仕入屋錠前屋58 荒削りでも前へ 1

 故買屋は、可哀相になるくらい痩せていた。
 骨と皮だけ、という表現がぴったり嵌る。まるで操る糸があるのかと思うくらいぎくしゃくと動く手足に、哲は思わず目をこらした。
「……何か?」
「別に」
 短く返すと男は首を僅かに傾ける。数秒の間の後、故買屋は屈み込んでカウンターの下からナイロンのバッグを取り出した。黒い、何の変哲もない布の塊がカウンターの上に置かれる。ごとり、と音がして、中身の重量をある程度伺わせた。
「で、買うのかい」
「幾ら」
 男はちょっと考える仕草をして、指を立てた。
 正直、高いと思う。本来、哲にとってこんなものには価値がない。煙草ひと箱の値段でも手に入れようとは思わない。だが、別に欲しくなくともここに置いておくのも嫌だった。誰かに買われ、使われるとなれば尚更だ。
 財布を取り出し、札を数える。差し出した札を思いのほか素早い動きで故買屋が奪い取った。欲の皮が突っ張るとかよく言うが、この男の場合、突っ張ったら乾いた皮膚が裂けそうだ。
 故買屋がナイロンのバッグごと無地の紙袋に放り込んでカウンターの上を押して寄越した。紙袋を手に提げ、立ち去りかけた哲に男が声を掛ける。
「領収書は」
「要らねえよ」
「危ないことに使うのかい」
「余計なお世話」
「ちょっと訊いただけさ」
「仕入屋に睨まれたくなきゃ訊くな」
 吐き捨てると、男は怯んだように顎を引き、卑屈な笑みを浮かべて手を振った。
「何も訊かないよ。知ったって得になるわけじゃなし。ありがとうございました」
 棒読みの挨拶を背中で聞き、哲は薄暗い部屋を出る。狭い通路を通り抜け、雑居ビルの外に出た。沈んだばかりの太陽が、それでも明るく感じて哲は何度か瞬きする。ぶら下げた紙袋が、やたらと重く邪魔だった。

 

 最近、手作りの部品を組み立てた密造銃が出回っている。
 そんなのはこの辺りにいればよく聞く話だ。よく聞くが、気にしたことなど一度もなかった。
 哲は銃器に興味がない。子供のころはモデルガンに憧れたりもしたが、あれは正に子供の憧れであって、大人になってから武器への興味はすっかり失せた。映画やドラマで目にしても、せいぜい拳銃と自動小銃の区別がつくかつかないかだ。
 だから、秋野と耀司の世間話は右から左だった。
「出回ってる数は少ないらしいがね」
「多かったら怖いお兄さん達が黙ってないよね」
「今のところ様子見だろう。たかだか十やそこらでガタガタ言ったって、労力の無駄だ」
「やっぱ一番大手は北沢? ナカジマさんってヤクザさんはそこのひとだっけ。自分のとこでは扱ってないの」
「ナカジマは組持ちじゃないみたいだな。持ってておかしくないんだが、本人がそういう主義じゃないとか——あと他にも幾つかやってるとこはあるが、基本的に北沢みたいに海外で密造してるか、密輸だな」
「今どき珍しい話じゃないの、そんな職人技駆使して拳銃密造なんて」
「それが、どうもそういうんでもないらしい」
 若い頃は密造銃だか密輸銃だかを扱う商売をしていたらしい秋野は、やはり僅かなりともその手の話に興味があるのかも知れない。クソ面白くもない話題だ、と思い、哲は盛大に欠伸をした。
「哲、ほんとこういう話興味ないよね」
 耀司が笑う。隣に座る秋野の手が伸びて、哲の目尻に滲んだ涙を掌で乱暴に拭った。唸り声を上げて秋野を威嚇し手を払い除けつつ、哲はソファにだらしなく沈んだ身体を立て直した。
「売る気も使う気もねえもん、興味ねえよ」
「子供の時モデルガンとかで遊ばなかった?」
「遊んだけど、ほんとにガキんときだけだ。飛び道具なんてつまんねえ」
「お前はどうしてもそこに辿り着くんだな」
「当たり前だろうが」
 哲は足を伸ばして秋野の膝を蹴っ飛ばし、肩を回して首を鳴らした。興味のない話に付き合うのは本意ではないが、帰るわけにもいかない。
 結婚式を前にして、真菜はここ暫く実家に帰っている。結婚前に実家で親子水入らずの時間を持つのだそうだ。久々に一人を満喫しているかと思えば、耀司は人恋しいらしくしょっちゅう電話やメールを寄越す。今日はエリも誘って飲みに行くことになったが、その前に用を済ませてくるというエリをこうやって待っているのである。
 どうしても行かなければならない、ということはないが、ここで帰った所でどうせエリなり秋野なりが連れに来るなら、体力を使うだけ無駄なのだ。
 ジーンズに包まれた長い脚をしつこく何度も蹴りつけていると、秋野がさすがに眉間に皺を寄せて蹴り返してきた。突然本気で脛を蹴られて思わず息が詰まり、哲は脚を抱えて悪態を吐いた。
「調子に乗るからだ」
 にべもなく言い放ち、秋野は耀司に向きなおる。ソファの肘掛に凭れ、長い前髪をかき上げた秋野は既に哲を蹴飛ばしたことなどどうでもよくなっているらしい。
「痛そう。秋野、少しは手加減しなよねー、大事な哲なんだから」
「そうだったか。さっきの話だが、多分一人の人間が作ってるってんじゃないらしい」
 何事もなかったように秋野は話を再開し、耀司は呻く哲を見て笑いながら、うんうんと頷いている。余り他人にこういうところは見せないが、こいつは本当に傲慢だ。ようやくおさまってきた足の痛みに顔をしかめつつ、哲は秋野の横顔を睨みつけた。勿論睨まれた方はどこ吹く風で、そのうち睨むのも面倒臭くなる。
「何人かの旋盤工が削った部品を集めて組み立ててるらしい。旋盤工それぞれが何の部品を削ってるかきちんと理解してるのか——部品だけを見て何か判断できるもんか、それ以前に得体の知れないものを黙って削るかどうかまでは分からん」
「だよねぇ」
 半分窓の外に向いた意識に秋野の声が引っ掛かる。低い、穏やかに響く声音の台詞。その中の何が耳を引いたのか。ぼんやりと思う哲の横で話は続いた。
「その銃を扱った故買屋が言うには、どうも削った人間の身内が売りにきたらしい」
「何で分かんの、そんなこと」
「知り合いなんだとさ。そいつの祖父さんが旋盤工だってのをたまたま知ってたってんで、まあそうなんだろうな、と」
「身内が売りにくるなんてなんか嫌だね。それって祖父さんと孫がぐるじゃないんだったら、祖父さんは可愛い孫に騙されてるってことだろ」
「まあ、そうだろうな。普段は錠前の部品なんか削ってるとこらしいから」
 そうか、旋盤工、というその言葉だ。
 秋野に顔を振り向けると、黄色い瞳と目が合った。黒い瞳孔に吸い込まれそうな感覚が足元からぞわりと這い上がるのはいつものことだ。それが苛立たしくて舌打ちしながら、哲は秋野を見返した。
「錠前の部品、削ってるって?」
「ああ。知り合いか」
「……かも知れねえ」
「故買屋の連絡先を教えてやる」
 気になるなら勝手に調べろというのだろう。哲は頷き、掌で顔を擦った。明日になったら出向いてみよう。気が向かないが、さりとて無視して後悔するのもご免だ。己の掌の乾いた感触が、一気にささくれた神経を不快に刺激した。