untitled – TBD 32

 江田は桜澤のことが好きだ。
 とは言っても別にそういうアレではない。アレってなんだという話だが、要するにこれっぽっちも疚しくも色っぽくも甘酸っぱくもなくて、同期として、そして友達として好きだという話だ。
 何故胸の内でそんな言い訳めいたことを考えているかというと、ついさっき自分が返した
「俺はお前のこと好きだよ」
 という台詞について万が一桜澤が誤解をしたならば、このように明確に説明せねばならぬと思ったからだった。幸いにして桜澤は誤解した様子もなく、「ありがとなー、俺も江田好きだぜー」と間延びした口調で返して寄越したが。
 普通なら、野郎にそんな気遣いをすることも、必要を感じることもない。相手だっていくら江田が好きだと口にしたところで、誤解なんかするわけがないし、桜澤だって勿論そうだ。だが、桜澤の話を聞いた今は少しばかり事情が異なる。
 桜澤の話を要約するとこうだ。
 桜澤に恋愛感情を抱いていない友人と何度か寝た。理由はよく分からないが相手は関係を続けたいと思っている。桜澤自身は積極的に続けたいとは思っていないが、当たり前の好意はあるし、全力で拒否したいほど嫌というわけでもなく、どうしたもんかそれなりに悩んでいる。
 どうやらまずは小雪に相談したらしく、小雪から江田に話せと言われたらしい。そうは言っても桜澤の方は本気で江田に相談するつもりはなく、はずみで口から出てしまったという感じだった。
 桜澤は当然のことながらぼかしていたが、その話における相手が誰か、江田には多分、分かってしまった。マーブル模様の粘土をこねくり回していたら突然それがひとつにまとまり、ぽーんと違う色の何かが飛び出して来た、そんな具合に突然閃いたのだ。
 正に青天の霹靂。いくら何でもあいつがそんな暴挙に及んでいたとは、さすがに想像もしていなかった。
「ありがとなー、俺も江田好きだぜー」
 桜澤はそう言った後、ジョッキの底に僅かに残っていたビールを飲み干した。
「俺角ハイにすっかな、次。江田は?」
「あ、俺も」
「江田はハイボールも好きだよな」
「ハイボールも、って別にお前と同列じゃねえし。あ、すみません、角ハイふたつ」
 カウンターの中の店員に告げて煙草を銜え、江田は桜澤の横顔に改めて目をやった。
「で、話戻すけど。俺はサクラのこと好きだけど、好きだからって、やりてえとか思わねえよ」
「それ以前の問題じゃねえか」
 桜澤は若干とろんとした目を寄越してへらっと笑った。
「俺ら男同士だぜ」
「いや、だからそれは置いといて。どっちかが女だとしてな?」
「……うん」
 新しいジョッキが来て、カウンターの向こうの店員が遠くなるのを待って江田は口を開いた。
「例えばサクラが女子だったとして」
「何で俺? 和子ちゃんじゃ駄目なわけ? 身長ちょっとしか変わんねえし!」
「身長関係ねえだろ、そもそも。例えだっつーのに」
 むうと唸った桜澤は渋々ながら頷き「それで?」と言った。
「同期で、仲良くて、俺は女子サクラを友達として今と同じに好きだったとして? それだけならやったりしねえよ。まあ、酔った弾みで一遍だけ、とかならあり得なくはないと思うけど、二度目三度目って続けるには、多少なりとも気持ちがねえとさあ」
「……」
「だって、面倒なだけだろ、そんなの」
 面倒、というキーワードに桜澤が眉間を寄せたから、やっぱり相手はあいつか、と確信した。
「後腐れない相手と遊びたいなら、方法なんかいくらでもあんだろ。なんで仲良くしてる友達とわざわざ複雑な関係になる必要があんだよ。その、サクラの友達って子が何て言ってっか知らねえけどさあ」
 桜澤は江田が吐いた煙を目で追った。江田から目を逸らすように。
「そんな面倒くせえ状態に望んで陥ってんだぜ? それはさ──」
 いらっしゃいませえ、と元気のいい声がして、店のドアが開閉する気配がする。新規三名様ご案内でーす。背後を通り過ぎる女ばかりの客を肩越しに一瞥して立て直す時間をやってから、江田は桜澤に目を戻した。
「本人が気づいてねえだけで、お前への気持ちってやつがあるんだよ」
 桜澤は頬杖をついてハイボールのジョッキを見つめていた。肉の薄い輪郭は、顔だけではない。桜澤は手首も首も腰も細くて──男の骨格の範疇でだが──華奢で一見脆く見える。だが、内面は全然違うと同期はみんな知っている。
「もしその子が自覚してないだけでお前のこと、恋愛って意味で好きだったとしたら、お前はどうすんの?」
 江田が訊くと、桜澤は煙草を取り出し、手の中で暫く弄んでからようやく火を点け、煙を吐いた。
「それはねえだろうな」
 桜澤は話題に似つかわしくない低く厳しい声で投げ出すように言った後、いつも通りの口ぶりで続けた。
「まあ、もしそんなことになったら、そん時考えるけど」
「そうか」
 まったく、と内心溜息を吐き、江田はジョッキに手を伸ばす。だからあれだけサクラ離れしろっつったのに。しかも、心配の斜め上を行きやがって、あの馬鹿が。
 この場にいない「その子」に後でなんと説教したものか、と考えながら、江田はジョッキを一気に傾けた。