untitled – TBD 36

「そういえばさあ」
 最後の塩唐揚げを口に突っ込みかけたタイミングで、同期の南が店中に響くような馬鹿でかい声で言った。
 ちなみに、南のフルネームは南奈美。ミナミナミ、上から読んでも下から読んでも、というやつだ。これは元々ではなく、幼少時に母親が再婚してそうなったらしい。
 生まれてすぐ父を海難事故で亡くし──遠洋漁業船の乗組員だったとか──小学校の中学年で母が再婚した相手が南さんだったのだそうだ。名前がミナミナミになるのが嫌で再婚には泣いて反対したがガン無視された、とは本人の弁。
「食事中に声でけえよ、お前」
「うるっさいなあ、あたしの母さんかあんたは?」
 南は煮込みハンバーグのでかい塊を口に突っ込み、盛大にもぐもぐしながら言った。
「モテ期ってあんじゃん、モテ期ってさあ」
「ああ」
「この間総務のひなちゃんとそんな話しててさあ、私はいまだかつて来たことないんだよねそれ。どうやったら来んのかサクラ知らない?」
「要するに男がいねえって話?」
「そうなのようー」
 片頬をハンバーグで膨らませたまま南は拳でテーブルをどんどんと叩いた。
「誰か紹介してくんない? サクラ」
「俺が紹介できんのはお前が知ってる奴らばっかりだけど」
「使えねえな!!」
 肉塊を嚥下して、南は大きな溜息を吐いた。ちなみに南はものすごく可愛い。
 美人、ではなく可愛らしく、しかも小柄で、だが胸はでかい。要は男が夢見る巨乳ロリ系だ。だが、その外見をぶち壊して余りある性格ゆえか、もてないなんてものではなかった。ギャップ萌えという言葉も南の前では無力なのだ。
「そういやサクラも彼女と別れて結構経たない?」
「んー、半年ちょいかな」
 唐揚げを食い終え、ほうじ茶を啜る。
「新しい彼女は?」
「いねえよ」
「意外だねえ、サクラ大好き女子が後輩に結構いるのに誰も突撃してこないって。牽制し合ってんのかな? あ、でも常にでかい背後霊がくっついてるから、近寄り難いのかもしれないけどねー。あれ、でもそういやここ何日かサクラの後ろに見ないねえ。祓われちゃった? 土屋ってば」
「いや──ちょっと喧嘩した」
「喧嘩?」
「意外なことにあの野郎があんまり純情だから」
「何それー」
 げらげら笑う南に合わせて笑いながら、モテ期ね、と呟き、昨晩のことを思い出して内心溜息を吐いた。背後霊にも臆さないチャレンジャーが、実はいたのだ。
 だが、残念なことに女子ではない。

 

 メッセージを見て暫く迷い、桜澤は結局行く、と返信した。
 指定された居酒屋の奥の個室に入ると、一ノ瀬は先に来ていてビールを飲んでいた。
「あ、お疲れ様」
「どうも、お疲れ様っす」
 掘りごたつではない普通の小上がりだったので、胡坐を掻いて正面に座る。個室と言ってもそれほど大きな造りではなく、せいぜい四人用と言ったところだ。
 注文から一通り料理が運ばれるまで仕事の話を続けた一ノ瀬は、店員がいなくなって話がひと段落したところで箸を置いて居住まいを正した。
「桜澤くん、結構経っちゃって今更だけど、この間は本当にごめんね。改めて謝ります」
「ああ……いや、別にそんな謝ってもらうことでもないっつーか」
 実際のところ、キスしただけだ。高校生くらいなら大事件かもしれないが、三十路ともなれば大したことでもない。だが、これでなかったことになるのなら、桜澤としては歓迎だし、だからここまで出向いてきたのだ。
「うん、でもやっぱり突然だったし、ちゃんと謝っておきたくて」
「はあ、まあ確かに突然便所で一ノ瀬さんに襲われるとは思いませんでしたけども」
 一ノ瀬はメタルフレームの奥の目を細めてちょっと笑って、膝を崩した。
「いや、俺も別にトイレで何かしようと狙ってたわけじゃないよ」
「それじゃ痴漢っすよね」
「だよねえ。ま、勢いっていうか」
「酔ってたんですもんね、一ノ瀬さん」
 すっかり安心して、桜澤はビールを呷った。一ノ瀬が「そんなに酔ってなかったってば」と笑う。
「そうでしたっけ」
「そうですよ。ちなみに、今日はまだ酔ってない認定してもらえるのかな?」
 一ノ瀬の一杯目のジョッキは三分の一も減っていない。
「素面っすね、今は」
 桜澤は枝豆を口に突っ込み、莢を引っ張り出しながら言った。一ノ瀬はよかったあ、と言って相好を崩し、じゃあ今言うね、と微笑んだ。
「何すか?」
「俺、桜澤くんのことが好きだから、付き合ってほしいな」
「え?」
「ん?」
「えーと、どこにっすか?」
「やだなあ、ベタすぎだよ」
「はい? え?」
「あれ? 本気で通じてない?」
 枝豆の莢を銜えたままの桜澤に暫く視線を留め、一ノ瀬はもう一度、今度は真顔で言った。
「誰とも付き合ってないなら、俺と付き合って」
「……え?」