
 人間関係って色々だなあと思って茶を啜り、桜澤も煙草を出して銜えた。
「サクラは何で?」
「何が?」
「何で土屋と仲いいんだよっていうか、いつも一緒にいんの?」
「いつもじゃねえよ」
「でも土屋はいっつもサクラサクラ言ってるけど」
「いや、言ってねえだろ」
 相原が口を開きかけたところで、相原の携帯に着信があった。ぼんやりしていたら指の上に灰が散って、桜澤は思わず「あっち!」と声を上げた。
「今昼飯……え? うん。ああ、それなあ……いや、いいや。後でデータ見てもっぺん計算かけてみっから。うん——」
 暫く話して電話を切り、相原はにやにやしながら桜澤を見て僅かに首を傾けた。
「土屋だった」
「あ、そう」
「サクラもそこにいんのかって」
「——サクラサクラ言ってんなあ」
 桜澤は輪にした煙を顔の前にぷかりと吐いた。