11 君の対応は

「なあ、女と身体が入れ替わったら、とか思うことあるか?」
 ソファの上でスマートフォンの画面を眺めていた哲が突然そう訊いてきた。
 階下から上がってきたところでわけの分からないことを質問され、秋野は面食らって立ち止まった。
「ない。何だいきなり」
「いや、浩太がなんかちょっと前のアニメ? よくわかんねえけど見たかとか言ってきて。自分の中で再ブームなんだとさ」
 哲が口にしたのは、数年前に流行したアニメ映画のタイトルだった。浩太というのは以前哲が車のインロックを解除してやってから懐かれている相手で、高校を卒業して今はデザイン系専門学校に通っているらしい。
「ああ……聞いたことあるけど内容までは知らないな」
「俺も。そんでそう返したら信じらんねえとか観るべきだとか言ってあらすじ載ったサイトのURL送りつけてきやがった」
「ふうん。で、どんな話なんだ」
「なんか男子高生と女子高生の身体が入れ替わってなんとかかんとか」
 特に興味が湧かなかったのだろう、哲の説明は酷く適当だ。
「多分なんとかかんとか部分が大事なんだろうな」
「知らねえよ。まあとにかくそんなんだってよ。ハタチくらいならまだときめくのかもしんねえけど、この年になって女と身体入れ替わってたらと思うとぞっとして観る気が起きねえわ」
「何でだ」
「だってお前、野郎ならいいけど女はまずいだろ! うっかり便所とか風呂とか入ろうもんなら見えちまうんだぞ。意識のねえとこで勝手に見んのは失礼千万だしお前、んな高校生同士のちらっとかはいいけどよ、俺がやったらセクハラだぞセクハラ! つーかセクハラで済めば寧ろ御の字じゃねえか」
「……どうしてお前はそう色んな意味で年寄りくさいんだ」
「うるせえ」
 秋野を睨んだ哲は銜え煙草で画面を操作していたが、浩太への返信が終わったのか、少ししてソファの上に薄っぺらな筐体を放り出した。
「だけど昔からよくあるネタってことは、まあ多かれ少なかれ人間にはそういう願望や興味があるのかもな」
「マジか。俺が朝起きて女になってたらてめえも喜ぶのか」
 哲は手を伸ばして煙草を灰皿に突っ込みながら言った。伸ばした二の腕に太い血管が浮いている。肉が薄い横顔も骨ばった首筋も、哲はどこからどう見ても男でしかないし、細身ではあるものの全体的な雰囲気は寧ろ標準より男くさい。
「お前みたいな凶暴な女は嫌だよ」
「だよなあ。俺も嫌だぜ、こんな女」
 哲はげらげら笑ってソファから立ち上がった。
「水取ってくる。いるか?」
「いや」
 秋野は階段に向かう哲の後姿に声をかけた。
「哲」
「ああ?」
「俺が女になったらお前も嫌なんだろ?」
「てめえみたいな性悪女は無理」
 肩越しに振り返った哲はそう言い捨てて階段を下りて行った。
 秋野はぶらぶらと手すり部分に近寄って頬杖を突き、キッチンに入ったらしく姿の見えない哲に言った。
「まあ嫌はいいとして、どうする?」
「はぁ? 何が!」
 キッチンから怒鳴り返す声が聞こえてくる。
「だから、俺が女になったとしてだぞ。お前が女版俺は嫌だっていうのは分かったけど、じゃあどうするんだ?」
「元に戻る方法がねえかググる!」
 秋野は、キッチンから出てきてこちらを見上げながらペットボトルを呷る哲の答えに思わず笑い声を上げた。
「ググって出てくるのか」
「知るかよ、クソ虎」
 階段を上り切った哲はソファの方に向かいかけ、気を変えたのかこちらに向かってきた。手すりを背にして向き直った秋野の胸倉を掴んで引き寄せ、唇に齧りつく。水で湿った口の中は濡れてひんやりと冷たかった。
 ペットボトルが床に落ちて転がる音がする。
 女でも好きになったなんて、そんなことはあり得ない。どちらでもよかったはずはない。
 硬い身体の感触も、うなじを掴む指の力も、噛みついてくる顎の力強さも男のものでしかなくて、だから錠前屋は俺の錠前屋なんだから当然だ。
「分かった分かった、どうやっても俺がいいんだな」
「うるせえ、黙れ」
 唸りながら、哲が秋野の脛を蹴っ飛ばす。腰を抱き寄せたら更に蹴られ、低い威嚇の音だけが広い空間に微かに響いた。

 そういうわけで、浩太のおすすめ映画が一体どんな内容なのかは結局ちっとも分からなかった。