untitled – TBD 15

「土屋っ、おい! 待て待て、待てって! 待て!!」
「俺は犬か」
 鼻で笑った土屋の掌がTシャツの中に潜ってきて、桜澤は身体を震わせた。由希と別れて以来誰ともセックスしていない。久しぶりに触れる他人の肌につい心地よさを感じてしまい、慌てて土屋の手首を掴んで押し戻した。
 だが、唇を塞がれ、舌を吸われて、押し戻した身体に押し返された。記憶はないが、半年かけて馴染んだ土屋のキスを身体はちゃんと覚えているらしい。もうどうにでもしてくれと身を投げ出したくなるほど気持ちがよくて身体が緩み、ぐにゃぐにゃになる。
「こんな受け身で、お前、彼女とどうやってやってたんだよ?」
 角度を変えながら頭に来ることを呟いて、土屋は一層深く桜澤を貪った。
 無意識に土屋の首に縋りキスに応えながら、桜澤は本気で憤慨した。なんてことを言いやがるんだか、この野郎。
 確かに由希には淡泊なほうだと言われていた。といっても、がっついていないというだけで、特別頻度が少なかったわけではないと思うし、下手でもなかったと思っている。勿論統計なんか知らないし、他人と比べたことはないけれど、何か不満があれば由希だって言ったはずだ。別れた理由はセックスではない。
 とかなんとか。
 一体どのくらいの時間だったのか、それなりに危機感は覚えながらも時折幽体離脱状態で現実逃避していた桜澤は、圧迫感に呻きながら土屋のワイシャツの背を握り締めて身を捩った。
「あっ、ちょっ……てめえ、土屋ぁ……っ!」
 いつの間にか、桜澤は土屋と深く繋がっていた。

 遡ることほんのちょっと前。
 飲み会もない金曜の夜遅く、風呂にも入ったしそろそろ寝るかと思っていた桜澤の部屋のドアホンが鳴った。モニターを見たらスーツの男が映っている。顔が顎までしか映っていないから土屋だと分かった。このマンションのドアホンは屋外子機の取り付け位置がまずいらしく、背が高い訪問者の顔が映らない。安普請はこれだから、とぼやきながらドアを開ける。
「悪いな、遅くに」
「いや、起きてたからいいけど、どうしたよ」
「奈緒美と会ってきた」
 部屋に上がった土屋は、ここに来たときはいつもそうだが、所在なさげに見えた。なんたって身体がでかすぎる。横幅はないが、縦があるだけで酷く場所塞ぎだ。自分の部屋は家賃より広さ重視で選んだらしいがそれも頷ける。桜澤の部屋は、築年数は浅いが狭いからソファもない。
「そこ座れよ。で、どうだった」
 ベッドとローテーブルの間を指して座らせ、自分はベッドに胡坐を掻いた。土屋の横顔を斜め後ろから見下ろす。よく考えれば滅多に見られないアングルだ。
「どうって……まあいいだろ、どうでも」
「はあ? じゃあ何しに来たんだよ?」
「だから、話をしたって報告だ、一応。お前奈緒美に押し倒されたっつって怒ってたし」
 土屋は煙草を銜えたが、火を点けないままぶらぶらさせた。
「ああ……、いや、それはもういいけどよ。んで結局そうなったわけ?」
「何がだ」
 土屋が桜澤を横目で睨む。
「元サヤ?」
「何でだ」
 埒が明かない。
「だってほら、それ」
 桜澤に指さされ、土屋はだるそうな顔で舌打ちした。ワイシャツの胸ポケット辺りに、ほんの微かにだがリップグロスのものらしき染みがついている。そう思って見てみれば、ネクタイも少しだけ歪んでいた。
「そうじゃねえけど——」
 珍しく言い淀む土屋の煙草をぼんやり眺めながら、桜澤は欠伸をした。
「いいんじゃねえの? お互い独身で誰とも付き合ってねえんだし、別れた後やっちゃったって別に浮気でも何でもないんだし、ヨリ戻したって」
「……やってねえよ」
「何だよ、そんな嫌いになったのかよ」
「嫌いとかそういうんじゃねえよ、別れたのも。まあ、だからそんなに言うならって思ったけど、でもなんか面倒くせえなと思ったら、やるつもりだったのが萎えた」
「お前またそういう……」
 土屋が銜えていただけの煙草をローテーブルに放り、身体を持ち上げてベッドに腰かけた。何か考えるようにじっとこちらを見つめ、そのままでいる。いつも通りかったるそうで面倒くさそうな顔のまま手を伸ばし、土屋は、胡坐を掻いている桜澤の足首をやんわり掴んだ。
「やりてえんだけど。中途半端だったから」
「ああ?」
「だから、面倒くさくねえやつと」
「ああ?」
「サクラ」
「……はあ?」
 それで、押し倒されて、今に至る。