就寝なお題 01-05

01 睡眠不足

「で、どうだったよ」
 電話の向こうから、人のざわめきが聞こえてくる。恐らく、試験会場を出てすぐかけてきたのだろう。どこか気の抜けた声は、とりあえず終わったという安堵のせいに違いない。
「んー、分かんない。でも、多分大丈夫……っぽい」
「そうか、よかったな」
 リフレッシュルームという名の喫煙室は、中途半端な今の時間は誰もいない。空気清浄機の隣の椅子に腰かけて、古河は煙草を銜えて火を点けた。
「まだ決まってないけどね。まあ、滑り止めは受かってるし、浪人はないから」
「今日はゆっくり休めよ」
 靖人は大学時代の友達の友達、の弟だ。靖人の兄のことはよく知らないが、間に入ったやつと高校の同級生で、当時親しくしていたらしかった。一年前、高校時代から理系科目だけは強く大学もそちらに進んだ古河に、友達の弟の家庭教師をしてくれないかと持ち掛けてきたのはそいつだった。
 社会人になってまで家庭教師もないだろうとも思ったが、その頃丁度彼女と別れて気が滅入っていた古河は、気晴らしのつもりでその話を受けたのだ。
「友成さん?」
 一瞬呆けていた古河の耳に、靖人の声が再度響いた。
「あ? ああ、悪ぃ、ぼーっとしてた」
「今日、行っていい?」
「俺は別にいいけど、家でお祝いでもすんじゃねえのか? それに、ここんとこの追い込みで寝不足だろ」
「まあね」
 靖人の微かな笑みが目に見えるような、そんな気がした。年のわりに大人びた、しかしまだ少年っぽさが抜けきらない靖人の顔が目に浮かぶ。勉強だけでなく、何かと相談し、懐いてくる靖人は兄弟のいない古河にとっては弟のようで可愛かった。もっとも、弟というのが実際にどんなものかは分からない。だが、好かれて悪い気がするわけもない。
「父さんは出張で帰ってくるの明日だし、まだ合格したわけじゃないから何もないよ。友成さんが仕事忙しいなら遠慮するけど」
「いや、いいよ、別に。じゃあ、何か食いに行くか? 奢ってやるよ」
「やった」
 嬉しそうな靖人の声に思わず笑い、時間を決めて電話を切る。古河は煙草を揉み消してひとつ伸びをし、定時に帰る算段をし始めた。受験が終わったとは言っても、靖人はまだ高校生だ。遅くならないうちに帰してやらねばならないだろう、と思いながら。

 睡眠不足のせいなのか。それとも違うもののせいなのか。
 決して顔色がいいとは言えず、思いつめた様子の靖人を見上げ、古河は心底困り果てていた。
「好きです」
 囁くようなその声に滲むのは、靖人自身の困惑と、開き直ったような潔さ。まるで相反する二つのものがせめぎ合い、拮抗したまま身を捩るのを確かに見たと、そう思った。
「友成さん」
 抱き締められ、どうしていいか分からずにただ瞬きを繰り返した。優しく顎を持ち上げられて口付けられ、舌を絡め取られても思考はそこで止まったまま。結局靖人の寝不足は解消されず、早く帰すどころか、終電ぎりぎりで帰らせる羽目になったのだ。

 あの時、本気で撥ねつければよかったのだと思ってみても今更だ。古河は見てもいないお笑い番組を眺めながら、思わず自嘲の笑みを漏らした。
 靖人からの伝言は、友人を通して古河の元に届けられた。
「友成さんの言うように、これが俺の思い込みだとしても、それでも俺は構いません。話をさせてください」
 二日前、友人が首を捻りながら見せた靖人のメールを思い出し、俺のせいなのだと思いながら、古河は煙草の煙をゆるゆると吐き出した。
「……くそ」
 眠れない二晩で重くなった頭を抱え、古河は大きく息を吐いた。

02 パジャマ

 古河は枕の下に頭を突っ込み、うつぶせで眠っていた。これなら、寝癖もつくというものだ。
 高木は布団の塊と化した男を見下ろして溜息を吐いた。布団から突き出ているのは首筋と右手の甲だけ。頭は枕の下だし、それ以外はどこにあるのか分からない。死んでても驚かねえな、と独りごちて、高木はベッドの端に腰を下ろした。
「古河、おい、起きろ」
 もごもごと何か呟きが聞こえるが、日本語の形を成しているとは言い難い。昨晩、榊を入れた三人は高木の部屋でいつものように深酒し、古河はかなり酔った様子で部屋に戻った。心配して見に来てみれば、案の定、部屋のドアに鍵はかかっていなかった。
「古河! おい、手間かけさせんじゃねえ」
「……やだ、眠い」
 子供のような口調に腹が立つ。その口調に頬が緩みかけた自分に一層腹が立つ。
「やだじゃねえよ。お前、榊と何か約束してたろうが!」
 肩があると思われるあたりに手をかけて揺すりそう言うと、古河はようやく身じろいだ。枕を掴んで取っ払うと、ぼさぼさになった古河の後頭部が現れる。
「んー」
 目を擦る古河の肩が露わになる。高木は、何も着ていない上半身の骨ばった線に目を奪われた。左の頬についたシーツの痕、腫れぼったい瞼。古河の顔と身体を辿る自分の視線から何かが垂れ流れている気がして無理矢理古河から目を逸らす。
「——風邪引くぞ、この時季にそんな恰好して寝たら」
「あ? あれ? 酔ってたからな……」
 古河は起き上がり、布団を捲った。一応下着は穿いていたが、それにしても見ている方が寒くなる。
「服探すの面倒くせえし……俺、また鍵かけんの忘れた?」
「だから俺がここにいんだろ」
「そっか。そうよな」
 古河は大きな欠伸をひとつして、目をこすると高木を見上げた。
「そういや、榊と映画見に行く約束したんだった。榊が、お前も絶対好きそうって言ってたけど、何で来ねえの?」
「…………男三人で映画館なんて勘弁しろよ」
 返答するまで、空いてしまった数秒の間。高木は黙って奥歯を噛み締めたが、今更取り戻せるものでもない。用事がある、その一言で済んだはずなのに。古河は怪訝そうに眉を顰め、奥二重の目を僅かに眇めた。
「お前がそういうの気にするタチだとは思ってなかった。何かあんのか」
「別に。お前に関係ないだろ」
「ねえけどさ」
「そろそろ起きろよ。榊、時間にはうるせえぞ。俺よりマシかも知れねえけどな」
「何、それ。お前、時間になんかちっともうるさくねえじゃん」
 ぶつぶつ言いつつベッドから這い出る古河を肩越しに見て、高木はこみ上げるものを噛み潰す。うるさくないのではない。高木が時間に正確なのは自他ともに認めるところだ——本来なら。
 この男を甘やかしていたのだと、不意に気付かされて理不尽だが猛烈に腹が立った。
 確かに先日、古河を好きだと自覚した。だが、自覚したからと言って別にどうにかなるわけでもない。誘えば、そして気が向けば、古河は高木と寝るだろう。古河があの大学生に惚れているなら、高木を拒むに違いない。だとしたら、今の古河はどちらにも、等しく心を傾けてはいないのだ。喜ぶべきことなのかも知れないが、どうしようもなく面白くない。
「あーもう、俺煙草どこやったっけ? 高木、悪ぃけど、煙草一本」
 腕に触れられ、咄嗟に思い切り振り払った。目を瞠り、口を開けたままの古河に背を向けて、高木は玄関へと大股で歩き出す。
「高……」
「服探すの面倒なら、パジャマくらい買え」
「ちょっと、おい」
 靴に足を突っ込んで振り返る。古河のうろたえた顔を見て、暗い喜びがふと過った。
 古河にパジャマは似合わないし、あっても使わないに違いない。知ってはいたが、それ以外に一体何を言えというのだろう。
「言えよ、買ってやるから」
 閉まるドアの隙間から、訳が分からないという古河の顔が一瞬見えた。自室への階段を上りながら、高木は両手で顔を擦り、いきなり脳裏に浮かんだ陽気な縞々パジャマを頭の中で引き裂いた。

03 マイ枕

「あたしマイ枕じゃないと眠れないんです」
「何だよそれー」
 給湯室に入っていくと、同じ部の同僚吾妻と、総務の派遣社員角田さんが楽しそうに話していた。角田さんは話しながらもゴム手袋をはめてコーヒーカップを洗っている。どうやら油を売っているのは吾妻だけらしい。
「お、古河」
「あー邪魔してごめん。俺、さっきコーヒー買ったときにここにライター忘れたかと思って」
「何言ってんの、ぜんっぜん邪魔じゃねえよ。ライターってこれ?」
「……あ、そうそう」
 角田さんの背中がぴくんと引き攣ったのに、鈍感な吾妻は気付いていないようだ。角田さんが吾妻のことを好きなのは、人の恋愛に興味がない古河ですら、見れば分かる。吾妻はいいやつだが、自分のことには非常に鈍い。
「古河はさ、枕ってマイ枕派? なんでもいい派?」
「へ?」
 質問の意味がまるで理解できず発した間抜けな返事に、角田さんが振り返った。いつでも感じよく仕事が早い角田さんは、古河にも精いっぱいの笑顔を向けてくれた。
「吾妻さんが、枕なんて何でも同じって言うんですよ」
「まあ、枕だから……」
「ほら、男なんてみんなそうだって」
「えー! だって、高さとか合ってないと寝起きに首が痛くなるじゃないですか!」
「あー……、てか、俺、枕の下に頭突っ込んで寝るみたいだから」
 言った途端二人は爆笑し、古河もつられて笑いながら、昨日の高木のことを思い出した。何故か、やけに不機嫌そうだった。最近高木はどこかおかしい。
「枕ね……」
「古河さん、どうしたんですか?」
「なんでもない。俺、煙草吸ってくる」
 古河は給湯室を後にして、喫煙スペースに足を向けた。吾妻と角田さんの笑い声が聞こえてくる。吾妻の奴、どうしてああも鈍感なのか。角田さんの態度を見れば——。
 どこにでもある薄いグレーの絨毯。毛羽だった繊維が靴の裏に擦れ、つっかかりそうになりながら古河は廊下の真中で足を止めた。
 枕の下に頭を突っ込んでいたから、気付かなかったのか。いつもの枕が、別の枕に変わっていたことに。
「……マジかよ……嘘だろ」
 勘弁してくれ。
 古河の口から零れた台詞は、化繊の敷き詰められた廊下に吸い込まれた。
 高木の不機嫌な顔と、古河の手を振り払った瞬間の強張った口元が目に浮かび、靖人の柔らかい笑顔と重なって目まぐるしく明滅する。
 好きです、と繰り返す靖人の顔が浮かぶ。思い詰めたようなメールの文面、ストレートな好意の発露と抱き締める腕の優しさ。
 古河をベッドに押さえつけ、これから古河に何をするか、具体的に囁く高木の意地の悪い笑顔と甘ったるい低い声。
 表れ方が違うだけなのだとしたら。
「だって、そんな——」
「古河ぁ?」
 吾妻の声に古河は文字通り飛び上がり、右手に握りしめていた百円ライターを取り落とした。音もなく落下したライターを拾い掛けてまた落とし、古河は廊下にしゃがみ込む。
「古河? だいじょぶか、お前」
「へーき……ちょっと、枕が」
「何?」
「いや……俺、やっぱマイ枕派だわ……いきなり変わると、辛えよ……」
「何言ってんだよ、わけわかんねーなー。立てんの?」
「ああ」
 古河はよろよろと立ち上がり、覗きこむ吾妻の人のよさそうな顔を見返した。この朴念仁め。お前のせいで気づかなくていいことにまで気付いてしまった。詰ってやりたいのはやまやまだったが、吾妻には何の非もないのだから仕方なかった。
 枕なんて何でも同じ。恋愛にも、枕の高低にも鈍感な吾妻は三十分後に迫った昼休みに何を食べるか考えるのに忙しいらしい。
「古河、お前顔真っ赤。熱でもあんじゃねえの」
 吾妻のブルーのワイシャツの背中を睨みつつ、古河はライターをポケットに突っ込んだ。今日の昼は絶対に別の場所で取ろう。万が一にも高木の顔を見ることがないように。
 心に固く誓う古河の内心を知ってか知らずか、吾妻が、そういえばこんなものを持っていた、と地下の蕎麦屋のタダ券を振ってみせる。一緒に食いに行こうぜ、と笑顔を向ける吾妻の顔が、悪魔の笑う顔に見えた。

04 夢で会えたら

 どうして、同性である彼を好きになったのかは分からない。理由なら山ほどあるが、あの頃の気持ちを今正確に思い出すことはできないから、何が決定打だったのかは断言できない。だが、今も、靖人は古河が好きだった。
 初めて古河を抱いたのは、大学に合格したその日だった。
 古河は、本気で抵抗しなかった。それがどういう意味か深慮するには靖人はどこまでも子供すぎて、身体は大人になっていただけ、一層性質が悪かった。
 古河が、弟のように可愛がっていた靖人の感情を傷つけたくないあまり、拒否するタイミングを逸したことにも気付かずに時が過ぎた。未成年だから、学生だから、と理由をつけて古河は靖人を終電に乗せることに拘ったが、今思えば、あれは古河なりの一線だったのかも知れないと思う。もっとも、それさえ単なる想像で、実際のところどうだったのか、靖人には知るすべはない。

「友成さん——」
 今時珍しいくらい喫茶店、という言葉が似合うその店の二階席の一番奥、古河はぼんやりと手元のカップを見つめていた。
 古河を紹介してくれた兄の友人を介して送ったメールに返事が来たのはつい二日前のことだ。会いたい、という古河のメールに胸が躍ると同時に怖くて眠れず、睡眠不足が眼の下に隈になって表れていた。案の定古河が眉を寄せ、心配そうな顔をした。
「お前、何その顔。学校大変なのか」
「……うん。今、結構きつい授業取ってて、レポート苦戦してるから」
「そうか。まあ、勉強はしておいたほうがいいからな。後で後悔したって遅えんだし」
「友成さん、親父とおんなじこと言うね」
「ガキには分かんねえだろうなあ」
 古河が笑い、目尻に笑い皺が寄る。古河の笑顔が大好きだった。鳩尾に鈍器をぶつけられたような衝撃があり、靖人は顎を噛み締めた。椅子を引き、腰を掛ける。店員の足音がして、古臭いメニューが差し出された。古河がコーヒーのお代わりを頼み、靖人はカフェオレを頼んでコートを脱いだ。
 テーブルに飾られた薔薇の造花。ケーキセット六百五十円が格安だというのは、靖人にも分かる。垢抜けない内装の店はしかし清潔で、店内に漂うコーヒーの香りは悪くない。
「靖人」
 古河は靖人の名前を呼んだが、店員が現れたせいか口を噤み、店員が立ち去ってからも暫く口を開かなかった。お互い無言で飲み物を啜る。温かいカフェオレは美味いような気がしたが、味が分かっているのかどうか、自分のことながら怪しかった。
 細身のスーツに身を包んだ古河は、当たり前だが大人に見えた。何度も見ているはずの姿だが、こんな厳しい顔つきを見たのは今まで一度しかない。靖人に、もう会わないと告げたあの時と、そして今この瞬間と。
「お前とは、もう会わない」
 あの時と同じ台詞。靖人はきつく目を瞑った。
 携帯が繋がらなくなったことに動揺し、いつの間にか引っ越していたことに打ちのめされた。そのうち、諦めが靖人の中で大きく育ち、せめて夢で会えたら、と願うばかりになっていった。二度と会えないなら仕方がないと、優衣と付き合ってそれなりに楽しく過ごしもしたのに。
「どうして?」
「——そう言ったろ、前にも」
「あの時も、理由を言ってくれなかったでしょう」
 古河は自分の指先から靖人に目を戻した。きつく結んだ唇の線に、喉元から何かがせり上がり、鼻の奥が痺れたように熱くなる。
「お前のことは好きだよ」
 そう、弟みたいに? 古河の言いたいことは分かっている。本当は、いつだって分かっていた。
 古河が低い声で話し始める。どれだけお前が大事か、分からないだろうな。今のお前には。
 独特の掠れた声が、まるで音楽のように耳に届いた。古河の言葉を聴きながら、もう会うことはないのかな、とぼんやりと思い、手の甲に落ちた何かが自分の涙なのだと数拍遅れて気がついた。古河の掌が、靖人の頭を愛しげに撫でる。まるで、兄が弟を宥めるような愛情をもって。
「ひとつだけ、聞かせて、友成さん。今、好きな人はいる?」
 自分の、意外にしっかりした声が遠く聞こえる。
「——いないよ」
 嘘を吐いた、という間ではなかった。多分、本気で考えてくれた、それは古河の誠意の表れだと素直に思えた。
 もし今夜夢で会えたら、もう一度だけ、抱き締めて好きですと言ってもいいですか。
 靖人は、古河が階段を踏む足音が消えるまで、古河が残したコーヒーの水面を見つめたまま身動きせずに座っていた。

05 川の字

 榊が、「新の部屋で一緒にDVDを観よう」と電話をしてきたのは三時間ほど前のことだ。高木の部屋で飲むのはよくあることだし、断る理由はなかったが、正直行きたい、とは思えなかった。
 とんでもない勘違いをしているのでない限り、高木は自分に好意を持っているのだと気付いたばかりなのだから当然である。高木が古河とセックスしたがるのは興味本位なのだと思っていたし、多分最初はそうだったと断言できる。靖人のことで懲りたからその辺を見誤る気はなかったし、高木の態度もそれを裏付けるものだったのだ。
 なのに、どうしてそうなってしまったのか。何が高木の心境を変えたのか、という疑問は勿論あるが、それを高木にぶつけて藪蛇になるのも嫌だった。
 だから、古河は榊と高木の間に座り、大人しく映画に見入っていた。
 アデリータのトルティーヤチップスをばりばり噛みながら、発泡酒片手に押し黙って映画を見る男三人。なんだか笑えない図だが、それ以上に映画が笑えない内容で、失敗だったなと榊が呟き、高木が見る目ねえなあ、と榊に向かって丸めたティッシュを投げつけた。

 気がついたら、部屋が暗くなっていた。
 古河は身体が目覚めないまま意識だけ目覚めたような状態で、何故俺の身体は横たわっていて周囲は暗いのか、とゆるゆると思考を巡らせた。
 映画は面白くなかったが、観始めたら意地になるというか、とにかく最後まで観ようということになったのだ。高木は付き合ってられんとか何とか言いながらシャワーを浴びてくると言っていなくなり、古河も歯の間に挟まったチップスを取りたくて、水音が聞こえ始めてから口を漱ぎに席を立った。
 高木の影が浴室のドアの向こうに見えることに何故か圧迫感を感じながら水を吐き出し、テレビの前に戻ってきた。あれからまた酒を飲んでいたのは覚えているから、そのまま沈没したのだろう。
 一応毛布らしきものはかけられているし、頭の下には枕代わりのクッションもあるが、床に直接寝ているからか、身体が痛い。半分しか開いていない瞼の向こう、榊が隣に寝ていることにようやく気付いた。どうやらここは高木の部屋の居間らしい。そして、背後に人の気配がするから、三人は川の字で寝ているのだろう。
 寝ぼけた頭でそこまで認識したのと同時に、榊が大きく寝返りを打ち、古河のほうへ転がった。古河の眼前に榊の熟睡中の顔が迫る。すぐそこにある榊の顔を見たと思ったら、古河の肩を、何かが強く引っ張った。
 高木の手だ、と気づいたのは数秒経ってからだった。
 引き寄せられ、眼の前にあった榊の顔は一瞬で遠くなった。半分眠っていたから榊の顔には特別驚くことはなかったが、流石にこれには目が覚めた。
 高木の胸が古河の背中に当たっている。息を殺していたが、やはり無意識に身じろぎしたのだろう。高木の手が古河の顎を捕まえ、ゆっくりと持ち上げた。
 斜め後ろに視線を上げると、高木がこちらを見下ろしている。強い視線は明らかに寝起きのものではない。一体どのくらい、こうして起きていたのだろう。見返す古河の目を見つめていたと思ったら、高木の顔が一瞬で強張った。
 ——気付いたことに、気付かれた。
「た」
 最初の一文字を言い終わる前に、高木が古河を転がすようにして仰向けにし、覆い被さって唇を塞いだ。
「…………!」
 濃厚な口付けに目眩がして、古河は高木の髪を掴んで引っ張った。
 すぐそこに榊が転がっているというのに、冗談も大概にしてほしい。そう思ったが口はきけず、暴れて榊が起きたらと思うとそれも躊躇われた。
「……こが」
 ほんの僅か唇を離し、小さな声で高木が囁く。語尾が微かに震えたそれに、かっと耳が熱くなった。
 何か言おうと開いた口に、高木の舌が潜り込む。
 味がするわけではない。それはそうだが、どうしようもなく甘いキスに思えるのは気のせいだろうか。どうしていいか分からずに、とにかく必死に息をすることだけを考えた。
 不意に身体が持ち上がり、古河は泡を食って高木にしがみついた。
 強制的に立ち上がらされたのだと気がついたが、寝起きのせいで膝が抜けた。引き摺るようにして寝室まで歩かされ、放り出すようにベッドに転がされる。抗議の声を上げかけて、またも榊のことを思い出す。
 古河の頭の両側に手をついて身体を支え、高木は暫し無言で古河を見下ろしていた。ゆっくりと屈み込み、高木は古河の喉元に口を寄せた。
「好きだ」
 まるで忌まわしい言葉を唱えるような暗い声で、高木が言う。
 古河の寝ぼけた頭に言葉の意味が染みわたる前に、高木は勢いよく立ち上がった。寝室のドアが閉められて、一人になる。暗がりの中、古河はただ天井を見つめていた。