エロセリフ7題で仕入屋錠前屋

01.来いよ

「——わかったよ、うるせえ奴だな。来いよ」
 露骨に嫌な顔をしながら、哲はそれでもそう言った。
 人気のまるでない寂れた地区の貸し倉庫は、僅かに黴臭い。運び込まれた幾つかの金庫を開けた錠前屋は、普段よりほんの少しだけ機嫌がよかった。
 それでも不機嫌に歪められた肉の薄い顎の線が、何故か噛み付きたいという衝動を酷く呷る。肉の弾力のない哲の身体に歯を立てるのは嫌いじゃない。
 ポケットに手を突っ込んだまま立つ哲に近寄って、こちらも手を出さずに顔を寄せる。
「舌」
「……ああ?」
「舌、出せよ」
 哲のゆっくりとした呼吸音が微かに聞こえる。
 心拍数は正常です。血圧は低め。平常心です。
 面倒臭そうに口を開ける哲との間を一歩詰めた。目の前に差し出されたそれを切り落として靴の踵で踏みつけてやりたいが、それはまたの機会に持ち越そう。
 舌を押し当て、舐めてやる。
「気色悪ぃ」
 吐き捨てられた台詞は無視して食いついた。
 唇には触れず、口外で絡み合うのは舌と舌だけ。
 ほんの少し離れた合間に、哲が忌々しげにコンクリートの床に唾を吐いた。

 ——何て奴だ。

 

02.お前にだけな

 十センチ。定規で実際に計ってみても、別に大した長さじゃない。それが身長になるとどうしてこうも大した差になるのか。それともそれは、歳の差なのか、経てきた人生の深さの差なのか。
 そこのところがどうも理解し難いと、いつも思う。覆い被さる秋野の身体は、横幅もないのに大きく見える。

 さっきは舌を食い千切られるかと思ったが、どうやら夕飯にはされずに済んだ。思い切り吸われるのは意外と痛くて腹が立つ。分かってないわけがないから、どうせわざとに決まってる。こいつはどうしてこう性根が曲がってるのか、女にはにこやかだし男にも穏やかだが、実際はどこまでも傲慢で自分勝手で腹黒くて質が悪い。
「舌が抜ける、馬鹿野郎」
「優しくされたいか? お望みなら幾らでも優しくするぞ」
「……下らねえこと聞くのはこの口か? ああ?」
 下唇に噛み付いてやったら、頭を振って外された。
「くそったれ錠前屋」
「むかつく奴だな」
 天井の高い倉庫の、上のほうに小さな窓がある。そこから見える空の切れ端は真っ黒で、月明かりも星明りも見えやしない。点滅する蛍光灯は広い倉庫のほんの限られた部分だけを照らしていて、秋野の顔は丁度薄暗がりの中に融けるように半分見えない。
 ざらつく塗料に覆われた壁が、シャツの上から背中に当たって気に障った。服の上から触れてくる骨ばった大きな手も、壁と同じで硬くて冷たい。こいつとやる時にいい雰囲気であるはずもないが、それにしてもこんな所でその気になるとは、いい根性だ。
「てめえはいつでも所構わずやる気になんのか」
「お前にだけな」
 両脚の間に入り込んできた身体に強く押さえつけられ、身動きできなくて頭に来る。規則正しい呼吸と冷静な薄茶の目。耳元に低く囁かれたわざとらしい台詞は、多分嘘か、そうでなければ思いつきに違いない。
「お前、思ってもいないことべらべら喋るの止めた方がいいんじゃねえの」
「思ってもいないことなんか言ってないがね」
 飽くまで惚けて肩を竦める虎男は、より一層体を押し付ける。しっかり勃たせているくせに、体温は高くない。まあ、人のことを言えた義理ではないが。
「面の皮が厚いってのは一種の特技だな」
「そう褒めるな」
 秋野の髪が首に触れる。空の色のような黒い髪が、頚動脈の上を微かに滑る。鎖骨を強く噛まれて、痛みに思わず舌打ちした。
「お前が欲しい。そう言ったろう」
 腿で巧く擦り上げられ、喉からおかしな音が漏れた。興奮してないわけじゃない。挿れて欲しいわけじゃない。叩き潰してしまいたい。
「お前にだけだ。哀しいかな、嘘じゃない」
 にやけた笑いを唇の端に載せながら、秋野は腰に手を回す。

 

 くそったれ仕入屋が。

 

03.待てない

 イラついて歯軋りする哲を見るのは悪くない。ぎらつく目で、気の弱い年寄りならそれだけでぽっくり逝きそうな顔をされるのも。
 要するにセックス自体に、深い意味はまるでない。勿論したくてしてはいるが、それより何より、手っ取り早くこういう顔をさせるには、嫌がることをするに限る。それだけだ。
 案の定、手塚辺りが見たら走って逃げそうな目付きの哲は、前髪の間からこちらを睨み上げてくる。その迫力はなかなかで、そこいらの安っぽいヤクザ程度なら箸にも棒にもかからんだろう。
「——お前は盛りのついた十代のガキか。こんなとこで立ったままかよ」
 低く唸るような威嚇の響きと険しい顔に、知らず頬が緩んでしまう。そういう顔をする、こいつが悪い。分かっていてもするのだから、俺はちっとも悪くない。
「文句あるか?」
「あと一時間くらい待てねえのか」
「待てない」
 嘘だ。
 本当はしなくたっていい。このまま殴り合うというのにもかなり惹かれる。何事もなく終わったって、正直言えば構わない。それでも、手の中の不機嫌な野犬を引き裂くには、これが一番安易な手段だ。
 抱き寄せた腰の感触。肉の無い男の体の抱き心地ははっきり言って最悪だ。
 指で辿る、ジーンズに包まれた腿の線。食いついてくる歯の硬さ、面倒臭そうに寄せた眉の下、意外に長い睫毛の影。今すぐ叩き壊したいが、待てないなんてことはない。
「哲」
「何だよ」
 耳を噛み、舌と息と偽りの言葉をまとめてそこに押し込んだ。
「……待てない」
「嘘つけ、クソ野郎」

 唇を邪悪に歪め、哲が俺を嘲笑う。
 嘘をついて何が悪い?
「どうとでも」
 顎を掴んで思い切り食いついた。喉の奥まで舌を突っ込み、乱暴に抱き寄せる。
「くたばれ、秋野」
 しわがれた哲の声が、広い倉庫にやけに響いた。

 

04.俺が余裕に見えるのか?

 秋野の薄ら笑いと鋭い目付きに、肘の裏を強く押す親指の力に、鳩尾のあたりがひやりとする。
 酸素が固まりになったように喉につかえて、呼吸することが重労働だ。吸い込んだ僅かな息はしこるような胃の辺り、肺ではなくてそこに重く澱んでいく。
 これは、恐怖か。
 出会った頃によく感じた、謂れのない恐怖感は既に失せた。たまに見せる怒りの片鱗に寒気を感じることはないとは言えない。それでも、この男が日常というものに食い込んできた分だけ、恐怖は薄れたと思っていた。
 薄れたのではなく、麻痺しただけなのか。
 ざらりとした壁の感触。表面に浮いた砂か何かの細かい粒が皮膚の表面を引っ掻いて、意識を現実に引き戻す。
 哲の前髪を歯の間に挟んだ秋野が、軽くそれを引っ張った。
 犬がじゃれつくような仕草なのに、微笑ましさは微塵もない。
「明日は雨だったか?」
「知るか」
 いきなり発せられた問いは余りにもどうでもいい内容で、意味があるのか考えることすらする気になれない。多分、意味など何処にもない。
「空気が湿っぽい」
 冷静な顔で窓を振り仰いだ秋野の薄茶の眼が、蛍光灯のほのかな光に色を変えた。一瞬窄まる瞳孔の形すら見える、淡い虹彩。背骨を辿る細やかな指の動きとその顔は、まるで別人のものに見える。肌も息も湿っぽいのは、こいつの言うように雨の前触れなのか、それとも別の理由なのか。追求しても別に何の得にもならない。
「おい」
「ん?」
 どこか上の空で返事をしながら、秋野は器用に哲の服を剥いでいった。湿気を含んだ空気が直に上半身を包み込む。
「それほどやる気ねえなら止めろよ。俺は別に今ここでやりたいわけじゃねえ」
「待てないって言わなかったか」
「余裕に見えるぜ」
 秋野は目を細め、にやにや笑いながら低く囁く。
「俺が余裕に見えるのか?」
 黙っていると、歯が首筋にあてられた。あま噛みし、舌で探りながらながら下がっていくその途中、秋野は可笑しそうに何度も喉を鳴らす。ジーンズがまだ引っ掛かる腰骨に歯を立てられ、腹が立って頭を殴った。
「痛っ」
 それ程痛くなさそうな声を出すと、立ち上がった秋野は更に頬を歪めて笑みを作った。
「お前こそ、余裕じゃないか」

 

 一体、どこら辺がだ。
 哲は、詰まる喉にせり上がった声と吐き気をまとめて無理矢理飲み下した。ジーンズの中に突っ込まれた骨ばった指と、目の前で光る悪魔のように恐ろしい二つの眼。
 秋野を怖いと思うことを、別に恥ずかしいとは思わなかった。このクソ男は、俺が怖がるに値する。
 ただ、余裕がないと思われるのがなぜだか癪に障っただけだ。
「そうかよ」
 心臓の裏側まで覗き込む秋野の瞳を睨み上げて哲は言葉を押し出した。
「——余裕なんか、すぐに根こそぎ食ってやる。……哲」
 囁く秋野のがさついた声、それはどこか切羽詰って嗄れていた。

 

05.入れてみろよ

 こういう倉庫で、人を殺してしまったことがある。同じようなコンクリートの床といい加減な塗装の壁、黴臭くて薄汚い倉庫の中。
 殺そうと思って殺したわけじゃない。俺はそこまで悪党にはなりきれない。ただ、若かったから投げやりな部分も大いにあったし、今より抑えの利かないところも確かにあった。

 

 日光が殆ど射し込まない室内特有の温度の低さを腕に感じる。薄ら寒い密室の中。熱くなった哲の掌が、俺のうなじまで温める。
 交わすべき言葉はなかった。悪態でも戯言でも——もし望むなら睦言でも——何でも言える自信はあるが、中身のない言葉を幾ら紡いだところで、別段楽しいわけでもない。
 哲の手が掴む首筋、抱いた硬い腰、布一枚隔てて押し付けた胸。触れる部分の体温と反比例するように、室温が下がっていくような、そんな気がした。
 壁と身体の間に挟むように覆い被さって唇を噛むと、皮膚が破れた。ごく少量の哲の血が、あの日の金属のような血の臭いを鼻腔の奥に甦らせ、首筋の毛が逆立った。今更。今更だ。理性は冷静にそう繰り返すが、心臓は不規則に駆け出し、哲が訝しげに眉を寄せて俺を見る。
「……何だ?」
「——何が」
 心臓の不審な動きを感じ取ったのか、野犬のような男は険しい目を俺に投げた。欲望に曇ったり、快楽に溺れたりすることのない冷めた目を、俺はこんなにも手に入れたい。
「さあ」
「それじゃ分からん」
「別にいいけどよ」
 何度か瞬きする間目を眇めて俺を睨んでいた哲は、興味が失せたのか、唐突に目を逸らす。まあ別にどうでもいいか、面倒臭えな、と。大方そんなふうに思ったに違いない。哲の視線は、適当に床に落とされた自分のTシャツに流れていく。
 哲の目の動きに、恐らくまるで意味はない。ただ、Tシャツは渋い赤だった。なんの冗談なのか、よりにもよって床に溜まった静脈血を思わせるその色合いに、忌々しさがこみ上げた。

 晒された下半身を再三指で辿る。手で追い上げ、最後まで座らせてやらないまま口でいかせた。嫌そうな顔をした哲は、その瞬間も、ちっとも気持ちよさそうには見えなかった。ただ、力の抜けた脚が時折かくりと崩れ、それを厭うように眉間に深い皺が寄る。
 支えようと伸ばした腕を払い除け、哲は両手で俺の頭を酷く手荒に引き寄せた。
「秋野」
 哲に名を呼ばれると、何ともいえない心地がする。
「入れてみろよ」
 冷めた表情で、面白くもなさそうにそう吐き出す。間近で睨み付ける目を見たまま、濡れた指で腸壁を探る。哲の口から微かに掠れた息が漏れた。
「……立ったままでいいのかどうか知らねえが、いつまでこのままでいりゃいいのか、……いい加減胸糞悪くなるじゃねえかよ」
 いつでもどこでも喧嘩腰のその男は、血のような色の上に立って傲然と言い放つ。
 こいつの足元に広がるかもしれない誰かの血溜まり。それはきっと、哲を悩ませたりはしないのだろう。もし哲がそれを選んだのなら、それが他人のものであろうが自分のものであろうが。
 こいつはきっと、後悔はしない。

 

06.イケるか

 気持ちよくて気持ち悪ぃ。
 乏しい語彙で何て表現すりゃあいいのか、考えるのさえ面倒臭え。
 背中は壁に擦れて傷だらけだし、さっき噛まれて唇も切れた。首から腰まで、馬鹿虎の噛んだ痕が幾つかある。
 身体に痣がつくくらい噛むってのは、結構な力がいる。女にやったらやれ暴力だ何だって、警察を呼ばれたっておかしくねえだろう。それを平気な顔してしやがるから、こいつは本当にクソ野郎だ。
 二日酔の朝のように、何度も吐き気がこみ上げる。胃がひっくり返るのは、悪心のせいか快感のせいか、どちらかと言えば前者じゃねえか。
「哲」
 今日、こいつは髪を喰いたい気分らしい。昔近所で飼ってた犬が、かまってやるとやたらと髪の毛を引っ張りたがったのを思い出す。人様の髪の毛にじゃれつきながら、犬と呼ぶにはあまりにでかくて危ねえ男は俺の名前を低く呼んだ。
 たった二文字、『て』と『つ』だけ、おまけに同じ『た行』で芸がねえ。それだけなのに、口が裂けても言わねえが、結局最後に勝てる気がしないと思うのは、一体何の冗談なのか。
 ああ、手近な形あるものなら、何でもいいからぶん殴って引き千切って踏みにじって壊してえ。
「…………」
 そう言ったつもりだが、口から出たのは意味のない掠れた声だけ。
「何だ」
 片眉を上げて訊き返す秋野の顔にどうにもはらわたが煮えくり返る。括約筋に力を入れてやったら、顰めた眉の下の薄茶が少し濃くなった。壁に押し付けられて持ち上げるように深く捻じ込まれると、益々吐き気が強くなる。
「まったく、……面の上に吐かれてえのか……」
「何?」
「——吐きそうだっつってんだよ」
「なぜ」
 仕入屋は首筋に寄せた顔を持ち上げて、訝しげに瞬きした。答えずにいると、諦めたのかどうでもいいのか、顔はまた伏せられた。

 こいつをよく知らない誰もが穏やかだと言うその顔の裏側で、本当は何を思うのか。人を殺したというその掌で、何人の傷を抱いてあやしたのか。
 飢えた獣が獲物を屠るように俺を責めるこの男の、どこかに隠れた脆くて繊細な一掴み。それはこいつの弱味なのか、それとも僅かばかりの良心なのか。舌の上に感じる金臭い血の味に、どういうわけか落ち着かない気分になった。
「きついか」
「当たり前、だろうが——」
 分かってるなら訊くんじゃねえ。どこまで底意地が悪いんだ、この馬鹿は。
「哲、」
「……なんだ、馬鹿男」
「イケるか」
 上辺の穏やかさも自分を見せないための優しさも何もかも取っ払ったこの男に執着するのは、嘘じゃねえ。剥き出しの牙と爪に煽られる闘争心も興奮も何もかも、俺は自分で責任を持つ。それが例えこいつの喉を食い破る結果になっても、俺は別に悲しくない。
 胸骨の上に痕を残す獣の唇。身体を濡らす唾液と精液。何もかもが愛や恋とは程遠く、笑いたいほど原始的だ。
 喰い込む奥歯に肋骨を噛み砕かれてもおかしくねえが、どうやら今はその気はないらしい。揺さぶられるたび、上擦る息が忌々しかった。むず痒いような、吐き気を伴う快感と、破壊衝動の波状攻撃。何が哀しくて、こんなとこで男にやられなきゃならねえんだか。時々無性に腹が立ち、次の瞬間どうでもよくなる。
「お前次第だ」
 突かれる合間、振り絞った声はしゃがれて、隙間風のように寒々しい。
「……いかせたきゃ、真面目に腰振れ、くそったれ」

 

07.お前には似合いの相手だろ?

 野性動物並みの勘なのか、それとも鼻か。
 雨が降るのかと言った秋野の台詞にさして意味はないと思ったが、結局雨は降り出した。耀司を通して借りたレンタカーの窓ガラスに、小糠雨が細かい水滴をびっしりと張り付けた。
 耀司との待ち合わせ場所に車をつけると、呑気な笑顔に出迎えられる。哲も免許くらい持っているが、さすがに運転したい気分ではなかった。どこからどう見ても本物の偽造免許を持った戸籍のない男は、ゆっくりとブレーキを踏み、さっさと運転席から降りていく。哲はシートを倒してふんぞり返った姿勢のまま、秋野と言葉を交わす耀司の姿をぼんやり見ていた。
 雨の降る夜の屋外は確かに暗いが、見えないほど暗くはない。秋野のジーンズの色が変わった腿の辺りとか、出掛ける前に比べてすっかり崩れた前髪とか。そんなものには気付かない幸せな耀司は、にこにこと笑って助手席のドアを開けた。
「哲、お疲れー」
「……よう」
「何、疲れてんね。大変だったの」
「まあな」
 身体を起こして右手の煙草を銜えると、耀司はちょっと首を傾げた。
「大丈夫?」
「お陰様で」
 不機嫌な哲の声に瞬きしながら、耀司は運転席に回りこんだ。短いクラクションと共に遠ざかっていくテールライトを道端にしゃがんで眺める。細かい雨に濡れた煙草の穂先が、光を徐々に失っていく。
「おい」
 離れた所に立っていた秋野が短く哲を呼んだ。顔は見えず、シルエットだけが雨の中に浮かんでいる。
「そんなとこにしゃがんでたら尻が濡れるぞ」
「るせえよ。今更どうでも同じだろ」
 鼻を鳴らすと、秋野が笑った気配がした。

 穿いたままの秋野のジーンズの腿に、哲の吐き出したものが流れて染みを作った。どうでもいいと思いながらも指摘すると、秋野はそれこそ「どうでもいい」と低く答えた。
「馬鹿が」
 哲の正直な感想に、秋野は薄笑いを浮かべて哲の顔を覗き込んだ。うっすらと汗の浮かんだ額に被さる前髪を憤りのままにぐしゃりと乱してやると、喉の奥を震わせて秋野は笑う。
「早く抜け」
「一人で立てないんじゃないか? ちょっと待て」
 哲が不満げに唸っても、秋野は素知らぬ顔でその体勢を変えようとしなかった。抱えられるようにして立っているのは事実で、いつもならすぐに出る手と足も、どうにも動かしにくくて腹が立つ。離れようと身体を動かすと、秋野が耳元で、わざとらしく囁いた。
「哲……入れたまま動くなよ」
「だから早く抜けっつーの」
「待てって言ってるだろう」
 哲の耳の裏を舐めながら平然とそう返すと、秋野はもう一度低く笑った。
 のらりくらりと哲の罵声と手足を躱した秋野は、その合間にあちらこちらに触れてきて、結局そのまま二回目に雪崩れ込んだ。長く激しい行為の結果、秋野のジーンズは腿から膝まですっかり濡れ、哲は背中が痛くなった。

 お陰様ですっかり体力を消耗した。何でお前はそうやって平気な顔でにやつけるんだろくでなしが、と胸の中で罵ってみる。実際の所、口を開くのすら面倒臭くてかなわない。
「——濡れついでに朝までやってみる?」
「死ね、阿呆」
 ふざけた口調でそんなことを言いながら、秋野が近づいてくる様子はなかった。お互い歩いて帰れる距離で、向かう方向は正反対だ。哲にはこのままもう一度抱き合うようなそんな気持ちは更々なく、それは秋野も分かっている。
 顎を砕いてやるには疲れすぎた。間近にいれば蹴りのひとつも入れてやれるが、こう離れていては脚も拳も届かない。くすぶる煙草を銜えたまま、湿り気を帯びた髪をかき上げる。
「とっとと失せろ、くそったれ」
「ご機嫌斜めだな。蹴られないうちに退散するさ」
 歩き出した秋野の姿が薄暗い街灯に照らされた。削げたような横顔が、ぼんやりとした明かりの下に浮かび上がる。身じろぎすると、噛まれた所が服に擦れて少し痛んだ。
「クソ馬鹿虎男」
 哲の低い声に振り向いた秋野は、唇の端を曲げて笑った。
「ああ、……お前には似合いの相手だろ?」
「よく言うぜ」
 吐き捨てた哲の言葉に眉を上げ、秋野は明かりの下で薄く笑う。光のせいで黄色く見える両の眼に、獰猛な色が見えた。
「まあ別に似合わねえとも、思わねえけどな」
 哲の低い声が、雨の隙間を縫うように響く。
「何が嫌って、てめえのそういうところが最悪にむかつくんだよ、俺は」
 秋野は僅かに目を眇め、哲の顔をじっと見た。
「やっぱりもう一回、やらないか」
「勘弁しろ。そんな気分じゃねえ」
 哲はそう吐き出して、消えてしまった煙草を噛んだ。まったく、冗談ではない。
 もしもそれが、色恋ならば。
「いいじゃないか。まだ、余裕だろう?」
 骨ばった大きな手。鉤爪を隠したその掌が、哲に向けて差し出される。しゃがんだまま睨み付ける哲の目に、秋野は片頬を歪め、食事の前の獣のようににたりと笑った。

 

「ここに来いよ、錠前屋。俺はまだ喰い足りない」