仕入屋錠前屋63 波乱の日 6

 乱暴にドアを開閉する音に秋野が形のいい眉を顰め、レイが腰を浮かせた。
 こんな夜中に依頼人でもあるまいし、と思いかけたところでドアが勢いよく開き、頭に包帯を巻いた男が飛び込むように入って来た。
「ぶっ殺してやる、てめえ!!」
 喚きながら乱入してきた男は、ソファに座っている人間が複数だと気づいた瞬間に動きを止めた。
 血走った目が忙しなく動く様は、情報を処理しようと動いている機械か何かの部品を思わせた。女が好みそうな、優しくて甘い顔立ちをしている。尖らせたような口の形は、今は単に不満気に見えるだけだったが。
「神田怜っていうのは……どいつだ」
「失礼ですが、どちら様ですか?」
 レイが何か言う前に、秋野が尋ねた。金沢は秋野の色の薄い目に驚いたような顔をして、勢いをどこにどうぶつけるべきか迷うように足を踏み変えた。
「もしかして、金沢さんですか」
 秋野が再度声をかけると、男は顎を引いた。恐らく頷いたに違いない。
 哲も、そして多分レイもそうだと思うが、頭の包帯を見た瞬間からそうではないかと思った。しかし本当に本人だと知って正直呆れた。
「何しに来たの、あんた」
 哲の声にそういう雰囲気を感じたのか、金沢の頬がぴくりと引き攣れた。秋野から哲に視線を向け、多少は組みし易そうだと思ったか、金沢は哲に身体を向けた。
 秋野は独特の眼の色と長身のせいか、あれだけ穏やかなふりをしていても、相手によっては威圧感を感じるらしい。哲に関して言えば、所謂ガンタレをしていない場合実際ほど危険には見えない、と高校時代からよく言われる。
「あんたが神田か」
「いや、それはこっち」
 哲が金沢を見たままレイを指差すと、レイが嫌そうに眉を寄せ、金沢は些か混乱したのか落ち着きなく瞬きした。
「なんだよ、関係ねえやつは外してくんねえかな。俺は神田に話があんだよ」
「話があるならここでしたら? そこ座れば……オラ、お前そのでかいケツ避けろよな。お客様が座れねえじゃねえか」
「俺のケツはでかくないよ、失礼だね。それに、座ろうと思えば座れます」
「どうかそのちっちゃいお尻を避けてくださいませんか」
「どうしてそんなに棒読みなんだ?」
「心がこもってるだろ。溢れてるだろ。見えねえのか俺の心遣いが」
「あの」
 金沢が思わず、というふうに声を出した。秋野と哲が同時に無言で見つめると、開いた口をそのまま、考えるように視線を宙に彷徨わせた。その間三秒程度だったが、やたらと長く感じる間抜けな沈黙の後、どこかから携帯の振動音が聞こえてきた。
「……もしもし。俺。ああ、いや」
 金沢が黒い携帯に向かって眉をひそめて見せる。舞はこの男のどこが好きなのだろうと哲は心底不思議に思った。
 顔立ちは確かにそこそこ整っている。暴力をふるうどころか、一見女にはどこまでも甘そうだ。薹が立ってはいるが、女子中学生が騒ぐアイドルと言っても通らなくもない。だが、どうしようもなく浅い内面が透けて見えるのは、一連の騒動を知っているから、というだけではないとも思えた。
 女に暴力を振るうからと言って男にもそうだとは限らない。女は膂力では男に劣る。だから、女にだけは強く出る、という奴も多い。だが、金沢には荒んだ雰囲気があり、恐らく自分より弱い男には同じように暴力的なのだろうという気がする。
 そういう雰囲気に敏感になっているのか、レイの指先は震えていた。不安そうに秋野を見やるが、秋野は素知らぬ風でソファに沈み、背もたれに腕をまわしてすっかり寛いだ体勢に落ち着いている。どうやらその小さいケツを退かす気はなさそうだった。
「それが……他に二人いてよ」
 金沢が僅かに声を落とす。思わず口の端が緩んだのが分かったが、秋野が呆れた顔をしたので意識して少々引き締めた。
「ああ、分かった。じゃあ待ってて」
「なあ、金沢さんさあ」
 金沢は電話を上着のポケットにしまいながら哲を見た。黒いジャケットに黒いパンツ。痛々しいはずの真っ白な包帯が、何故か酷く滑稽だ。
「神田さんと何の話? 舞の話なら俺が聞くけど」
 舞の名前を出すと、金沢の顔が強張った。罪悪感を覚えているからか、それとも単に哲が彼女を呼び捨てにしたからなのかは分からない。
「……お前……舞は」
「婚約解消だって、そっちの女から聞いたんだろ? 残念無念だな、ご愁傷様」
「何なんだよ、てめえ、一体何の権利があってこんな」
「権利? 自分の権利はふりかざすのに、義務に興味はないってか? 大人だろうが、何かが欲しけりゃ対価を払えよ」
「佐崎くん」
「いいんだよ、あんたは黙ってな」
 レイが秋野を見つめ、困ったように眉を下げるが、秋野はどうする気もなさそうだった。どうせ、腹の中なら読まれているのだ。
「あいつの親父に呼び出されて……舞が、他に女がいるなら婚約は解消だって、冗談じゃねえよ! 舞とは別れたんだ。二度と顔見せんなっつったのに、あの女が暴れやがって。俺は怪我までして、あの女のせいで人生滅茶苦茶だ!」
「ふうん。あんたの子供の人生は始まる前に終わったけどな」
 金沢の顔が蒼白になるのを、意地の悪い喜びとともに見つめ、哲は脚を組み直した。
 別に金沢に個人的恨みがあるというわけではない。舞はある意味自業自得で、二人の関係だけ取ってみれば結局はお互い様、ということになるのだろう。大人が二人寄って、短期間とは言えなにがしかの関係を築く。詐欺だったというなら話は別なのかもしれないが、そうでなければ、相手にだけ責任があるとは言えないだろう。結局は何かを失うだけの関係だったとしても、それは二人で選択した結果と言っていい。
 しかし、無責任に命を与えられ、そして奪われた子供には何一つ責任などありはしないのだ。
「神田さんに舞の話をしたのは俺だよ」
 神田さん、と呼ばれたレイが目を瞬く。秋野がにやにや笑い、一応は隠すつもりになったのか、さりげなく俯いた。
「てめえ……」
「舞の子供が流れたことを連絡したのも、それで金を貰ったのも俺だ。なあ、お友達が待ってんだろ? 話の続きがしたいなら付き合うぜ」
 哲は、金沢の包帯から、秋野の組んだ足の先に眼を戻した。
「……なあ、ここで穏やかに話したくて来たわけじゃねえんだろ、あんたもさあ」
 哲の台詞に金沢が携帯を握り締めた。
「俺も実は、むかつく奴の歯の一本くらい折ってやりたい気分なんだよな。本当はそいつの顎で済ませりゃいいんだが」
 なにが、なんで、と呟いた金沢の手の中で、電話がまた振動し始めた。哲は立ち上がりながら首を回した。
「あいつの唯一の取り柄は見た目だからな」
 金沢が手の中の電話を見つめ、立ち上がった哲へと、棘のある視線を向ける。
 金沢と哲を交互に見やる秋野がわざとらしく眉を上げ、自分の顎をゆっくり撫でた。