日曜の夜

「くそっ……いい加減に……っ!」
 哲の嗄れた声にも、秋野は反応しなかった。いい加減悪態にも慣れているようだし、何よりこいつには容赦というものがない。普段、他人に対するあの穏やかさはすべてが嘘なのかと思いたくなるほど、哲に対しては凶暴だ。
 本来、それは望むところではあるものの、こういう場面では時に辛いこともある。勿論辛いのは肉体で、心情的なものではなかったが。
 いい加減にくたばっちまえ、この馬鹿野郎、と言おうとした。しかし苦痛の余り飲み込んだ先は、喉の奥に絡まった。
 まったく、同性の中に好き好んで男に突っ込まれたいと思う人種がいるなど、理解できない。嗜好は嗜好で否定はしないし偏見もないが、とにかくこれは辛すぎる。前立腺が何だってんだ。冗談じゃねえって。
 時折、ふと思い出したように快感に呑まれることもないではないが、それは全体の時間からすると半分にも満たない。いくら興奮していようが喧嘩のつもりでやっていようが、苦痛は苦痛、誰も自ら望んで辛い思いはしたくあるまい。
 自分がいつもどうやって最後まで辿りついているのかもよく分からないくらい、それは苦痛と不快感と隣り合わせだ。
 それならば何故容認するのかと聞かれれば、相手の強さとぶつかってみたいという単純な理由しかなく、殴り合えば済むところを何故抱き合うのかと問われれば、確かに自分と秋野は歪んでいるに違いない。そこに歪んだ愛情がないことだけが救いだし、そうなったら気色悪くてやってられねえ、というのが哲の正直な胸のうちだった。

 

「余り噛んだら顎に悪い」
 歯噛みする哲の顎に手を添えて、秋野が言う。余計なお世話だ。痔の危機の上、顎関節症の危機まであるのか。まったく、それでもこのクソ馬鹿とやる価値なんか、あるのだろうか。
 声を出すのも億劫で、睨み上げて髪を掴むと頭を振って払われた。獣のように黄色く光る双眸が、笑っているように細められる。きっと、笑っているのだろう。むかっ腹が立つ。殴りつけてやりたい。そして憎たらしいことに、そうなればなるだけ、哲が興奮することを秋野はきっと知っている。
「この、……くそったれ」
「——褒め言葉か?」
 秋野が動くと、目の前が白くなる。喉が張り付き、喘息持ちのガキのような息が漏れる。唾を飲み込むことすら一仕事、ホノルルマラソンで死にそうなジジイ走者になった気分だ。
 この先大腸ポリープなんかが出来ないことを信じてもいない神に祈った。必要以上に何かを突っ込まれんのはこれ以上、一切ご免被る。大腸癌で死ぬくらいなら絶対に肺癌で死んでやる。
「あ……? 何だって——?」
 何を言われたのか聞いていなかった。訊き返すと、秋野が耳に顔を寄せる。
「褒めてるのか、って聞いたんだ」
 吹き込まれた低い声と生温い呼気に、背中が粟立って仰け反った。腹いせに掌の付け根でこめかみを殴りつけると、秋野の上体が勢いで前に倒れた。結果、結局強引に体を進められることになり、哲は本気で天を呪った。畜生、まったく、この世は神も仏もねえのか。
——まあ、そんなもんがあるわけねえか。あっても頼るわけでもない。
 見上げた秋野のしかめ面は、今の掌底が効いたことを物語っていた。思わず口の端を吊り上げた哲に無言で覆い被さり体を固定する。
 何だって、やってることは動物と変わらない。喧嘩して、食って、眠って、貪り合って。せっかくバイトが休みのこの時間、もっと有効に使えない自分の阿呆さに溜息が出る。
 いつか愛情に変わるなんて、そんなもんじゃないし、なったら困る。お互いの牙を研ぎ、いつか心臓を抉り出せればそれでいい。日曜の夜の、殺伐とした過ごし方。まあ、これはこれで悪くもないか。
 せわしなく吐き出される息の合間。低く、聞き取れないほど微かに。
 哲の口から漏れた言葉に、秋野が残酷な笑顔を見せる。汗で湿った哲の額に、秋野が恭しく口付けた。