untitled – TBD 17

 外回りからようやく戻り、よく行くラーメン屋でもはや昼飯とも呼べない炒飯を食っていたら、隣の席に男が座って、醤油ラーメンを頼んだ。
 昼時は混んでいて満席になる店だが、三時半を回った今、店内はほぼ空席だった。何でわざわざ隣に座りやがると思ったが、どうせすぐ食い終わる。その間隣に誰がいようが関係ないと思い直して炒飯に注意を戻した。
「よく食べるよね、痩せの大食い?」
 隣の奴が話しかけてきたので横目でちらりと見たが、知らない奴だ。どこかで見たような気はするが定かではない。多分、会社のビルの喫煙室か、その辺の定食屋かコンビニで会ったことでもあるのだろう。無視してまた炒飯を口に入れかけたら、男が言った。
「そんなに一遍に口に入れたら噛めなくない? 桜澤くん」
 大口開けて更に炒飯を突っ込んだ後、もぐもぐしたままもう一度男を見た。
 サイドと襟足は刈り上げ、トップは自然な感じにセットされたベリーショート、スクエアタイプのメタルフレームの眼鏡。外国人みたいに彫りが深くて、嫌味なくらい男前だ。スーツはラペルが広いクラシックなタイプ、色はグレイがかったブラウン。上から下まで二往復ぐらいガン見して、やっぱり知らない奴だと思って目を逸らした。
「桜澤くーん。一ノ瀬ですよー」
「むっ!?」
 口がいっぱいだったのでおかしな声が出た。
 全身ツルピカだった男は、すっかり大人の色気漂う感じに変貌していた。といっても、前のイメージが強すぎて、桜澤の目にはホログラムのように重なって見えたから目を逸らす。
「今日は土屋と一緒にいるとこ見てないけど、喧嘩でもしたの?」
 反射的に視線を戻したら、眼鏡を外した男前面がこちらを見ていた。ラーメンを食うのだから外したっておかしくないが、何となく腹立たしい。ついこの間までツルピカイッチだったくせに。もっとも顔は変わっていないはずなのだが。
「痴話喧嘩っす」
 適当な返事をしたところで一ノ瀬の醤油ラーメンが運ばれてきたから、一ノ瀬の存在は無視して炒飯を食い終えた。ランチタイムが終わっているから煙草が吸える。一服していたら一ノ瀬がラーメンを片付け、煙草を銜えた。
「……あれ?」
 思わず反応したら、一ノ瀬がこちらを向いた。
「何?」
「いや、一ノ瀬さん、煙草吸わないと思ってました」
「ああ、客先で嫌がられるから仕事中は吸わないよ。今日はこの後ずっと社内だから」
「そうなんですか」
「うん。喫煙所だと髪とか服に臭いつくでしょ。煙草臭くて数字取れないとか馬鹿らしいし」
「へえ」
 健康オタク説もデマだったらしい。誰だ、嘘ばっか広めてんの、と内心で独りごちた。
「それで、土屋と痴話喧嘩?」
 話が戻ったが、桜澤は煙を吐きながら、改めて一ノ瀬を眺めてみた。
「何でそんな気にするんですか?」
「気にしてるわけじゃないけど、二人いっつも一緒にいるから、珍しいなあと思って」
 じっと見つめてくる男前面にやっぱり一世代前のバージョンが二重写しになったから目を眇める。一ノ瀬は何を勘違いしたのか、睨まなくても、と言って苦笑した。
「んで、何でそんな見た目変わったんすか?」
「え? だって、俺の髪とか眼鏡とかスーツとかが生理的に嫌だって面と向かってはっきり言ったよね、桜澤くん」
「言いましたけど、だからって変えなくても」
「なんで? これも気に入らない? なんか不満?」
「や、つーか俺が気に入ったって仕方ねえし……ないっすよね?」
「言い直さなくたっていいよ。で、なんで喧嘩したの?」
「だから関係ねえ、ですよね、一ノ瀬さんに」
「言い直さなくていいってば」
 一ノ瀬は頬杖をついて頭を斜めにし、下から覗き込むようにして桜澤を見た。
「関係はないけど——」
「つーことでお疲れ様っす!」
「あれ、桜澤くん? ちょっと……」
 一ノ瀬が何か言っていたが、さっさと金を払い、大股で店を出る。
 身長も顔も性格も声も雰囲気も土屋とはまったく違う。まったく違うのに、頬杖をついたときの頭の傾け方と口の端を曲げる男っぽい笑い方がひどく似ていたから咄嗟に土屋を思い浮かべてものすごく動揺した。一ノ瀬が前みたいにツルツルだったら、多分そんな細かい所がいくら似ていたって気づきもしなかっただろうが。
——サクラ
 耳元に、いつものだるそうな口調で低く囁く土屋の声が不意に蘇った。
 土屋の剥き出しの皮膚の手触り。圧し掛かってくる重さ。それから身体の内側に押し込められる硬い物の感触——
「駄目だ思い出すな駄目駄目無理無理無理!」
 驚いた顔で振り返ったおっさんが怪訝そうな目を寄越してきたが、どうでもいい。頰が赤くなっているような気がしたが、自分では見えないからそれもどうでもいい。
口の中で駄目だ駄目だとぶつぶつ呟きながら、桜澤は足早に会社に向かって歩き出した。