23 洗濯機、コインランドリー、その後

 神輿を担ぐ祭のようだ。
 でかい洗濯機を運ぶ男たちを見て、秋野はそんなことを考えていた。
 思い立って電話をかけてから三十分しか経っていない。こんなときに今の仕事をしていてよかったと思うし、同時に馬鹿みたいな気分にもなる。
 依頼主が寝ているから静かにしてくれ、というオーダーは忠実に守られていた。音を立てないように階段を上ってくる男たちは、でかいベッドに埋もれるようにして眠っている男が依頼主で家主だと思っている。秋野がここに住んでいて依頼主も兼ねるとしたら、そこで寝ているのは一体誰だということになってしまうので、そういうことにしておいた。
 例えば掃除屋でここに来るのは、代表である柚木、それか岡本、志麻だけだ。彼らは信用しているからばれてもいい。
 だが、そもそも哲を見世物にする気はないし、正直に言ってしまえば誰にも見せたくない。
 コインランドリーの一件があったばかりの今日は尚更。
 足元から振動が伝わってきて、洗濯機が床に置かれたことが分かった。少し経ち、男たちが脱衣所から現れ哲には目もくれずに階段を降りていった。
 金属のドアが閉まる重たい音がするのを聞きながら、秋野は脱衣所に足を向けた。入口から覗き込むと、一人残った男が洗濯機の傍に蹲って排水ホースを床に取り付けていた。
「悪いな、夜中に」
「ああ、構わないよ」
 男は元々複合機をリースしている会社のサービスだった男だ。色々あって会社を辞めて、今は家電を中心に色々な商売をしている。専門だった複合機だけでなく洗濯機からエアコン、テレビ、パソコンと家電だったら何でも自分で取り付けする。秋野の懇意にしている電気製品の仕入先は色々あるが、設置を伴う場合は男に依頼することが多かった。特に自宅ともなれば、知らない奴には頼みたくない。
 やたらガタイがいいのは学生時代に柔道をやっていたからだそうで、今も手に持ったドライバーが頼りなく見えた。
「それより、ここ、お前が住んでるんじゃないのか?」
 男は螺子を留めながら秋野を見上げて眉を上げた。
「ああ、そうだ」
「……ふうん」
 男は少し考えるような顔をした後、にやりと笑った。
「依頼主様とやらに挨拶していくかな」
「寝てるよ」
「寝てたっていいさ」
 手早くすべての螺子を締め終えた男は工具箱を持って立ち上がった。
「顔を見るくらいいいだろう」
「駄目だ」
 にっこり笑った秋野の顔をまじまじと眺め、しまいに男は吹き出した。
「ケチだな」
「何とでも」
 名残惜し気に振り返る男を追い出して鍵をかけ、秋野は脱衣所に取って返した。点けっぱなしだった照明を消しかけて思い立ち、明かりはそのままに一階に降りる。カウンターの内側にあるキャビネットから付箋とペンを取り出し、短い文句を書いて上に戻った。
 鏡の上、ちょうど哲の目線の高さ。測らなくても分かる。ずっと前から。
 付箋を貼り終え、ベッドに歩み寄って腰かけた。哲はほとんど俯せになって、寝具に埋もれるようにして眠っていた。適当に乾かして眠ったせいで髪があちこち飛び跳ねている。削げた頬の横顔は相変わらず可愛らしさとは遥か遠いところにあって、眠っているのに今にも噛みついてきそうな剣呑さが漂っていた。
 出かけなければならない時間まで数時間。秋野はアラームをかけ、照明を落として哲の隣に潜り込んだ。

 

 

「あああっ!?」
 悲鳴というか咆哮というか、とにかく馬鹿でかい叫び声が聞こえて、秋野は中二階を見上げて首を捻った。
 風呂に入っているわけではないからすっ転んだということもないだろうし、虫が出たからと言って大騒ぎする錠前屋でもない。洗濯するとか言っていたが水漏れでもしていたのだろうかと思いながら冷蔵庫を開けた。ミネラルウォーターのボトルを取り出していると、階段を下りる足音がして哲がキッチンスペースに飛び込んできた。
「てめえ!」
「水が欲しいのか?」
「ああ!?」
 青筋を立てているところを見ると違うらしい。
「何だ」
「洗濯機!」
「うん?」
「だから、洗濯機が設置されてんじゃねえか!」
「いつの話をしてるんだお前は?」
 コインランドリーの諸々があったのは二週間程前。秋野が知人に頼んでドラム式洗濯機を据え付けたのはその日の深夜だった。
「大体、洗濯するって言ってたんだから洗濯機があるのは知ってただろ」
 ボトルのキャップを捻って水を飲む秋野に詰め寄った哲は、忌々しそうな顔で秋野を睨みつけた。
「知ってるに決まってんだろ!」
「ああ、そうか。だったらどうした」
「──夜中だよな?」
「はあ?」
「だから! 朝起きたらてめえはいなくて洗濯機があったっつーことは」
「ああ……いつ設置したかってことか?」
 哲が何を言いたいのかようやく分かって、秋野はつい頬を緩めた。にやけた秋野を見咎めた哲が素早く足を蹴り出してきたが、来ると思っていたから軽く躱す。
「今頃何を言ってるんだ、馬鹿だね」
「うるせえ、思い至らなかったんだよ!」
「お前が寝てる間に手配して届けてもらった、早朝じゃなく夜中にな。心配しなくても、設置業者は住人の寝顔を見物したりしない」
 気になってるのはそこじゃねえ、とか思っているのに、何となく言い出せないのだろう。哲は、男に抱かれることをこだわりなく受け入れられるタイプではない。支配されるのも降伏するのも嫌いで、そこらの男より余程雄の本能に忠実な生き物だ。他の男の縄張り──しかも寝床で、無防備に熟睡しているところなんて誰にも見られたくないに決まっている。
 暫しの沈黙の後、舌打ちした哲は不意に踵を返し、足音も荒く中二階に戻って行った。
 哲がここに越してきて数ヶ月。哲の見た目も雰囲気も以前と特に変わらないと断言できる。にもかかわらず、同時に何かが変わったようにも感じていた。そのせいなのか、どこかの怖いもの知らず──そうでなければ怖いもの見たさの──男がすり寄ってきたのは、ちょっとした驚きだった。
「……目を覚ましてても案外無防備だからな」
 無防備は無垢や無力とは違う。意に染まないことはしない、強制されても屈服したりしない、それができるだけの力があるから錠前屋は無防備なのだと分かっていても。
「哲」
 階上の哲に声をかけながら、ゆっくりと階段を上る。
「依頼主と家主はお前だって言ってあるから──」

 誰にも触らせたくないし、見せたくない。
 そのためなら洗濯機だって買うし、売れない俳優の身元調査もするし嘘も吐く。何ならそいつをバラして捨ててきたっていい。
 お前が望めば何だって。
 望まなくたって、何でもするって、知ってるか?