仕入屋錠前屋50 失われるものを恐れることはもう無い 3

 本当は、ずっと怖いと思っていたのだ。
 仕事や、家族や、友人や恋人、社会的信用、地位。同性愛者というだけで失うかも知れないものを挙げていけばきりがない。
 失うことばかり怖がって、足下を気にして歩いてきた。望みもしない容姿が分不相応な待遇の原因であると分かってからは一層。欲しいものなどない、失くすことなど恐れないと悟った気でいた。先日別れた男が言った、お前の顔が好きだったという台詞を無理矢理封じ込めようと、更に頑なに。こんな顔、若さも少しばかり小奇麗な顔も、早く失われてしまえば剥き出しの自分の価値が手に入ると、自分に必死で言い聞かせてきた。
 だが、「失くしたくない」と言う言葉とは、裏を返せばこの手にしたいという強欲の現れなのかも知れなかった。
 すべてにおいて自分とは違う秋野が同じように思っているというのは意外だったし俄かには信じ難かったが、何もその理由や、失くしたくない何かの種類や大きさまで同じ訳ではないだろう。そう思えば突拍子もない、とはいえない言葉は、いつの間にか腹の底に染みて行くような、そんな気がした。
「父親は母親の昔努めてた店の客で、彼女が妊娠したらさっさと逃げた。母親は俺が六つのときに育児を放棄して店のオーナーに俺を預けた。もう何を信じたものやら子供心に分からなかったよ」
 抑制された低い声が淡々と続ける。
「父親を探したいと思ったことは何度もあるが、母親は本当に何も知らなくてね。結局手がかりなんかなかったし、これからもないだろう。オーナーの家では大事にされて、俺も彼等が大事だが、それでも悲しい事に彼等は俺の親じゃないし、兄弟じゃない。そのうち女を好きになって一緒に暮らしたが、彼女はある日突然いなくなって、別の男の子供を抱えて帰って来た」
 優也は目を瞠ったが、秋野の視線は自分の長い指に落ちていて、秋野は優也の驚きには無頓着に語を継いだ。
「戻っては来たが結局俺のところには留まらなくて、子供も捨てて出てったよ。その子は今は幸せだし、あいつは結婚するって聞いた」
「そんな」
「俺も若かったからな。どこかで愛は永遠なんて戯言を信じてたのかも知れん」
 そう呟き、秋野は親指の爪で人差し指の爪を引っ掻いた。ほんの些細なその動作に目を留めたのか、連れの彼が僅かに身じろぐ。
「父親、女、なんでもそうだ。手に入れたくてじたばたしても欲しいものは手に入らないか、そうでなければいずれ失くす。始まりがあれば終わりがあると、多香子が消えたときにそう思った。だから、何も欲しがらなければいいんだってな」
 哲と呼ばれた彼が凭れた椅子のから背を起こし立ち上がった。席を外そうとしてくれたの明らかだったが、秋野は振り返ってどこに行くんだ、と声を掛けた。
「煙草」
 優也が見ていると、秋野にじっと見られて彼の顔がみるみるうち、不機嫌に歪んでいく。秋野は何も言わずただ彼を眺めていたが、優也の方に向き直って静かに言った。
「行きたきゃ行けばいい」
「死ね」
 優也が思わず目を剥くようなことを吐き捨て、彼は乱暴に椅子に腰を下ろして手近な机を蹴り上げた。
 幾ら仲が良くないとはいえ、他人に向って死ねとは。優也はさすがにどうかと思って眉を顰めた。馬鹿とか阿呆とか言うのはともかく、生き死ににかかわることを口に出すのは憚られる、と思うが、違うのだろうか。どんなに嫌いな相手にも、面と向って死ねとは言わない。メールにだって書けはしない。
 仲が悪そうだとは思ったが、そこまでとは思わなかった。ただ、言われてみれば剥き出しの敵意のような張り詰めた空気が常に二人の間にあるのは事実だ。暴言に驚く優也をよそに秋野は気にした風もなく、彼のことは忘れたように優也を見た。
「何も欲しいものなんかないって諦めたつもりでいたが、そうじゃない。俺はまた何かを失くすのを怖がって、無関心でいようと足掻いていただけだ」
「——秋野さん」
 口の端だけを引き上げる笑みは、多分外側だけのものに違いない。
「怖がってたのを認めるのは、それが例え自分相手でも本意じゃないからな。だけどな、優也。失くすからって怯えても、欲しくないって虚勢をはっても、結果は同じだ。始まればいつか終わるのは自分がどう思ってようと結局変わらん。ただ、終わり方には色々あるし、終わったところで別の何かが始まることもある」
「でも、いくら手に入れても、俺はただ生まれたとき偶然この顔だっただけで」
 呟く優也に困ったような笑みを見せ、秋野は前髪をかき上げた。こうして優しく笑うと、彼を好きだと思ったときの気持ちを思い出す。俺の顔を見ても何も言わなかった、そこが好きだとそう思った。そう思いながら、ゲイではない彼がせめてこの顔に惹かれてくれればと、そうも思った。
 椅子に深く腰掛けていた哲と言う人は天井を見上げ、つまらなさそうに息を吐いた。確かに、秋野の内心の吐露は単なる仕事仲間には退屈なものでしかないのだろう。がりがりと頭を掻く彼と一瞬視線が合う。射抜くような鋭さと仄見える凶暴さに、優也は慌てて眼を逸らした。
「じゃあ秋野さんは、今はどうなんですか? 失くすのが怖いって認めて、それでも何か欲しいものがあったら、どうやって自分に折り合いをつけるんですか? 俺は怖くて怖くて、足元ばっかり見てて、そんな自分が嫌で」
 靴の先をみながら問うと、秋野はそうだな、と低く穏やかに答えて少しの間黙り込んだ。実際は何秒かだったのだろうが、優也には酷く長い間に思える。何かが宣告されるのを、固唾を呑んで待っているようなのは何故だろうか。哲という人が寄りかかった背凭れが軋む音、秋野が吐き出す溜息の音に時間がまた流れ出した。
「——今は、欲しいものがある。けど、失くすかも知れんとか、失くしたらどうしようかとか、不思議とそういうことは余り考えないな。自信があるとかそういう意味じゃない。失くすっていうのは自分を主語にした言い方だが、あいつが俺の前から消えるとしたら、それは俺が失くしたんじゃなくて、あいつが望んでいなくなるときだと思ってるからかも知れない」
 優也の眼を見つめる他人と違う色の瞳には、強さが滲み出ているような気がして眩しかった。彼は誰かの前で泣いたりすることがあるのだろうか。弱さを曝け出してみせることがあるのだろうか。
「あいつがある日突然目の前から姿を消しても、俺は前の時のように自分を責めたりはしないだろうな。きっと、あれは自分がそうしたいからそうするだけで、ほんの少しだって俺に原因を求めることはないだろうから」
 あいつ、と呼ばれた女性の顔が、優也には当然浮かばない。秋野と別れる時に、自分が去りたいだけで、あなたには何の落ち度もないと言える潔さ。しかしそんな女がいるのなら、それこそ秋野に似合いな気がする。
 何故か涙が出そうになった。そんなふうに相手に委ねてしまうのは自分がないようにも思えるが、きっとそうではないのだろう。
 唇の片側を曲げるようにして笑い、秋野はデスクから尻を退けて真っ直ぐ立った。
「怖がってないふりなんかするな、優也。ゲイだってことは確かに現代日本じゃハンディキャップだが、俺に言わせりゃ不法就労外国人の息子で混血でおまけに戸籍がない俺よりかいいぞ。それにお前はそのハンディの代わりに綺麗な顔がある」
「秋野さん——」
「自分を嫌うな。可哀相だから」
 お前が好きにならなきゃ、自分自身が哀れだろう。肩を竦め、秋野は椅子から立ち上がった彼を促して優也に背を向ける。フロアの半ばまで行き突っ立ったままの優也を振り返ると、秋野はまた口を開いた。
「お前の顔、俺は好きだぞ。女ならよかったって本気で悔しかったからな、あの時」
 笑いながら手を上げ出て行く秋野に返す言葉も見つからなかった。女なら、という言葉が、本当なら胸を抉ってもおかしくないのにそうではなかった。
「ちょっと、何一人で泣いてんのよ!? ってあの二人は? ちょっと、どうしたのよ!!」
 オカマの大声が耳に響く。溢れる涙は頬を伝い、唇を伝って床に滴り落ちた。

 

 エレベーターで一階に降り、従業員用の裏口から外に出る。秋野は何も言わないし、哲も何も訊く気はない。
 先ほどの話が自分のことだというのは確かめるまでもない。自惚れているわけではなくて、煙草を吸いに行こうとしたら止めたときの秋野の顔が、そう言っていただけのことだった。秋野が何を考えているかはよく分かったが、だからと言って自分の立ち位置が変わるかと言えばそんなこともない。相変わらず秋野といるのは嫌ではないが、毎日同じ時間を過ごしたいかと問われればご免だし、寝るより殴りたいと思う気持ちに些かの変化もない。
 隣を歩く秋野の顔を一瞥すると、薄茶の目が僅かに動いてこちらを見る。片方だけ上がった眉が何だ、と訊いているのを無視して前方に視線を戻した。
 最前優也に語った秋野の親の話を思い返し、自分を嫌うなと呟いた秋野の言葉、あれはもしかしたら経験から出る実感なのかも知れないとふと思う。
 哲を抱きながら傍にいてくれと懇願した秋野の弱さ、くだらない冗談を言った哲を脅しつけた背筋が寒くなるような秋野の迫力。そして、失うのが怖くて欲しいと思うことを自分に禁じていたかつての秋野。どれもまるで別人の物のようでありながら、薄茶の瞳と同じように秋野を構成するひとつの要素に違いない。
 自分の体でどこが好きか嫌いか。そんなことは真面目に考えたこともない。良くも悪くも、人間の身体は骨と肉、水と血の集合体であって、それ以上でも以下でもないと哲は思う。
 ともに過す相手に自分の基準で美醜を問うのは当たり前だし誰だってそうするが、だからと言って本質を見ていないかと言えば決してそういうわけでもない。大抵の人間は、幾ら最初に美貌に目を眩まされてもそのうち内面に目が向くものだ。深く付き合わなければそのままかも知れないが、幾らかの例外を除けば関係が深くなればなるほど目鼻立ちは上っ面のものになる。
「お前は自分の身体のどこが好きだ?」
 まるで哲の頭の中を覗いたようなタイミングで秋野が問い、こいつなら出来かねんと呆れながら哲は一瞬考えた。
「——手、か?」
「ふうん?」
「別に好きってわけじゃねえけど、これがなきゃ解錠もできねし殴れねえし」
「……そこが大事なのか」
「そりゃお前、確かに蹴飛ばすのも嫌いじゃねえけど、殴るってのはこう」
「ああ、分かった分かった。お前の喧嘩談義はどうでもいい」
「うるせえ」
 苦笑する秋野につられて笑い、哲は秋野の顔に眼をやった。
 優也のように綺麗とは言えないが、整った顔立ちという意味では同類だろう。削げたような頬に濃くはないが彫りの深い造作、おまけに美しい色の瞳が嵌っている。手足も長く身体全体に均整が取れていて、一見瑕疵は見当たらない。
「ところで、お前にもコンプレックスってあるのか。身体の部品でって意味でよ」
 哲が問うと秋野は肩を竦めてあっさり答えた。
「ん? 目かな。母親が同じ色だし周りに日本人が少なかったからな、最初は気にもしてなかったが。尾山の家に行った後は耀司やあいつの親と違うって、子供心に悩んだもんだ」
「へえ。お前でもそういうふうに思うのか。人の心もあるんだな、馬鹿虎」
「今は違うがね」
「何で」
「お前が、俺の眼が好きだって言ったから」
 にたりと笑う秋野はとても善良なか弱い市民には見えなかった。所謂男前な顔立ちに刷かれた獰猛な笑みに眉を顰め、哲は歩道脇に備え付けのごみ箱を蹴っ飛ばす。
「言ってねえ」
 鉄板がへこむ音がして、秋野があーあ、とわざとらしい非難の台詞を口に出す。
「言ったよ」
「言ってねえっつーの」
「言ったと思うけどねえ」
「いつだよ」
「さあな」
 秋野はにやにやしながら煙草を銜え、立ち止まって火を点けた。ライターの火に照らされた伏せた瞼の色と、眉と睫毛の黒さが絵のように浮かんですぐ消える。ゆっくりと上げられた顔の中、黄色く光る秋野の眼は相変わらずの獰猛さで、優也を見ていた時の優しさは微塵も残ってはいなかった。
「言っても言ってなくてもどっちでもいい」
「何だよ、そりゃ」
 眉間に寄る皺を自覚しながら訊き返すと、秋野の口の端が曲がり、いつものあの笑みが口元に現れた。
 最初に会った時からそうだった。得体の知れなさでは人後に落ちず、その言動にようやく慣れた頃、また違う何かを開いた戸の隙間から見せる秋野。開けてしまった錠前を閉じるのは哲の仕事ではないが、時折そうしてやりたい衝動に駆られもする。
 これ以上、一体俺にどうしろと言う。
 秋野の要求はいつも傲慢で、そして僅かも容赦がない。去るなら去れと言いながら、それまでは決して手放さないと臆面もなく言った秋野に鬱陶しさが半分、頭に血が上るのが半分。囁く言葉が恫喝なのか睦言なのか、気付けばいつの間にか深みに嵌って、今更判断がつくものでもなかった。
「相変わらず訳が分からん、てめえの言ってることは」
 哲が呟くと秋野は声を立てて笑い、そうだな、と頷いて歩きながら煙草の煙を空に吐いた。
「飲んで帰る。哲、付き合えよ」
「別にいいけど——……あ、やべえ!」
「どうした?」
「エリのこと忘れてた」
 立ち止まる哲を見下ろし、秋野は一瞬固まって、次の瞬間げらげら笑い出した。
「お前、本気で忘れてたのか? おいおい、勝にあんまりだろう」
「って、何、お前は覚えてたのかよ」
「当たり前だろうが。優也の話し相手に丁度いい。俺達なんかより余程」
「……わざと置いてくるほうが性質悪ぃんじゃねえの……」
 秋野は一頻り笑い、哲の尻を蹴飛ばした。
「行くぞ」
 物も言わずに後ろ回し蹴りをお見舞いしたが、秋野はスウェーバックで軽く避けた。ただ、最後に伸びた足先に秋野の口元の煙草が吹っ飛んで、火の粉を撒き散らしながら地面に落ちる。
「煙草を粗末にするのは止めてくれよ。勿体ないな、まったく」
「っせえんだよ、馬鹿」
 秋野の左手が、哲の頭をぐしゃりと乱す。頭を振って手を避けると、秋野はまた喉の奥を鳴らして笑った。
「今頃保健室の先生よろしく青少年の相談に乗ってるだろ。職業柄あいつはそういうのが得意だしな、それに」
「それに何だ」
「邪魔なんだよ、はっきり言って」
 本気なのか冗談なのか一見まったく読めない笑みに、哲は呆れて溜息を吐き出した。
 七割冗談、三割本気。
 何となく分かるようになってきた自分が何故か可哀相で、肩を落として目頭を揉んだ。さっさと歩き出した秋野の背中を見つめながらその場に突っ立って、哲は腹の中の苛立ちを吐き出すように毒づいた。
「さっさと来い、哲」
 秋野が肩越しに哲を呼ぶ。行っても行かなくても多分秋野は気にしない。ここで哲が踵を返して去ったとしても、ああそうかと肩を竦めて黙って一人で行くだろう。
「命令すんな、くそったれ仕入屋が」
 秋野という扉をがんじがらめにしていた鎖。鎖の端にぶらさがっていた錠前を開けるのは、やってみれば造作もないことだった。ただ、それが何処にあるのか見えないだけで、錆び付いていたというわけではない。鎖の中から引っ張りだして、開けないでくれ、いや開けてくれとどっちつかずの声を張り上げるのを開錠したのは誰あろう自分だし、やりたくてやったことに今更格好や理由をつけても詮無いことだ。
 だから、穏やかな上っ面を捨てた秋野がなりふり構わず欲しいというのなら、自分の骨と肉の少しくらいは喰わせてやっても構わない。そのくらいの覚悟がなければ、この男の傍に立つことなど出来はしない。
 たった今出てきたビルを見上げ、電気のついた窓を探す。優也という青年は、怖がる自分を認められるだろうか。みっともなくてもいいじゃねえか、と内心呟いて歩き出す。例えばこいつは、みっともなく足掻きながら、俺が欲しいと言いながら、それでも結局自分勝手に生きている。
「どこに行く?」
 薄い色の眼を細め、一見優しく秋野は笑う。獲物を前に舌なめずりする獣のように自信ありげに、あるいは既に血肉に犬歯を突き立てた獣のように満足げに。深く底の知れない秋野の声が、風と一緒に哲の耳朶を掠めていった。

 

 

「信じらんない!!」
 耀司の家でソファに座った秋野と哲を睨みつけ、エリは憤慨、という言葉を絵に描いたように怒っていた。ミントグリーンにスパンコールで縁取られたブランドロゴが目にも眩しいTシャツが、その顔と相まってまるで凶器だ。
 秋野は明らかに反省していないが、表面上は神妙な顔をして座っている。優也の所へ放置した翌々日、耀司の家にいた秋野の携帯にお怒りの女王様から電話が入った。自宅で洗濯をしていた哲も呼びつけられて、一人傍観者の耀司の淹れたコーヒーを前に雁首揃えて座らされているというわけだ。
「あの後大変だったのよ!! 優也は泣いて泣いてもう止まらなくって、あんた達はそんな状態であの子放り出してくしあたしだって置いてくしさ!」
 耀司がそれは酷いねー、と呑気に発言し、エリに睨まれて口を尖らす。
「何だよ、勝。俺は関係ないじゃん」
「あんたなんて常に秋野と同罪よ。連帯責任よっ!!」
「悪かったな」
 微塵も悪いと思っていないくせに、秋野がしれっと謝罪する。エリは眉を上げて秋野を見ると、暫く黙ってやおら立ち上がった。
「もういいわよ、済んだことだし。じゃあ、あたしこれから優也と約束してるから行くわ」
「優也と? まだ相談か?」
 エリは顎を上げて秋野を見下ろし、横眼をくれながら口を開いた。
「散々話して、あの子うちの店で働くことにしたのよ。綺麗な顔を存分に生かすためにね」
 テーブルがずれ、コーヒーカップがソーサーに当たって喧しい音を立てる。思わずと言ったふうにソファをずらして立ち上がった秋野を睨んでエリはふん、と盛大に鼻を鳴らした。
「嘘に決まってるでしょ。ばっかみたい!!」
 足を踏み鳴らして出て行くエリの後姿を呆然と見送る秋野の魂の抜けたような顔に、哲と耀司は思わず吹き出す。我に返った秋野が忌々しげに眉を寄せ、どっかりと腰を下ろした。
「笑うな」
 ソファに深く身体を沈めた秋野は、低く短い悪態を吐く。耀司がコーヒー淹れなおすねと言って立ち上がり、哲は煙草に火を点けた。
 仏頂面の秋野を一瞥し、哲は笑う。
 耀司が淹れるコーヒーの香りが不機嫌な仕入屋と哲の周りに、穏やかに漂っていた。