仕入屋錠前屋42 だめなおとな 2

「それでいいって……何がですか」
 仕入屋の言葉の意味を図りかねて馬鹿のように問い返した葛木に説明したのは仙田だった。安永のところと関わりのない、それなりに安全な仕事を仕入屋に探してもらったらいいかと思って、という仙田の話は、親切でこそあれ怒るようなことではないのだ、本当は。
 裏社会と言うほどの深みではなく、真っ当と言えるほど太陽の下でもなく。
 自分の立ち位置が微妙なのは分かっていた。どうしていいか分からずに、仙田のことを馬鹿だアホだと罵りながら居候の立場に甘えていたことも。
「俺は別にあんたも仙田もどうでもいいが、人に決めさせていいことじゃないんじゃないか。別にこのままこっちに残ることはない」
 仕入屋は目を眇めて葛木を見ながら煙草を一口吸った。その表情が、仙田を匿っていたあの男と驚くほどよく似ていて一瞬考えていたことを忘れてしまう。顔も仕草もまるで似ていないのに、どこか根本にあるものが似ているのか。怖い人達だと改めて思い、葛木はごくりと唾を飲んだ。
 仙田が困ったような顔をして手の中のカップを弄り、仕入屋は黙って煙を吐く。
「……だけどさあ」
 沈黙に耐えられなくなったように不意に零れた仙田の小さな呟きが、仕入屋の吐き出す煙を揺らした。
「何だ」
「意外な感じ。あんたあんまりそういうこと気にしないかと……っていうか、葛木のこと知らないんだし、そんな心配」
「——どっちかって言うと向いてないように思えるって、……言ってたやつがいてな」
「ああ、錠前屋さん?」
 一瞬口ごもった仕入屋に仙田が言う。錠前屋と言うのが誰なのか葛木には分からなかったが、仕入屋は途端に忌々しげに顔を歪め、勢いよく立ち上がった。
「どっちの仕事も紹介出来る。あんたが望むほうを、どっちでも」
 長い前髪をかき上げつつこちらを向いた仙田が何か言おうとし、葛木の顔を見て口を噤んだ。

 

 それで結局この男からも何からも逃げ出そうと走り出し、自慢のはずの足の速さもあっという間に自慢でなくなり、路地裏でしゃくりあげている自分はどこまでも情けない。
「どうせ俺は、何やっても……」
「なになに、どうしたの葛木。ごめんね、俺別に恩に着せようとかそんなじゃなくて、ただ」
「いいんだよ! 俺なんかお前みたいに出来ることもないし——中途半端で駄目な奴なんだ」
「葛木」
「放っといてくれよ!! 帰れよ!!」
 子供のようだと思う。自分でも自分の幼稚さを痛感したが、どうしようもない。葛木の振り回した腕が屈みこむ仙田のどこかに当たったが、右手で顔を覆ったままの葛木にはそれがどこだか見えなかった。
 これだから俺は駄目な、大人とも言えない大人なのだと分かっているのに。分かっていれば欠点が直るというのなら、俺は今すぐ完璧になれるのに。
「もう、泣かないでよっ」
「っ!?」
 葛木は突然感じた圧迫感に声を上げたが、それはくぐもったおかしな音になって響いた。右手で顔を覆ったまま仙田の胸に抱きこまれてしまったらしい。らしいが、見えないので推測だ。宇宙人の本性を現した仙田が葛木を体内に取り込んだとか言うのでなければきっとそうなのだろう。
 息が出来ずに葛木がもがくと、仙田は益々腕に力をこめた。男が女を抱くのではなく、親が我が子を抱くように。
「偽造が出来たらなんか立派なの? 葛木って頭いいとは思わなかったけどそんなお馬鹿だとは思ってなかったよ、俺」
「——————!!」
「大体ねえ、あれ……葛木?」
「馬鹿野郎窒息死する!!!」
 腕の隙間をこじ開けて何とか緩め、顔を離して怒鳴りつけると仙田はきょとんとした顔で葛木を見た。葛木もつられて思わずその奥二重を見返すと、仙田はまた、困ったような顔をした。
「走るの早いね、葛木」
「……追いつかれたけどな」
 思わず声が低くなった葛木を怪訝そうに見やりながら、仙田はピアスのぶら下がる唇を開き、語を継いだ。
「ね、葛木さあ、偽造が出来たってね、いいことないんだよ。手に職って言えばそうだけどね、こんなの俺が挫折した証拠でしかないの。だから俺はこういう仕事しながら毎日自分に辟易してるわけ。自分のこと死ぬほど嫌いなんだよね、俺ってひとは」
 仙田の言う意味がよく分からず、葛木は眉を顰めた。こいつが自分自身を嫌いだなどと本気で思うと言うのだろうか。能天気ないつもの仙田からは、いまひとつ想像が出来ない。
「だけど」
「だけどじゃありません」
 仙田の刺青の入った腕が、葛木の身体に今度は優しく回された。もう一度肩に頭を押し付けられ、仙田のコートの染みを見て、葛木は自分の頬に未だ涙が伝っていることに気が付いた。鼻を啜ると仙田が鼻水つけないでねっ、と素っ頓狂な声を出す。
「つけねえよ、いちいちむかつく奴だな!!」
「ほんとにつけないでよー。絶対だよ。このコート気に入ってるんだからね。で、あれ? 何だっけ。あー、そうそう、あのね、葛木はだめなおとななんかじゃないよ」
「……」
 葛木の頭頂部に仙田の鼻と唇が触れている。吐き出される規則正しい暖かい息。葛木は酷く心細くなり、同時に訳もなく安堵して、強張った身体の力を抜いた。
「葛木には葛木のいいとこがあるでしょ。何か特別なことが出来たってね、他が全部駄目だったら意味ないじゃん。俺がいい見本なんだよー。駄目な大人の歩く見本、仙田次暢」
「ばぁか……」
「うん、俺は馬鹿です。知ってるよ。俺みたいにならないでね、葛木」
 相変わらずどこかずれた仙田の台詞を聞きながら、葛木は何かがほどけていくのを感じたような、そんな気になり、悔しいながらも仙田のコートの端を強く掴んだ。
 子供のように頑是無く泣き、挙句に宇宙人としか思えないとんちんかん野郎に慰められているなんてみっともないことこの上ないが、ほんの少しの間だけならそれもいいかと思える自分が不思議だった。

 これから一体どこに向かって歩けばいいか、何一つ見えていないのは同じだった。何も解決していない。誰も行くべきどこかに手を引いて導いてはくれないのだ。探すのも、決められるのも結局は自分一人なのだと、当たり前のことが今やっと見えた自分は、きっと仙田の言うように馬鹿なのだろう。
「離せよ」
 葛木が鼻の詰まった声で呟くと、仙田は明るい声を出した。
「ええー。いいじゃん、もう少し親友ごっこしようよー」
「お前なあ……もういいから」
「あ、なんかね、あっちで女の子達が……あ、俺達別にホモじゃないでーす! 傷心の友達を慰めてるだけだからねー! あれー、何で逃げちゃうのかなー、もう」
「いい加減にしろ! この未知との遭遇め!」
「それを言うなら遭遇したのは葛木でしょ。俺が未知ってことでしょ? しっかりしてよもう」
「自分で言うなー!!」
「よしよし、葛木はいい男だよ」
「はなせ————————―!!!!」
 最後にはいつものように本気で腹を立てて仙田を怒鳴り、仙田の可笑しそうな顔を見て葛木は心ならずも笑ってしまう。

 馬鹿で訳が分からなくて一本回路が飛んでいて、それでも自分より数段大人なこの男が、多分本当は嫌いではないのだ。
 分かっているがそうと認めたくないこの心情は、きっと誰もが理解してくれるに違いない。
「お前は駄目な大人なんかじゃねーよ」
 掌で涙を拭い、仙田を押し退ける。葛木を見下ろして、前髪の間の切れ長の目が面白そうに瞬いた。
「駄目な宇宙人だ」
「ええー。何それ。持ち上げといて落とすんだ。葛木意地悪いね」
「うるせ」
「どこ行くの、葛木」
「どこって……お前のとこ帰るんだよ」
「でもさ、そっちじゃないよ、俺ん家」
「………………………………」
 どこに向かうか見つかるまで。
 葛木はにんまり笑う仙田に向かってしかめ面をして見せた。

 

 だめなおとな同士、過ごしてみるのも悪くないかとそう思いながら。葛木は、佇む仙田の方に向かって小さく一歩踏み出した。

「ところで、錠前屋って誰」
「葛木も会ったことあるじゃん。俺居候させてもらってたひと。葛木が無様に蹴飛ばされ……」
「いちいち一言多いんだよ、お前はっ!!」
「曲がるとこそこじゃないよー、こっちだよー葛木ー」
「なんで曲がる前に言わねーんだよ!! 馬鹿仙田!!」