untitled – TBD 3

 気が付いたら土屋の横顔が目の前にあった。
 ザ・グレンリベットのファウンダーズリザーブをトワイスアップで飲んだくらいまでは覚えている。二軒目のバーだったか、最初の居酒屋だったか。何でそんなものを飲んだのか定かではないが。
 とにかく、そこから今に至るまでの経緯は不明だ。
 過去の色々な証言から想像するに、また土屋をがりがり齧ったりしながら一人いい気分で飲んでいたのだろう。
「……お前んち?」
 訊ねると、土屋はこちらを向いて頷き、遠ざかった。どうやらスーツの上着を脱がされていたところらしい。酔っ払って土屋の部屋に運ばれると、武士の情けならぬサラリーマンの情けか、スーツの上下だけは皺にならないように脱がせてもらえる。それ以外は干渉されず、そのまま放置されるのが常だ。
「悪ぃな——って、お前が飲ませるからだぞ。自分で飲めばいいのによ」
 起き上がって頭を振るとまだふらついた。大抵は朝まで目が覚めないが、今日はそこまで酔っ払ってはいないらしい。
「無駄に強ぇから飲んでもそんな酔えねえし」
「まあ、確かにお前は燃費悪いけどなあ。いや、逆にいいのか?」
 欠伸を噛み殺しながら言ったところで土屋が戻って、スーツのパンツを寄越せと手を出した。ハンガーとさっき脱がされた上着を持っている。桜澤はベルトを抜いてノータックのパンツを脱ぎ、折り目を合わせてから土屋に渡した。土屋は慣れた手つきでハンガーにすべてをセットする。
「だからって、俺が酔っ払うの見たところで気は晴れねえじゃん」
「そんなことねえよ」
「そうかあ?」
「面白えよ、お前。酔ったら」
「そんなこと言われても覚えてねえもん。噛み癖も、もしかしてみんなして俺のこと担いでねえ?」
「何年もお前を担いで何の得があるんだよ」
 呆れたように言って戻ってきた土屋は、ちょっと黙り込んで桜澤を見下ろした後、桜澤の座るソファに並んで座った。
 土屋の大きな手を何となく眺める。それが自分の手を取るのも、何の感慨もなく見つめた。人差し指の第二間接を土屋がやんわり噛むまでは。
「うわ!」
 歯は指の先を爪ごと噛んで、親指へ移動した。親指の付け根を齧り、その下のふくらんだ部分に噛みついた。
「何やってんだよっ」
「何って、お前の真似」
「はあ!?」
「いつもこんなだぞ、サクラお前」
「いやでもそれ覚えてねえし!」
「ずっとやってんのにか」
 身体を屈め、桜澤の顔を覗き込みながら土屋が片頬を歪めて微かに笑う。
「ちょっとくらいなら——でも全部は」
 覚えてねえ、と言いかける桜澤の手首に土屋が歯を立てる。ぞわりと全身に鳥肌が立った。
「ちょっ……そんなとこ噛んでねえよな!?」
「噛んでるぜ? 江田と相原に訊いてみろよ。信じらんねえなら久保とか、ああ、南にでも訊けば」
 言いながら桜澤の手をあっさり放り出し、土屋はソファの背凭れに頭を預けた。座面が広めのソファだが、背丈があるから尻がソファから落ちそうだ。かったるそうないつもの顔で、土屋は欠伸を噛み殺しながら目を閉じた。
 土屋の目は切れ長で、普段はあまり気づかないが案外と睫毛が長い。閉じた目蓋を縁取るそれを眺めていたら、土屋がぱっと目を開け目が合った。
「何見惚れてんだ」
「見惚れてねえよ。動かねえから死んだのかと思って」
 ふん、と鼻で笑って、土屋は億劫そうに起き上がる。
「今日はちょっとつまんねえな、お前」
「はあ? 何人のことつまんねえとか言ってんだ」
「別に」
「何だよ」
「何でもねえよ」
 ソファに座り直した土屋は煙草を銜えて火を点ける。
「……変な奴」
「お前もな」
 冷たく返され、桜澤は土屋の脛を蹴っ飛ばした。