暴力ノススメ

 哲は機嫌が悪かった。自分でも分かっているが、どうにもならないのだから仕方ない。
 秋野に向ける刺々しい視線は決して正当なものとは言えないが、どのみちそれを気にするような繊細な奴じゃない。寧ろ喜んでいる節さえあるから、気に病むことはないだろう。

 

 先日祖父の知り合いから持ち込まれた仕事は、哲にとってかなり楽しみなものになる筈だった。新しくはないものの、そこそこ値の張る防盗金庫。何を盗るのか知らないが、時間はたっぷりあると言うし、久々の大物に哲は舌なめずりせんばかりだったのだ。
 どこかの誰かが金庫をそっくり持って行ってしまうまでは。
「まだ怒ってるのか」
「別にお前に怒ってるわけじゃねえ」
「知ってるよ」
 一日中部屋で苛々していた。しまいには家の中のものを壊しそうで、当てもなく中心部をぶらぶらしてみた。そうしたら目の前にこの野郎だ。今日もまるでついてない。
「用事がないなら付き合えよ」
「ごめんだね」
「そう言うなよ。晩飯でも奢ってやるから機嫌直せ」
「飯は食うけど機嫌は直らねえ」
 鼻息も荒く断言する哲に、秋野は苦笑して肩を竦めた。
 大体盗みに入ろうとしている場所に他の泥棒が先に入ったと言うのは間抜けな話だ。祖父の知人は地団駄踏んで悔しがったが、哲も悔しさでは負けなかった。
 その会社の金庫は、計画実行の二日前、先を越したご同業に丸ごと盗まれたのだ。最近その手口が多いから、金庫を床に固定するのは殆ど常識になっている。しかしその会社では、こんな重いものを誰が持っていくのかというくらいの考えでいたらしい。
 盗もうとする者にとって、重いくらいは何でもない。世の中いくらでも便利な器具はあるのだし、リースだって簡単だ。まったく、無用心にも程がある、と自分の行為を棚に上げて哲は思った。
 そんなわけで哲は欲求不満の塊となり、秋野はにやにやと笑って哲の顔を見ていた。

 秋野は若者だらけのファッションビルのすぐ隣、聞いたことのある名前のセレクトショップに入って行った。秋野は別に若くはないが、着ている物はカジュアルなものが多いからそういう店が似合わないわけではない。どちらかと言うと、店の人間と言っても通るかもしれない。
「服でも買うのか」
「いや、財布」
 秋野は店の真ん中のガラスケースの前で立ち止まった。四角柱型のそのケースには、財布やら指輪やら、要するに男性向けの細々とした物が飾られていて、秋野は興味なさそうにその中を眺めている。
「小銭入れるとこに穴開いたから、買おうと思って」
 欲しくて買いに来たわりには、秋野はどうでもよさそうな顔をしている。洒落た格好をするわりに、実はそれほど拘りもなければ執着もない、というのが秋野の変わったところだ。センスは良くても、それをよかったと喜ぶ気持ちは薄いらしい。背が高いからサイズの問題で服を買う店は選ぶらしいが、小物に身長は関係ない。
 どうせこの店も近いから、とか、目に付いたから、と言ういい加減な基準で選ばれたに違いなかった。
「何かお探しなんですかぁ?」
 哲くらいの若い女の子が秋野の傍に寄ってきた。どうやら店員らしいが、最近は客なのか店員なのかよく分からない。彼女は次に哲の顔をみてにっこり笑った。頭のてっぺんで団子状にまとめた髪型は珍妙だが、なかなか可愛い顔をしていた。
「お財布」
 秋野は低く柔らかな声で、短く言って優しく笑う。女の子は秋野の薄茶の目を見て頬を染め、満面の笑みになった。この野郎はこうやって女を釣るのか、そうかそうか。哲は余り見たことのない秋野の“にっこり”にぞっとしたが、黙っていた。
「こちらなんかどうですかぁ? あと、こっちもお勧めですよー、白もすっごく人気あるんです。現品になっちゃうんですけどぉ」
 彼女はガラスケースの鍵を開けてこげ茶色と白の二つの財布を取り出し、語尾を上げる喋り方で説明し始めた。秋野は顔は笑っているが、余り聞いていないのは哲の目には明らかだった。哲は一生懸命な彼女に何となく同情した。
 結局秋野は散々説明を聞き(その間中熱心に聞いているフリをしていた)、白は汚れるからとか何とか言って焦げ茶の財布を選び、一緒にウォレットチェーンまで買わされていた。別にどうでもいいことだが、断るのも面倒臭いから言われるまま買っているだけだということに、あの可愛い店員が気付かないことを哲は祈った。
 店を出る秋野は案の定、チェーンは別に要らなかったのに、と呟いたが、ありがとうございましたぁ、と頭を下げる彼女には聞こえていないようだった。
「お前本当に質の悪い男だな」
「——褒め言葉と思っとく」
 にやりと口の端を歪めた秋野の横顔を睨み、哲は向かいから歩いてきたいかにもガラの悪い大きな二人組の男を避けた。そして、すれ違うその瞬間に、思いがけない言葉を聞いた。

 

「ったく、あの金庫ぶっ壊すのに散々手間食ったから」
「ヤマグチサンギョウは」
 ぼそぼそと小声で話す二人組は、哲を見ないで歩いていく。思わず立ち止まった哲は、自分の幸運に腹の底から感謝した。今日はついていないと思ったが、前言撤回、今日は滅茶苦茶運がいい。この幸運がこの虎野郎のせいなら抱きついてやってもいいくらいだ(嫌がられるだけなのは目に見えているが)。
「秋野」
「ん?」
 怪訝そうに振り返った秋野に背を向けたまま、哲は男達の背中を目で追った。ヤマグチサンギョウ——山口産業は、哲が開けるはずだった金庫の正当な所有者だ。
「さっき買ったウォレットチェーン、あれ貸せ」
「何で」
「いいから」
 言いながら歩き出した哲に首を傾げながらも、秋野はポケットに手を突っ込み、じゃらじゃら鳴るチェーンを引っ張り出した。哲の視線を追い、理由は分からないながらもこの先の行動を予測したのか短く唸る。
「血だらけにして欲しくない」
「血なんかつけねえよ。無駄に傷つけるのは趣味じゃねえ」
 哲は言いながら、秋野のチェーンを右掌の上で蛇のとぐろのように巻いていき、完全に握りこんだ。
「あいつら、金庫盗んだ奴らみたいだぜ」
「……お前が幸運なのか、あっちに運がないのか……」
 一瞬絶句した秋野が、目を眇めて哲を見る。哲にもそんな事は分からない。今確かなのは、人の仕事を横から掻っ攫った男が、しかも二人も目の前にいるということだけなのだ。
 哲は、拳を重くするために握りこんだチェーンの感覚に目を細める。薄く笑う哲に、秋野は呆れたように溜息をついた。
「お兄さん、暴力ですべてが解決するわけじゃないんですよ、世の中は」
「そんなこた知ってる」
 哲は細い道を折れた男達との間を大股で詰めながらそう吐き出した。
 そんなことは知っている。自分が間違っているのも知っている。世の中、暴力で解決することは皆無ではないが多くはない。
 だが、それがどうした。
 哲はこういう人間で、それを自分で悔いてはいないし、厭いもしない。もしもこれが悪だと言うなら、しっぺ返しも責任も、すべては自分が引き受ければいいことだ。
 一瞬振り返って秋野を見上げる。秋野の顔は、仕方ない、好きにしろと言っていた。ふざけるな。お前の許可がなくたって、俺はしたいようにする。哲は男に声を掛けた。振り返った男二人に笑った自分の顔が、浅ましいならそれでもいい。
 先ほどまでの苛立ちを完全に忘れ、哲は上機嫌で頬を緩めた。握りこんだ拳の中の金属が、がちりといびつな音を立てた。