仕入屋錠前屋72 エデンの架け橋 8.5

 一番近い部屋はシャワーもなく、薄っぺらいマットレスしかないらしい。
 別にそれでも良かったが、食い物屋の臭いがするのが嫌で、シャワーを浴びたかったから二番目に近い場所でいいかと言われて頷いた。少し歩くが車だと通り抜けが難しい路地の奥にあるから、結局徒歩のほうが早くなる——と説明する秋野の顔はあくまでも穏やかで、思わずこれからヤりに行くんだよな? と訊きたくなるような——勿論聞いたりしないが——落ち着きっぷりだった。
 もっとも秋野はいつでもそうだし、この場でがっつかれたって困るし、むかつくが。

 目的の部屋はマンションの一室。こじゃれた外見で、一階は美容室でそこそこ客の入りがあるらしい。今は既に営業時間外で、残業しているスタッフもいないのか、灯りは点いていなかった。
 ワンフロアに二戸の造りだが、秋野が確保している部屋は最上階で、ワンフロア専有だ。
 オーナーの趣味で建てたという物件は駐車場も駐輪場も僅かしかない。洒落ている割には入居希望が少ないようで、いつも周辺や建物内に人気がないのだと秋野は言った。
 部屋はきれいで洒落ていて、生活ができるように日用品は備え付けてあるようだった。クローゼットの中までは見なかったから、秋野の服があるのか、ないのか、それとも他人の服があるのかまでは分からない。
 先に浴びろと言われ、断る理由もないからさっさと風呂場に向かう。リゾートホテル風の広い脱衣所にはタオル類が積んであった。湯船はそこそこでかくて、洗い場がやたら広い。シャワーの湯を出し暫く突っ立って、冬場はあったまるのに時間がかかるだろうなとどうでもいいことを考えた。
 身体を洗い、頭を洗い終えるあたりで秋野に踏み込まれたのはまあ予想外というわけでもない。
 どっちにしろ、すぐにやりたかったのは自分も同じだ。だからといって、いきなりケツに食いつかれるのは予想外だったが。

「どこ舐め……っ、ん——」
 哲は息を飲んで声を詰まらせ、壁に手をついて低く呻いた。

 風呂場に入って来た秋野はちょっと貸してくれとかなんとか言って、哲の背後から壁の棚に置かれたボディソープのボトルに手を伸ばした。
 洗い場は広いし、湯気で温まっているから場所を譲る必要もない。後ろで秋野がどこを洗おうと別にどうでもよかったが、ソープでぬるつく手が伸びてきて身体に触れたときは思わず肘打ちを食らわせた。
「触んな!」
「痛いよ。洗ってやるからちょっと動くな」
「自分で洗ったからいらねえ!」
「まあそう言うなよ」
 秋野はおかしそうに言って、哲を壁に押し付けたままもう一度ボディソープを押し出して、哲の肋骨を両側から撫で上げた。
 洗う、なんて言い訳もいいところだ。ぬるつく掌と指でいいだけ弄られて、息が上がる。哲は元々バックも好きではない。勿論女とするときは嫌いじゃないから、要するに、この男に、こうやって一方的に好き勝手弄り倒されるのが嫌なのだ。腹が立って、いい加減にしろと喚きかけたところでふっと手が離れたから油断した。
 そうしたら、あろうことか下半身に濡れたものがべたりと押し当てられたのだ。
「どこ舐め……っ、ん——」
 哲は息を飲んで声を詰まらせ、壁に手をついて低く呻いた。
 当然、止めろクソ虎ブチ殺す、とか喚いて後ろに足を蹴り上げるのが普段の行動で、今も反射的に足は上がりかけ、だが、何故か実際に繰り出すまでには至らなかった。
 秋野の手が、ここぞとばかりに腰を掴んで引き寄せる。口全体で覆ったそこをねっとりと舐められて、哲は仰け反り掠れた声で秋野を罵った。
 だが、哲の悪口雑言などどこ吹く風の仕入屋は、両手で尻を割り開き、更に奥に舌を這わせてきた。ぬるりと温かいものがめり込む感触に鳥肌が立つ。
「てめえ……い、い——っか、げんにし——!」
 口から零れる罵声には我知らず怒気が滲んでいて、それでも腹の底からこみ上げるのは憤怒ではなくぞわぞわとした何かだった。
 前触れなく指を突っ込まれ、思わず目の前の壁を拳でぶん殴った。
「おい、壁に穴を開けるなよ」
 秋野が顔を上げて言い、哲が何か返す前にもう一本指を突っ込んで、押し拡げてできた隙間に舌を捻じ込んできた。
「——っ!」
 声にならない声が漏れ、腰が反る。舌と指で中を掻き回され、まるで食われているようで膝が震えた。
 抉じ開けられた場所から咀嚼音のような音が響く。舌の届く距離なんて多分ほんの数センチ。たったそれだけ侵入されただけなのに、何もかもを舐められているように錯覚し、腹の底まで裏返しにされたような心許ない気分になった。
 いつの間にか伸びた秋野の手に捕らえられ、前も後ろも攻め立てられて、身体を支える両腕が震え始める。秋野が立ち上がって哲の背に覆い被さってきた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃねえ——!」
 肩越しに睨みつけたら、秋野の薄い色の目が僅かに見開かれた。
 別に赤面したりしていないし、目を潤ませたりもしていない。
 普段どおりだろう自分の顔に、秋野が何を見たのかは分からない。秋野の瞳に隠しようもなく滲むのと同じあからさまな欲望を、こいつも俺に見たんだろうか。
 秋野は無言で、突然哲の身体をひっくり返して自分に向けると抱え上げた。
 哲の唇に食らいつきながらシャワーの栓を捻ってお湯を止め、浴室のドアを開ける。脱衣所に積み上げてあるバスタオルを崩しながら一枚手に取って、抱き上げた哲の上半身を包みながら乱暴に水気を拭った。
 子供のように拭かれることが業腹で、哲は唸りながら思い切り秋野の舌に噛みついた。
 寝室と思しき部屋のドアを蹴破るように開け、バスタオルも巻き込んだまま、秋野がベッドに倒れ込む。下敷きになった哲は思わず悪態を吐いたが、秋野は哲の文句に構わず圧し掛かって両足を押し広げた。タオルで拭われたのは上半身だけだ。露わにされた場所は、お湯と、哲が溢れさせたものが流れて濡れていた。
 一息に押し込まれて、哲は背を撓らせて悲鳴を上げた。
 まるで、食われる動物が断末魔の声を絞り出すように。
 いきり立ったものが尻の奥を抉り、引きずり出される、その繰り返し。そんなことで感じたくなんかなかったが、いくらそう思っても、信じられないくらいいいのは事実で、誤魔化したって今更だ。
「あぁ……くそ——」
 手近にあったバスタオルを握り締めて身を捩る。
 馬鹿みてえだな、と思う自分もどこかにいる。男に乗っかられてよがってねえで早いとこ女に突っ込めよ、と呆れたように嘆息するそいつの言うことはもっともだ。だが、前ははっきり聞こえていたその声が遠く微かになって結構経つ。
「哲——」
「ん……っ」
 耳朶を噛まれ、低い声で呼ばれたら、そいつの声はどこかに消えて、秋野の声しか聞こえなくなった。
 揺さぶられて一瞬気が遠くなり、ついさっき居酒屋でつらつら考えていたことが不意に脳裏に蘇った。永続するものなんてない。いつか秋野に手が届かなくなる日がくるかもしれない。来ないかも知れないが、そんなことは誰にも分からないことだ。
 だったら、今手に入るものを掴んで何が悪い。
 欲しくなんかない。それでも、手に入れなければ息もできないと切羽詰まって手を伸ばす。望むと望まざるとにかかわらず、必要なのだと知っている。
 それに——忌々しい思いに歯を軋らせながら哲は思った。
 いつもは欲しいと思わなくても、今、この瞬間には欲しいのだ。
 何度か奥まで突かれただけで昇り詰め、腹の間で擦れるものから生温い体液が迸った。弛緩する間もなく激しく穿たれ、強烈な快感に目の前が薄暗くなり、また明るくなる。
 よすぎて死ぬ、と訴えたら、いいってだけなら死なないと唇の端を曲げて笑われた。
 本当かよ、と息も絶え絶えに責めると秋野は笑みを大きくし、浮かせて抱えた哲の腰に、そんな奥まで入れるなと懇願したくなるほど深く突き立てた。
「死ぬほどよくたって死なないよ、馬鹿だね」
「い——あ、あ……っ!」
 太くて硬いものに串刺しにされ蕩かされて、だらしない声が垂れ流れる。尻の奥を滅茶苦茶に捏ね回されて、荒っぽく突き上げられる衝撃に喘ぎながら哲は快感に霞む目を閉じた。
 頭の中を直に犯されている気がしてくる。脳みそが溶けて崩れ、捻じ込まれる度、穴という穴から垂れて流れ出してくるんじゃないかと思いさえした。
 触れられてもいないのに爆ぜた先端から雫が垂れて、腹を汚す。
 欲しいのはそれじゃない。俺が欲しいのはおれのじゃなくておまえのだからそれじゃない。食いたいのか食わされたいのか分からない。だけどそんなことはもうどうでもいい。多分明日には忘れている。というか、忘れたい、と思いながら、与えられるものを余さず受け取った。
 貪り食われる獲物のように、大人しく。
 喰らい尽くされる歓喜に震え、我を忘れて。
「あっ……あぁ、うあ、あ——」
「哲——」
 いつか失くしてしまうときのためではなくて、今、欲しい。先の事なんてどうでもいいから、今、身体に食い込む秋野のすべてを感じたかった。

 奪ってほしい
 奪いたい
 もっと
 声に出していたのか、秋野が喉の奥を鳴らして低く笑った。
「お前が望むなら、錠前屋」
 長い指の先が哲の頬骨の上を辿り、額に貼り付く前髪を掻き分けた。
「何だってくれてやる。望んでなくても——」
 見下ろす秋野の髪も乱れて、前髪が束になって瞳の上にかかっている。薄茶の目を縁取る長い睫毛がゆっくりと上下して、今は鳶色に見える虹彩が陰になった。
「上からも下からも俺を詰め込んでいっぱいにしてやりたい」
 色悪めいた笑みをうかべる秋野に手を伸ばし、うなじと後頭部の髪を掴んで引き寄せ耳に噛みついた。耳の中に舌を突っ込み、耳朶に歯を立てながら縋りつく。
 そんならしゃぶってやってもいいぜ、と言ってやったら秋野は一瞬固まって、低く笑った。
「噛み千切らないでくれるならな」
「……馬鹿が」
 抜き差しを再開され、喘ぎながら哲は掠れた声で呟いた。
「お前のがもげちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ」
 秋野は数秒黙りこくって、そうして、まるで陽が射したみたいに屈託なく美しい笑みを見せた。
 楽園ってきれいなところか。
 だったら、欲に塗れたここは楽園なんかじゃない。
 だったら、楽園なんかに行きたくない。
 お互いの体液に塗れてぐしゃぐしゃになっても、綺麗じゃなくても構わない。
 俺はずっとここにいたい。
 ずっと。