25時 6

 マットレスが派手に軋む音が、まるでつまらない冗談のように耳触りだ。
 開かされた脚の間で高木の腰が緩急をつけて前後し、その度に古河は身を捩って悶え、無意識にシーツを握り締めた。
 広いベッドに違和感を覚える。
 高木とセックスするのは大抵古河の部屋で、そうでなければ高木の部屋だ。古河のベッドはよくあるシングル。高木は身体が大きいせいかセミダブルを使っているが、それだってシングルと大差ない。
 ホテルに連れ込まれたのは四ヶ月前のあの時だけで、だからこれが二度目だった。
 壁の薄いアパートですることに慣れているから、古河は無意識に声を抑えようと歯を食いしばる。それなのに、高木の手が古河の顎を掴み、無理矢理口を開けさせた。同時に弱いところを突かれ、反射的に叫び声にも似た声が出た。甘ったるい声音に自分自身が驚いて、瞬間的に身体が強張る。
「……っ」
「我慢すんなよ。ここ、防音しっかりしてっから廊下に聞こえねえし」
「適当なこと言ってんなよ……試したのかよっ」
「試したよ」
 どうやって、と訊きかけたが、突き上げられて喉が詰まった。
「か」
「ああ?」
 高木の声は酷くイラついていて尖っている。それなのに、愛撫自体は丁寧で、乱暴なところはひとつもなかった。
「彼女、とくればよかったじゃ、ねえか」
 言葉が喉に絡んでうまく出てこない。咳払いをひとつして、古河はもう一度言い直した。
「さっきの彼女と、どっか行くつもりだったんじゃねえのかよ。お前何考えてんだ」
「お前こそ、何なんだよ」
「はあ?」
「じゃあついて来るんじゃねえっつってんだよ。縛られて連行されたわけでもあるまいし、嫌なら幾らでも逃げられるだろうが」
「嫌とかそういう」
「文句あんなら出てけよ」
「……」
 勝手に突っ込んで言うことか、と猛烈に腹が立った。肘を支えに起き上がり、重く、汗ばんだ身体を後ろにずらす。頭が重い。ふらふらする。だが、怒りの方が上回った。動かない高木から僅かに距離が離れると、高木のものがずるりと内壁を擦った。呻きながら身体を引く。あと少しで抜ける、というところで、腰骨を掴まれた。
「古河」
「触んな」
「井上さんと、飲んでたのか」
「……あ?」
 出てくると思わなかった名前に、古河は思わず動きを止めた。
「何でそんなこと」
「今日の帰り、たまたま一階で会って聞いたんだよ。井上さん、お前の会社にいるって」
「って、お前……あの人知って」
「高校の先輩」
 井上は、高木は自分を知らないだろうと言っていた。思いの外高木の記憶力が良かったということなのだろうか。そう思ったが、高木の台詞は終わっていなかった。
「で、榊の姉ちゃんの、高校ん時の彼氏。当時は結構付き合いあったから」
 井上が嘘を吐いた理由が分からない。古河は一瞬混乱し、その隙に高木が思い切り腰を進めた。
「——っ!!」
 抜けかけていたものを一息で押し込まれ、声にならない悲鳴が漏れた。体液とローションで濡れそぼった部分で抜き差しされ、液体が泡立つ音に眩暈がした。
 身体が浮き上がるような感覚に、反射的に高木の腕を握り締め、喘ぎながら背を反らす。
 どうしようもなく感じる。いつもそうだ。高木の股間を蹴っ飛ばしてやりたいくらい頭に来ている今でさえ。
 激しく揺さぶられ、弱いところを何度も突かれて、考えていたことはすべて吹っ飛び頭の中が白くなった。
「古河」
「あ、あっ」
「古河——」
 高木がしわがれた声で何か言った気がしたが、耳の中に響く己の心音のせいで聞き取れない。何と言ったか訊き返そうと思ったが、身内を駆け巡る何物かに、それもいつのまにか掻き消された。

 高木がシャワーを使っている間に、古河は一人でさっさとホテルを出た。
 帰る場所が同じというのは、こういうときに酷く不便だ。タクシーも一緒に乗れば安くなるが、気まずい沈黙に耐える気には到底なれない。運転手に住所を告げ、古河はシートにだらしなく身体を沈めた。
 無性に煙草が吸いたいが、タクシーまでもが禁煙の世の中だ。そんなに喫煙させたくないなら法律で禁止して売らなきゃいいのにと忌々しく思いながら溜息を吐く。
 どうして高木があんな行動を取るのか、古河には理解できなかったし、まだ腹の虫は治まっていなかった。
 高木が女と会って何をしようが、それは高木の自由だと思う。彼女ではないと言い張っていたが、真実がどうであれ、ああして女と遊んでいるのだから、古河に好きだと言わなくなったのも頷けた。
 別に、胸が痛んだりはしない。俺のことを好きだって言ったのに、とか、そんなふうに思えたらよかったのかも知れないと何となく思う。
 どうせこんな関係に未来はない。
 高木が誰と寝ようと、誰と会おうと気にならない。
 俺を好きだと言わなくなっても構わない。
 あれは気の迷いだったと、やっぱりお前は友達だったと言われたら、多分安堵するに違いない。色々な事が単純に、そして処理しやすくなるはずだ。
 古河は、助手席のヘッドレストに掛かったカバーをじっと眺めた。真っ赤な文字のタクシー会社の電話番号と、かなり苦しい語呂合わせ。
 高木のことは考えまいと目を閉じる。高木がつけた肩の噛み痕が、アンダーシャツの縫い目に擦れてちくりと痛んだ。

 倒れ込むようにしてベッドに入ったものの、眠りはなかなか訪れなかった。
 結局高木はやりたいようにやり、古河は散々乱され泣かされた。疲労しきっているはずなのに、妙に過敏になった神経が小さな物音に反応し、その度に眼が冴える。
 道路で、タクシーのドアが閉まる音がした。古河の部屋は二階だから、まるですぐそこでドアが開閉したかのようによく聞こえた。
 走り去る車のマフラーの音、階段を上がる足音。一段一段踏みしめるように上がるその足音は、一度古河の部屋の前までやってきて、暫く経ってまた階段の方へと移動した。遠ざかって行く革靴の音に、知らず緊張していた筋肉がようやく緩む。
 もしも高木が訪ねてきたら、どうしただろうか。古河は、ようやく訪れた睡魔に半ば屈しつつ自問した。
 もし今インターホンが鳴ったら、俺はドアを開けるのだろうか。そうして怒鳴りつけるのか、それとも招き入れるのか。高木は合鍵を持っているけれど、勝手に入ってくることはないだろう。
 考えたって仕方がない。
 古河はゆっくり眼を閉じた。高木は訪ねてこなかった。それだけのことだ。
 それ以上何かを深く考えることはせず、古河はようやく眠りに落ちた。