untitled – TBD 13

「えーっ、それはやっぱり一ノ瀬さんだと思いますぅ」
 第二営業部の新人女子は頬を赤らめて言った。
「背高いですしー、優しいですしー、すっごいお洒落だしぃ……やだぁ、もう、何言わせるんですかあ!」
 ほろ酔いの女子は隣に座っていた第三営業部の先輩の肩をバシバシ叩きながら言った。
「私だけじゃないですよ、みんなそう思ってます! 第二でっていうか営業で一番かっこいいのは一ノ瀬さんですって、ね、桜澤さんっ!?」
「え?」
 噛み癖発動まではいかないものの、バシバシ叩かれても気づかないくらいに奴は酔っていた。半眼で少し考え、真顔の桜澤はやたらでかい声で断言した。
「いや、俺は土屋のほうが好み!!」
 女子は桜澤の回答なんかまったく聞いていなかったらしく、ですよねえー! と言ってまた桜澤をバシバシ叩く。数人がにやにやしながら土屋を見たが、何とコメントしたものか判断つきかねたので、土屋は何も言わずに煙を吐いた。
 一ノ瀬も笑っていたが、面白くなかったのは丸分かりだった。別に、桜澤が土屋のほうが好みだとか言ったからではない。自分よりでかくて生意気な後輩と仲よくできる男なんかそうそういない。例えくだらないちっちゃなことでも、後輩に負けて嬉しい男もいない。
 一ノ瀬の気持ちは分かるから、土屋は無言でその場をやり過ごし、二次会へ向かう集団から桜澤を連れて離脱した。その後二人でもう一軒寄って、すっかり噛みつき亀と化した桜澤を半ば抱えながら部屋に戻った。
「おい、サクラ、スーツのまま寝んな。皺になる」
「お前はかっこいいよなあ土屋」
「ああ?」
 間近で覗き込んだ桜澤の顔は完全に酔っ払いだ。何を言ってるんだかと思いながら上着を無理矢理脱がせて取り上げる。中身——桜澤本体——はソファに適当に転がし、スーツをハンガーにかけて戻ったら、桜澤は半分以上ソファからずり落ちていた。
「お前みたいにかっこよかったら女もより取り見取りだよなぁ。でもいつも捨てられてっけど」
「うるせえな、羨ましいのか馬鹿にしてんのかどっちだ」
「まあちょっと性格に難ありだけどぉ? それはでもイッチも一緒だからなあ」
「誰だイッチって」
「イチノセさんに決まってんじゃん! 今俺が名付けた」
 酔っ払いはひとりげらげら笑った。
「ふうん」
「背ぇ高くてさあ、筋肉もちょうどよくついてて、顔も男前じゃん? うらやましーなー。お前の顔スキなんだ俺」
「ああそうかい」
 まだぶつぶつ言っている桜澤の身体を何とか引き上げ、ソファに収める。出来栄えに満足して見下ろすと、桜澤がこちらをじっと見ていた。
「何だ」
「俺自分が女子だったらイッチよりお前とキスしてえなあ。お前の顔スキなんだ俺」
「それはさっきも聞いた。お前は女子じゃねえからキスはしねえぞ」
「男女差別じゃねえのそれって。セクハラ委員に訴えるぞ」
 酔っ払いの戯言とは正にこのことだ。眠くて面倒くさかったからそのまま立ち上がりかけたら桜澤に胸倉を掴まれた。
「土屋」
「……」
「キスしようぜ」
 そういやこいつ長年付き合った彼女と別れたんだったな、と思い出し、人肌恋しいのかも知んねえなと思ったら少しだけ同情心が湧いた。酔っぱらったツラを矯めつ眇めつして考える。どこからどう見ても男だが、まあ、軽くキスするくらい、できそうだ。

 

 桜澤の自制には目を瞠るものがある。あれだけ頻繁にぐだぐだになっていたのが嘘のように、最近はきちんと自分で自分の部屋に帰っていく。
「サクラ」
 何を言おうと思ったわけでも何でもない。居酒屋の出口で深く考えることもせず咄嗟に腕を掴んだら、桜澤は引っ張られるまま振り返り、そうして何とも言い難い顔で土屋を見た。ここ半年ですっかり馴染んだ桜澤の唇の感触をぼんやりと思い出す。
「お前、今日……」
「帰れるぜ! ありがとな」
 殊更明るく言って掴まれた手をさりげなく押しやり、桜澤は土屋から離れて行った。