untitled – TBD 19

 同じ部署の先輩、一ノ瀬が、ある日突然髪型からスーツまでがらりと雰囲気を変えてきた。元々男前ではあったが、ちょっと前までの格好より今の方が万人向けだ。
「……どうしたんです?」
 さすがに訊ねたら、一ノ瀬は何でもない顔で、桜澤くんが嫌だって言うから、と言い残して外回りに出かけた。
 土屋はほとんど無意識に事務処理をこなしながら桜澤のことを考えた。あれから約二週間。飲み会で顔を合わせても、笑顔でするりと逃げられる。噛みつき癖もなりを潜め、社内でも避けられているようでろくに話をしてもいなかった。書きかけのメールをドラフト保存し、土屋はチャットを立ち上げた。
 桜澤の隣席の女子社員から奴のスケジュールを聞き出し、ビルの出入口で待ち伏せる。無防備に緩んだツラで向こうから歩いてきた桜澤は、土屋の顔を見るなりしまったという顔で舌打ちした。
「人の顔見るなり舌打ちか」
「お前は人のこと言えねえぞ」
 言われてみればまあそうだ。
「ちょっと付き合えよ、サクラ」
「……これからまた客んとこ行くんだけど」
 桜澤は土屋から目を逸らし、俯いた。そんな顔をしたら、知らなくたって嘘だと分かろうと言うものだ。
「嘘吐け。今日はもう何の予定もねえだろ」
 何か言いかけて口を開け、数秒考えて口を閉じてまた開け、数度それを繰り返した後桜澤は渋々と言った体で頷いた。
 その辺の店でいいだろと投げやりに言う顔をまじまじと眺め、公共の場所で話してお前が困んねえならな、と言ったらまた口の開閉を繰り広げ、最期には頬を染めて——恥じらいではなくて怒りでだ——桜澤はまた舌打ちした。
 確かに人の耳があるところで話すことではないけれど、平日の午後の中途半端な時間、空いている店くらい幾らでもある。そんなことにも思い至らないくらい桜澤も動揺しているのかと思ったら、溜飲が下がった。
 ラブホだったらさすがについてこなかっただろうが、ビジネスホテルだって結局は同じことだ。動揺か、それとも土屋の普段と変わらない態度への安心感か、何が桜澤の警戒心を鈍らせたのかは知らないが、客室に入るなり壁に押し付けてキスしたら、心底驚いた顔で何か呻いた後、脛に蹴りを食らわされた。
「痛えな」
「何なんだよ、一体!?」
「何が」
「何がってお前な土屋!! 何でこんなことすんだよっ」
 土屋は十五秒くらい考え込んだ。
「……何か必要なのか?」
「はあ!? つーか長えよ、答えるまでが!」
「それらしい理由が欲しいのか?」
「意味が分かんねえ!」
「だから、何か理由があれば文句ねえのかって訊いてんだよ」
 桜澤は戸惑った顔で少し黙り込んだ後、窺うように土屋を見た。
「何か理由があんのかよ」
「すげえよかったからもう一遍、つーか別に一遍じゃなくていいけどやりてえ。お前は面倒くさくねえし」
「……勝手に風俗でも行ってろクソバカ野郎!!」
 土屋の本音は気に食わなかったらしく、一発前より力のこもった蹴りが炸裂した。
「痛えっつーのに」
「うるせえバカ——って、こら、どこ触ってんだよ! つち」
 どっちがうるさいんだと思いながら深く口づけた。壁と土屋の間に挟まれた桜澤の身体が徐々に弛緩する。いつの間にか土屋の首に回されていた桜澤の腕は震えていた。
「一ノ瀬さんが」
「あ……?」
「お前が嫌だっつったから色々変えたとかって」
「そりゃ確かに言ったけど、でも別に……つーかそれが何だよ、今関係ねえだろ!」
「急に思い出しただけだ」
 そう言いながら軽くキスしたら桜澤は顔を背けた。顎を掴んでこちらを向かせ、今度はねっとりと、舌をしゃぶるようなキスをした。濡れた音を立てて舌を絡ませ、いいだけ貪ってから解放する。睨み上げてくる桜澤の目の縁が湿って、睫毛が目尻に貼り付いていた。

 終わった後にベッドに腰かけ一服しながら、土屋は最前までのあれこれをぼんやりと思い返した。奥を突かれて桜澤が上げた声や、ねだるように浮かせた腰。押し込み引き抜く度いい具合に締まる内側の感触、それからいく時の顔と声。
 煙草を灰皿で揉み消し、桜澤に覆いかぶさって仏頂面を覗き込む。
「サクラ」
「……何だよ」
「やっぱすげえよかった」
「……」
「そんで一応訊くけど、他の誰かと練習してねえだろうな?」
 跳ね起きた桜澤の頭突きをまともに食らい、土屋はまたしてもベッドから転がり落ちた。