仕入屋錠前屋63 波乱の日 10

 外に出てみると、哲は予想通り、不本意極まりないという顔で立っていた。
「乗れ」
「……何だっつーんだよ」
 歯軋りしながら言い捨て、それでも哲は助手席に滑り込んだ。尻をずり下げてだらしない姿勢を取り、ダッシュボードに片膝を押し付けている。
「どこ行くんだよ」
「車を返すんだよ」
 短い唸り声が返ってきたが、それが了解なのか不満なのかはよく分からない。多分、どちらでもないのだろう。黙って車を走らせ、指定されたガレージへ向かった。
 繁華街からはやや離れ、ホテルとは名ばかりで、何年も宿泊客などいたことがない傾いた建物の裏に車を回す。人気はなく、物音ひとつ聞こえてこない。ガレージはしっかりと施錠してあり、秋野は車と共に渡された鍵を使ってシャッターを開け、車を乗り入れた。
 ハリウッド映画に出てくるような広いガレージには他にも一台車があった。入口を閉めて照明を点け、念のため、ごちゃごちゃと置いてある物に車を擦っていないか確認する。
 棚にある工具や何かは高級品だが、ガレージは外から見ると酷く薄汚い。窓には板が打ち付けてあって明かりは漏れない。どれも持ち主が盗難を防ぐためにわざとしていることだった。
「もう用は済んだんだろ。俺は帰るからな」
「待てよ」
 哲はポケットに両手を突っ込んで、酷く機嫌が悪そうだった。
「眠いんだよ」
「嘘吐け」
 近寄る秋野に威嚇するような視線を向け、哲は静かに一歩下がった。
「発散し足りないんだろ。後始末してやるって言わなかったか」
「……こんな狭いとこで殴り合うのか」
「そうだなあ。確かに、ここでやり合えば車に傷がつくかもな」
「お前、何——」
 口を開きかけた哲の脚を払い、シャツの胸元を引っ掴んだ。今まで乗っていた車のボンネットに仰向けに押さえ付け、秋野は哲の脚の間に身体をねじ込んだ。
「頭ぶつけたじゃねえか、馬鹿野郎!!」
「大したことないだろ、石頭なんだから」
 言いながら、哲の首筋に齧り付く。哲が秋野を罵る大声がガレージに響いた。掌で哲の口を塞ぎ、歯を立てた場所を舐め上げる。哲が秋野の脇腹を思い切り殴りつけ、それでも秋野が動かないと見るや今度は頭を殴ってきた。
「頭を殴るな、頭を」
「どの面下げて言ってんだ、このくそったれ虎野郎が!」
「この面だよ。気に入らないか」
「気に入るわけねえだろ!」
「まあそう言うなよ。俺の取り柄は顔なんだろ」
 本気でもがく哲を押さえつけるのはそれなりに苦労する。秋野は哲に体重をかけて圧し掛かった。憤懣にぎらつく目が間近にある。楽しそうに誰かを殴り倒していた先ほどまでの哲の目。あの時より更に凶暴な光を湛えた双眸の中の、敵意としか思えない剥き出しの何かが秋野を射る。
「退けってっ」
「嫌だね」
「てめえ、まさかここでやる気じゃねえだろうな」
「文句あるのか」
「ないわけねえだろ!!」
「そうか。可哀相にな」
 シャツのボタンを乱暴に外し、Tシャツを捲り上げる。哲がもがくと、車が僅かに上下する。口付けたら噛まれたが、構わず舌を突っ込み、逃げる舌を絡め取って吸い上げた。微かにする金気くさい血の味は、自分の唇が切れているからだと暫くしてから気がついた。
 刃物のような視線。しわがれた声が秋野を呪う。
「いい加減にしやがれ!」
「うるさいな。黙れよ」
 秋野が鎖骨に齧りつくとまた一頻り悪態を吐き散らし、哲はそうだ、と自分の思いつきに心なしか声を弾ませた。
「大体、さっきの場所と違ってここにはゴムもねえだろうが! 車が汚れる——」
「それが、持ってるんだな」
「……何でだよ」
 最後の頼みの綱が断たれた人間のような顔をして、哲は呻いた。
「さあな」
 それはディアナが秋野を口説きながら、秋野のポケットに押し込んだものだった。高価なものでもないから、わざわざ返してディアナに嫌な思いをさせなくてもいいかと思っただけだったのだが、何が役に立つか分からない。
「くそ」
 毒づく哲に向かって笑うと、にやにやすんなとまた怒鳴られた。
 浮き上がる鎖骨をしゃぶりながら脇腹に手を突っ込む。哲が触んじゃねえ、触るなら金払え、と訳の分からないことを喚いている。
「はいはい。お触り代なら後でまとめて請求してくれ」
「お触りで済むのかてめえは……っ、コラ、ぶっ殺すぞ!」
「やってみろよ」
 鎖骨から胸の真ん中を辿り、脇腹をきつく噛む。暴れる哲の腕を捻り上げ、僅かに見える腰骨にも歯形をつけた。
 金沢を脅すのに同じような事をしたくせに——もっとも、哲が使ったのは手だが——秋野がジーンズの上から股間を噛むと相当頭に来たらしく、哲はドスの利いた声で吼えまくった。まったく、狼の喧嘩じゃあるまいし、と半ば呆れながらもうひとつ、銜え込むようにして噛んでやった。
 哲のベルトに手を掛ける。罵詈雑言を聞き流し、下着は残してジーンズを脱がせ、スニーカーと靴下を足から引き抜いた。裸足にしておけば、取り敢えずは逃げようがないだろう。
 いや、こいつのことだから、それでも安心はできないのだが。

 

 突き入れたときには随分時間が経っていて、既に哲の声は嗄れ、秋野がゆっくりと動く度に内腿が痙攣するのが目に見えた。
 繋がった場所を見下ろしてどこか不思議な気分で指先を伸ばし、撫でるように触れる。哲の身体が跳ね、掠れた声が漏れた。
「くそ、余計なとこ触んな、てかそもそも挿れんな、さっさと抜け!!」
「お前が輪島さんのためにあんなに怒ったりするから」
 哲は険しい視線はそのままに口を噤んで秋野を見上げたが、揺すり上げると眉間に皺を寄せ、喘ぎながらボンネットに爪を立てた。
 硬い金属の表面を爪が滑る。哲の身体は支えがないまま揺れ、仰け反った。
 酷くしてやりたい、と不意に思い、強烈なその衝動に身を任せ、秋野は硬い身体を引き寄せた。哲の腰を持ち上げ、角度を変えて奥まで突く。いいところに当たるのか、その逆なのか、哲は汚い言葉を口にしてボンネットに拳を叩きつけた。
「輪島さんのために——金沢に腹を立てるのはいい。けどな、俺に付け込まれるようなことをするんじゃないよ」
「馬鹿か、お前」
 上がる息の間、切れ切れに吐き出される哲の声は、ひび割れ、乾いてざらついている。
「俺が……輪島さんが傷ついたから……それでむかっ腹立ててあの馬鹿男殴りに行ったって、本気で——そう思ってんのか」
 哲が何を言っているのか、秋野には一瞬分からなかった。苦痛があるのか、哲は額に薄らと汗を浮かべ、歯噛みしながらきつく目を閉じ、また開く。
「くたばっちまえ、横暴クソ野郎。いっそ出家しろ、エロジジイ」
「ジジイって言うなって何遍言えば」
「うるせえ、くそったれ。死ね」
「………………いや、まだ死なないが。そうじゃなくて」
 不機嫌そのものの哲の顔を見下ろして、秋野は今更、思い至った。
「——お前、俺のために怒ってたのか」
「人のケツに突っ込んだまま考え事すんな、この阿呆」

 

 哲の文句はそこで途切れ、後は言葉にならなかった。
 ボンネットを掻く哲の指先が震え、爪がかちかちと音を立てる。のたうつ哲の身体中で筋肉がしなり、指が、脚が、粘膜が秋野を締め上げた。
 すべてが哲の意思に反して強張り、弛緩するのに、睨み殺してやると言わんばかりの苛烈な視線だけが始めた瞬間と同じだった。
 哲が達し、喉を晒し背を反らせて、低く長い呻きを漏らす。
「なんて日だ——……」
 吐き捨てられた忌々しげなその台詞に秋野は思わず笑い、哲の骨ばった膝に口付けた。