仕入屋錠前屋44 ドラマティック・アイロニー 2

 哲に紹介しようとしていた男が地方に出張していたため、代わりを探したが、結果はあまり芳しくなかった。
 間の悪いときというのはあるもので、今使えるその手の業者は一人だけ、しかも腕はいいが変わり者で通っており、気が進まなかったが仕方がなかった。今日もまた美也のお守りがあるし、哲をそう待たせるわけにもいかないしで、秋野は不本意ながら目の前の男が手ずから淹れたコーヒーを啜っていた。
「どうしようかなあ」
 さも嬉しそうな顔で大きな声を出すと、男はカップをテーブルに置いて目を輝かせた。良くも悪くもない顔立ち、高くも低くもない背丈。痩せ型だが、痩せすぎということもない。
 年齢不詳のその男の容姿は、人ごみで見失えば最後、二度と見つからないのではないかと思わせるほど凡庸に過ぎた。
「勿体ぶるなよ」
「だってお前が俺に頼んでくるなんて、こんな楽しいことはそうないだろう。勿体ぶらなくてどうするの」
 実年齢は外見を裏切るようなそうでもないような、なレイはそう言って、子供のように意地悪く笑った。
 レイは日本名は怜、本名はレイモンドで、見た目は完全に日本人だが日本とフィリピンのハーフだ。それなのに何故イギリス風の名前なのかは謎なのだが。
 秋野とは子供の頃から知り合いだが、どちらかというと馬が合わない。決して嫌いではないし信用できる奴なのだが、お互いにとにかく波長が合わないというか、一緒に何かをすることはなかった。
 レイの母親はご多分に漏れずホステスで、一回り違うバツイチの客と結婚してレイを産んだ。それでも相手が一人っ子の資産家で、母親というのが気立てのいい女だったことから幸せな結婚生活は今も変わらず続いているというのだから幸運な話ではある。レイの母親は今や義父母の自慢の嫁で、レイは目に入れても痛くない可愛い孫だ。
「最近どうなの、商売のほうは」
「さあ、どうだかね」
「相変わらず何も喋らない奴だなあ」
「お前に色々喋るほど馬鹿じゃないんだよ」
 にっと歯を剥いて笑うレイに溜息を吐き、秋野は柔らかいソファに背を凭せ掛ける。上等なソファは、レイの経営する調査会社の応接室に馴染んでいた。狭いながらも清潔でモダンなオフィスは、まるでインテリア雑誌から抜け出てきたようで、受付の女の子はモデルのように長い足と白い歯を見せ付けていた。
「お前は儲かってるみたいだな」
「それなりにね。別にどっちでもいいんだけどさ、俺は」
 それより、と身を乗り出して、レイは上目遣いで秋野の顔を見た。レイは顔立ちは平凡だが、やはり至極真っ当な市民とは、どこか違う目つきをする。
「広井美也って子、連れて歩いてるって?」
「お前は街中に監視カメラでもつけてるのか」
「ふふ」
 秋野は渋面を作ってテーブルにワークブーツの足を上げた。勢いよく載せられた足を受け止めかねたテーブルはがたりとずれて、天板の端がレイの膝に当たる。顔をしかめたレイは英語の悪態をついて、涼しい顔の秋野を睨むと頬を膨らませた。
「下ろせよな、足。高いんだぞ、このテーブル」
「知ったことか」
「分かったよ、お前があの娘とどうなろうと俺の知ったことじゃないからもういいよ。だけどさあ、お前の趣味じゃないと思うんだけど、あの娘——」
 レイは早口でまくし立てたが、ソファに身を沈めた秋野に睨まれ、大きく溜息を吐いて口を噤んだ。
「わかった、もういいよ」
「頼んだからな、さっきの話」
「はいはい」
 秋野は立ち上がるとテーブルを足で元の位置まで押し戻した。レイは恨めしそうな顔をして横目で秋野を見ていたが、ドアを開きかけたところでまた声を掛けてきた。
「アキ」
「何だ」
「俺、本当にお前嫌い」
「俺もだよ」
 秋野が女に向ける甘ったるい笑みを浮かべて言ってやると、レイはうえー、と蛙が潰れたような声を出し、一瞬黙るとおかしそうに笑い出した。

 

 広井美也は秋野もよく知る男の身内であるというだけで、依頼を仲介した尾山は顔すら見たことはないらしい。その息子である耀司も美也の事は名前しか知らないらしく、彼女の顔写真を片手に溜息とともに首を振った。因みに昼間であるから、耀司はどこから見ても普通の男だ。
「何かさ、——月並みだけど、美人だね」
「ああ」
「これがあの三科善行の妹? 半分しか血が繋がってないっていったって、似てないにも程があるよ」
 耀司は写真を秋野に戻して紙袋をテーブルの上に置くと、ソファに凭れて短い髪に手をやった。真菜が切ったと言うが、なかなかどうして上手くカットされている。耀司は猫のような目を瞬くとコーヒーに口をつけた。
「善行に似てたら、幾ら仕事で尾山さんの頼みでも連れて歩くのは勘弁だな」
 秋野が三科の顔を思い出して眉を寄せると、耀司も渋い顔で何度も頷く。
「三科も顔だけ見れば悪くないんだけどねー。まったく、三科の親父さんはちょっと我慢が足りなかったよなあ。あとちょっと待ってれば立派な跡継ぎが出来たのに」
「まあ、今のご時勢ヤクザも楽じゃないからな」
 ソファに身体を沈め、秋野は天井に向けて煙を吐いた。

 三科善行本人はかつて一度もヤクザであったことはない。組長の一人息子、言わば仁侠映画で言うところの若、であったのだが、秋野が三科を知ったときには既に彼は元ヤクザの息子、であった。
 そもそも三科の父親が何代目かの組長を勤めていたのは規模の小さな穏和な組で、テキ屋に毛が生えた程度の寄り集まりだったらしい。遥か昔はそれでも結構幅を利かせたこともあったらしいが、広域指定暴力団もシノギのやりにくさと財政難に喘ぐ中、大きな組とは繋がりもない自分たちにはもう無理だとさっさと組を畳んでしまった。所帯が小さく暴力団的色合いが薄かったのも幸いしてか父親の興した会社は急成長し、息子の善行は今や道楽でダイニングバーが持てるほど裕福な「二代目」になった。
 その善行の父親が他所で作った子供が広井美也で、認知こそしていないものの、善行も十代の半ばには既にその存在を知っていたらしい。善行はそれこそ父親より余程ヤクザ向きの男だが、美也の事は猫かわいがりしていると言う専らの噂だ。
「で、いつまで付き合うんだよ」
「さあ? 俺の仕事じゃない。あくまでも頼まれたのは尾山さんだろう」
「それは、そう言えばお前が断らないって三科が知ってるからだろ。しかしさあ、性質の悪い男と付き合った妹の後始末までしてやるなんていい兄貴だよな」
「お守りまでつけてな」
「そうだよ。しかし、秋野にそれを頼むところがちょっとずれてるけどね」
 笑う耀司の足を軽く蹴飛ばし、秋野は不機嫌に眉を寄せた。
「うるさいよ」
「だってそうじゃん。しかも父親が外で作った子供だぜ?」
 秋野は静かに息を吐き、薄く漂う煙の流れに目をやった。確かに善行が腹違いの妹を可愛がるのは傍目には違和感があるかも知れない。だが、善行の気持ちには何の曇りもないらしく、ただ素直に妹が可愛いらしいのは話を聞けばよく分かった。
 自分とて、父親だという秋野某にとって一体何人目の子供なのか、彼には他に家族がいたのかいないのか、それすら定かではないのだ。自分の親、善行の父親、腹違いの妹。
 ——哲の母親。
 家族と言うのは何故こうも複雑なのか。
 目の前でコーヒーを飲む肉親のように大事な男には、恐らく一生分かるまい。秋野は永遠に理解してはもらえない内心をもてあましつつも、理解できない耀司を血の繋がった弟のように愛しく思う。
「秋野?」
「何でもない。——真菜によろしくな」
「うん」
 そっと閉じたドアの向こう、暖かな空気とコーヒーの香りは遮断され、冷たい外気が秋野の身体を微かに震わせた。