05 クリスマスプレゼント

「それで、飾りつけは済んだの? 済んだわよね?」
「飾りつけ……?」
 銜え煙草のまま首を傾げたら、煙草の穂先が崩れて灰が散った。
 たまたま近くに来たから顔を見に寄ってみた、とバイト先の裏口に現れたエリは緑のスカートに赤いコートで、森の妖精のコスプレをした森のくまさんにも見えた。
「どこのだよ? 店か?」
「やっだあ、何言ってんのよ!? 今日、今日この日に飾りつけって言ったらクリスマス以外ないでしょうが! 秋野との! 愛の巣で過ごす初めてのクリスマスよ! ロマンチックなクリスマスデコレーションに決まってるじゃないのよう!」
「……」
「あっちょっと! てっちゃん! 何さりげなく逃げようとしてんのよっ」
「さりげなくしてねえし。じゃあな」
 店の裏口を容赦なく閉める。エリの声は「駄目よもう今日はイブなん」で途切れ、哲は小さく溜息を吐いた。

 

 哲は元来クリスマスというものに興味がなかった。
 勿論年齢が一桁の時代から今みたいだったわけではないので、小学生の時分は人並みにケーキやプレゼントを楽しみにしていたような気がする。
 だが、両親が離婚した後は、男親だけだったせいかクリスマスだからと言って特に何をした記憶もなかった。特別貧しくもないごく普通の父子家庭だったので、多分まめな父親ではなかっただけだと思う。
 ちょうどその時季に付き合っている女がいれば一緒に出掛けてプレゼントを買ったりしたことはあったものの、自発的に何かをしようとしたことは一度もなかった。
 ツリーも、ケーキも、プレゼントも、サンタもトナカイもきらびやかな雰囲気も、はっきり言って、まったくもって興味がない。
 クリスマスの雰囲気にはしゃぐ女は可愛いから好きだが、自分にとっては何の意味もないイベントだと毎年思う。
 それなのに。
 というか、それだから、というべきか。
 どうしてあの野郎には俺の嫌がることが的確に分かるのか、という絶望的な気分で、哲は一旦開けたドアを閉めた。何かが見えたわけではない。中二階の目に見える範囲には普段と違うところは何ひとつなかった。だが、やたらといい匂いが漂っていた。
 このまま知らない顔でトンズラしようと思って一歩下がったら、内側からドアが開いた。
「何で後ろに一歩踏み出してるんだ?」
「……」
「入口はこっちだぞ」
「……うう」
「唸ったって何を言いたいか分からんだろう、馬鹿だね」
 どう考えても哲の言いたいことが分かったはずの仕入屋は、唇の端を曲げてわざとらしく笑った。

 ついこの間搬入されたばかりのダイニングテーブルの上は、高級レストラン風に設えられていた。
 並べられた料理はそれこそ高級フレンチか何かのケータリングだろう。美味い飯が食えるのはいいが、どのフォークを使うとか、どのソースが何だとか面倒くさいことが色々とあるくらいなら、不味い蕎麦屋の方が余程いい。
 哲が遠慮なく寄せた眉間の皺に上機嫌になった秋野は──まったくもって根性が曲がっている──結局自分で箸を持ち出して来た哲が食事をしている間中にやにやしていた。
 エリが言っていたような部屋の飾りつけはなかったが、テーブルの上はスタイリッシュな食器やグラス、ミニツリーや松ぼっくり、背の高いキャンドルでやたらと眩しくて、正直、尻の据わりが悪いことこの上なかった。
 食い物に罪はないのでさっさと完食し、煙草を吸ってシャワーを浴びて出てきたら、その間に業者が来たらしく階下は綺麗になっていた。
「いつもの店でニラレバ炒めが食いてえ」
「食い足りないのか」
「腹は一杯だけど食った気がしねえっつの、てめえの訳の分からん演出のせいで」
 カウンターに座る秋野の横に立ち、秋野の銜えた煙草を勝手に取り上げた。秋野は煙を吐き、カウンターに肘をついて哲を見上げた。
「俺も別にクリスマスなんかどうでもいいが、エリから電話があってな。イブなんだからツリーとかクリスマスディナーとかそういうのを用意しろってうるさいもんだから」
「……あの馬鹿……」
「気に入らなかっただろ?」
「お前な、俺が気に入らない前提で用意すんのやめろ」
「お前が嫌がるのが楽しいんだから仕方ないだろう」
 哲から煙草を取り返して銜えた秋野は、隣のスツールを掌でぽんぽん叩いた。
「まあ、そこに座れよ」
「俺は犬か。何で」
「何でも」
 顔をしかめつつも、立っていなければいけない理由もなかったから腰を下ろす。秋野は逆にスツールから尻を浮かせるとカウンターの向こうに乗り出し、長い腕を伸ばして哲の見えないところから何かを取り出した。
「おい……勘弁しろって」
 秋野が取り出したのは、全長十五センチくらいの箱だった。臙脂色の包装紙とくすんだ金色のリボンで美しく包装されていて、誰がどこからどう見ても所謂クリスマスプレゼントというやつだ。
「──何だ、一体」
「何をそんなに怯えてるんだ。噛みつきゃしないよ」
「いや寧ろ噛みつかれた方がマシっていうか!!」
「エリが言うには、クリスマスプレゼントは絶対に光物か、身に着ける物らしいぞ」
「要らねえし光物! 無理!」
 銜え煙草のまま人の悪い笑みを浮かべ、仕入屋は哲の手を無理矢理取って、その上に箱を置いた。
「まあそう言うなよ」
 秋野の手が離れた途端、掌にずしりと重みが伝わって来て、哲は思い切り安堵した。
 さすがに秋野がアレとかソレ──具体的に想像するのも嫌だ──とかの光物を寄越すとは思っていないが、誰でもトチ狂うことはあるから油断はできない。
 しかし、この重さなら間違いなく身に着けるものではないだろう。
 思わず吐き出した長い溜息がどういうものか分かっているからだろう、秋野は声を上げて笑い、馬鹿だね、と言って哲の頭を引き寄せ髪に口付けた。
 鬱陶しいので秋野を押しやって、それでもやはり渋々リボンに手をかけた。プレゼントなんて欲しくない。どうせ嫌がらせに決まっているのだ。

「……」
「もしかして、持ってるか?」
「ああ? ああ、いや──持ってはいねえ」
 箱から出てきたのは、ごつくて茶色っぽい色の鉄でできた南京錠と、セットになった数本の鍵。テレビか何かで哲も見たことがある、インドのからくり錠だった。
「この間仕事で使った骨董屋でたまたま見つけたんで買っておいた。どうせすぐ開けられるだろうけど、好きだろう? こういうの」
「あー……」
 ただ礼を言えばいいだけだと分かっているのに、何故か、どうしていいか分からなかった。
「うん?」
「ええと、ありがとう」
「どういたしまして」
 何でもない顔をしてそう答えると、秋野は煙草を灰皿に放り込んで立ち上がった。シャワーでも浴びるのか、階段を上がっていく背中を見送り、哲はカウンターの上に置いたままだった包装紙とリボンを手に取ってひとつにまとめた。
 秋野の目のように、金のリボンがライトに当たって控えめに煌く。
「何だって──何なんだよ、まったく」
 頭を抱えてカウンターに突っ伏した哲の耳が若干赤くなっていたのは、本人を含め、誰も知らない。