32 コンビニスイーツ

「なあ、これ食わねえ?」
 哲が秋野の膝の上に置いたのは、透明なプラスチック容器に入ったコンビニスイーツだった。黒糖わらび餅なんたらという商品名の入ったシールが貼ってある。名前のとおり、黒っぽいゼリー状のものの上にクリームやら何やらが載せられた代物だ。
「食わない」
「食えよ」
「何でだよ。山の中で食い物がなけりゃ食うけど」
 秋野も甘いものはあまり好きではないから容器を持って差し出したが、哲は受け取る素振りを見せず、煙草を銜えた。
「レーションだと思って食えば」
「何でこんなもの買ったんだ」
 テーブルの上に容器と読んでいた本を置く。バイト帰りの哲は少し疲れた顔をしていたが、どうしても糖分が必要なほど疲労しているようには見えなかった。
「買ってねえんだわ、それが」
「そうなのか」
「そう。煙草買いに寄ったんだよ、コンビニに」
 哲は灰皿を取ってくると秋野の隣に腰を下ろし、スニーカーを脱ぎ、ソファの上で片膝を立てた。
「そんで、店出たら学生が立ってて」
「女子高生?」
「なんで女子高生限定だよ。高校生じゃねえし。つーか多分学生。それに、男子」
 哲は灰皿に灰を落としながら欠伸をし、煙草を持つ手を天井に向けて伸びをした。
「なんか見たことあるから近くの店でバイトしてるとかそういうんだと思うんだよな」
「それが何でお前にコンビニスイーツをくれるんだ?」
「俺が訊きてえよ。なんか勝手に押し付けて走ってったし。それで帰り道ずっと考えてて」
 哲が吐いた煙がゆらゆら揺れている。秋野はサイドテーブルに置かれたスイーツに目をやった。細かく切った栗の甘露煮、餡子に白玉、生クリーム。ダウンライトが反射して、プラスチックの蓋がオレンジに見える。
「俺が甘いもの好きじゃねえって知ってて、あれかな、果たし状みてえな?」
「……果たし状……」
「違うか」
 哲は残念そうに舌打ちした。
「お前はどうしてそうなんだ」
「じゃあ何だっつーんだよ」
「普通甘いものを買い与えるっていうのは好意の表れじゃないのか?」
「与えるって、俺は犬か」
 犬みたいにぐるぐる唸り、錠前屋は煙突みたいに煙を吐いた。
「いや、考えなかったわけじゃねえぞ。てめえとか伊藤とか……あと、あのコインランドリー野郎みたいな例もあるからな」
「あの俳優と一緒にするなよ」
「うるせえな、今そこは問題じゃねえ。好意を示すっていうならあれじゃねえ? もっとこう、照れるとか、少なくとも多少はなんかあんだろ、誰が見ても分かるなんかアレ、何ての? いや、分かんねえけど、なんかがよ」
 何を言っているかさっぱり分からないが、しかし言いたいことは理解できる。
「ああ──、まあそういうのが一般的だとは思うが」
「だけど全然、全っ然そういう顔してなかったんだぜ? 喧嘩売りに来たツラだった、あれは完全に」
 哲は煙草を揉み消し、身を乗り出してスイーツの横に灰皿を置いた。
「だからやっぱ果たし状じゃねえかと思うんだわ」
「──そうかもな」
「マジで? いや、けど、くそ。未成年はちょっと殴れねえな」
「何本気で残念がってるんだよ、馬鹿だね」
 哲の立てた膝を掴んで思い切り押す。バランスを崩した哲が逆に倒れたので、押した膝を今度は掴んで身体ごと引きずった。
 何しやがる! と喚きながら蹴りを繰り出してくるのを圧し掛かって防ぎ、腕を掴んで座面に沈めるように押さえつけた。
「退け! 重てえ!」
 文句を垂れている顔はそれこそ「全然そういう顔」ではない。
 それでも哲はここに来た。秋野と同じベッドで眠り、夜が明ける前の薄青い部屋で秋野の名前を掠れた声で口にする。
 だが、指摘するのはやめておいた。気付いたところで哲の行動に変化はないだろう。スイーツをくれた学生に哲が興味を示すことはないだろう。
 分かっているが、それでも教えてやる気はない。
「分かりやすい果たし状をもらっても殴るなよ、犯罪者になったらまずいからな」
「だからやらねえって! ガキ殴っても楽しくねえよ」
「大人ならいいのか」
「殴り返してくるやつなら」
「まったく」
「うるせえな、重てえっつってんだろ、太ったんじゃねえの!?」
「失礼な。太ってない」
 真面目に言い返したら、哲はげらげら笑った。
「冗談だ、前から重てえよ」
「お前ねえ」
「なあ、なんか食おうぜ。甘くないやつ」
「んー」
「おい、こらクソ虎」
「うん?」
「俺を食うんじゃねえ、くそったれ!」
 生返事をしながら唇に食いついたら思い切り肝臓のあたりを殴られた。
 やっぱり俺の錠前屋は、コンビニスイーツとは程遠い。