仕入屋錠前屋71 一線を越えたい 2

 誕生日プレゼント不要、アルコール持込歓迎、喫煙は換気扇周辺で可。バースデーソング斉唱なし。
 とりあえず、耀司からの連絡事項はそれだけだった。
 年齢一桁女児の誕生会にしてはあまりに素っ気ないが、そもそも明日が本当の誕生会で今日はそれにかこつけた宴会ということらしいし、何でも済ませてしまうと明日の楽しみがなくなるからいいのだろう。
 尾山家に向かう前に哲が用事を片付けてくる間、秋野は知り合いの店に寄ってワインを数本入手し——尾山母がワイン好きらしい——改めて落ち合ってから電車に乗った。降車駅の近くのコンビニでビールの六缶パックも仕入れて、哲としては非常に不本意ながら、秋野と二人並んで尾山家に向かった。
 駅からは近いが、繁華街とか中心部という感じはない。閑静な住宅街というのがぴったり嵌る地域で、立ち並ぶ住宅はどれもある程度古い。マンションやアパートは少なくほとんどが戸建てで、一軒あたりの敷地面積は結構広いようだった。たまに真新しい戸建てが混じっているのは、住人の世代交代があったのだろう。その中でも耀司の実家は他の家四軒分くらいの敷地に建った平屋で、まあ結構な豪邸と言えた。
「おおー、すげえ。広いな。やっぱ社長宅だからか? あれ? でも——」
 確か尾山は自分で会社を立ち上げているはずだ。築年数はかなり経っていそうだから、事業が成功してから中古で買った家なのだろうか。疑問に思っていたら、秋野が門扉を開けながら振り返った。施錠はされていないらしい。
「いや、奥さんの実家だ」
「へえ。だから古いのか。何か映画に出てくるヤクザの組長の家みてえ」
「……」
「え? おい何だその沈黙は。まさか耀司の奴、実はヤクザの御曹司とかじゃねえだろうな」
「いや、違うが」
「じゃあ何だ」
「尾山さんは無関係だが、奥さん……真砂子さんって言うんだが、彼女の祖父さんが、どこぞの三次団体だか四次団体の組長だったらしい」
「マジかよ」
「真砂子さんがまだ赤ん坊の頃引退して、息子——耀司の祖父さんだな、彼は関わってなかったそうだ。ただ、家は改築して住み続けて、それが一人娘の真砂子さんのものになって、結婚後も住んでると」
「ふうん」
 これだけ土地を持っていた組長なら金もあり、それなりに大所帯だっただろう。引退にあたって跡目争いとか、任侠映画みたいなことはあったんだろうかと思ったが、まあわざわざ訊くほど興味もない。
 ドアホンのボタンを押しておとなしく待っている秋野の背中から、家の周りを囲む庭に目を移した。手入れされているのは素人目にもよく分かるが、植わっている草木の名前までは分からない。流行遅れといってもいい庭と家の佇まいが、しかしなぜか妙に落ち着くのは確かだった。
「お帰りー」
「秋野も哲もおかえりっ」
 耀司の声がしてドアが開き、同時に耀司の足元を抜けるように利香が駆けて来て、秋野と哲の脚にまとわりついた。
「ただいま」
 手を差し出す耀司にワインを渡し、利香を抱き上げた秋野の横顔を見上げてつい見入る。このときばかりは薄茶の目も獣じみてはおらず、愛情深い父親のそれに酷似して見えた。例え血の繋がりがなくとも、そもそも父親らしいことは何もしていなくとも、秋野にとっての利香は我が子のように大事な何かだ。
「どうしたの、哲」
「いや、毎度、あの ツラ見るとちょっと驚くだけだ」
「ああ……」
 耀司はちょっと笑って、上がんなよ、と手招いた。お邪魔します、と言って脱いだ靴を揃える哲を見てまた笑う耀司の背後から、尾山と妻が現れた。
「いらっしゃい」
「ああ、どうも。今日はお招きに預かりまして」
 彼らとは耀司と真菜の結婚式で会ったから初対面ではない。だが、ほとんど会話らしい会話をしていないから、実質初対面みたいなものだった。
「私、佐崎くんとちゃんと話すの楽しみにしてたのよ!」
 朗らかに笑う尾山の妻、真砂子は結婚式とはだいぶ雰囲気が違って見えた。もっともあの時は和服だったし、余所行きの顔をしていたから尚更だろう。緩くパーマのかかったショートヘアには白髪が混じっている。しかし、生え際から白くなるのではなくメッシュのように全体に白髪が混じるタイプのようで、染めていないのが却って垢抜けていた。スリムなデニムの上はゆったりしたシルエットのネイビーのセーター。耳朶には深いグリーンの天然石のピアスをつけている。
「気の利いたことは言えないんで、ご期待には添えそうもないんですけど」
「大丈夫、大丈夫。さあ何から訊こうかなあ」
「こら、真砂子。佐崎くんが怯えてるぞ」
「えっ、そんなことないわよねえ?」
「もう、父さんも母さんも、中入ろうぜ。玄関先で話してないで」
 リビングに入ると、中には既に真菜とエリがいた。エリは普通の格好に薄化粧だが、勝ではなくエリ仕様だ。
「真菜、これ秋野にもらったからそっち置いてー」
 耀司がワインを真菜に手渡す。
「あ、いいね。秋野が持ってきてくれるのいつも美味しいんだよね。ね、お義母さん」
「あらほんと! これ勝くんが持ってきてくれたチーズに合うわね」
「やだぁ、おばさん、なんでわざと勝くんって呼ぶんですかあ」
「そりゃあ、嫌がるのが面白いからよう」
「ほら、佐崎くんがビールを」
「はぁい」
 女性陣——厳密に言えば当てはまらないのもいるにはいるが——がキッチンで色々と出したり引っ込めたりし始め、利香がお腹減ったーと元気よく宣言し、とりあえず座って座ってとその辺の椅子やソファに詰め込まれて、誕生会という名の宴会が始まった。

 お子様向けお誕生会っぽい料理は翌日のメインだそうで、料理は大人向けだった。しかし普段から大人と子供の料理は分けられていないらしく、利香は嫌がるふうもない。
 利香はよく食べ、大人たちに弄られて愛嬌を振り撒き、ケーキを前にはしゃいでいる。
 でかいケーキも明日までお預けということで、利香と真菜、真砂子には普通のサイズのケーキが出た。きゃあきゃあ言っている女たちから一旦離れてソファに収まる。耀司は誰かから連絡が来たらしく電話中で、秋野は尾山と話し込んでいる。疲れてはいないが、いかにも家族の団欒みたいなものにちょっと当てられた気がして小さく溜息を吐いたら、ソファが沈んで隣にエリが腰を下ろした。
「てっちゃん、どうしたの、溜息吐いて。楽しくない? 疲れちゃった?」
「ああ、いや、そうじゃねえよ。ただ、慣れてねえから、こういうの」
 こういうの、がどういうのなのか通じたかどうかは分からないが、エリは小さく頷いた。
「そっか。でもアレよね、てっちゃんって対人スキル高いのねえ。知らなかったわ」
「ああ? 普通だろ、別に」
「そんなことないでしょう。おじさんとおばさんともそつなくスマートに会話するから、びっくりしたわよ。普段はあれね、発揮できないんじゃなくてしてないのね、単に!」
 そんなことを言われても別に意識したことはないから答えようがなくて肩を竦めた。もし、挨拶や受け答えがきちんとしているというのなら、多分祖父の影響だろう。何にせよ、傍から見て粗相がないなら喜ばしいことだ。
「つっても、紛れ込んじまった感は消せねえけどな」
「そりゃあねー。いきなり他所のご家庭に馴染むタイプじゃないでしょ、てっちゃんは。でも、違和感はあっても疎外感がなければいいんじゃない」
「別に疎外感があったって気にしねえけど——」
 哲にはうまく説明もできないし、例え語彙の限りに言葉を尽くしたところで、理解してはもらえないだろう。ここにいるのが嫌ではない。だが、別にここにいたい、という気持ちもない。それはここに誰がいるかでもないし、居心地の問題でもないが、エリに理解できることでもないだろうから言葉を探すことは止めて続けた。
「——ところで、食わねえのか」
「何が?」
「ケーキ」
 女三人を顎で指して、エリを見る。
「ダイエット中か?」
 哲が何の気なしに訊いたら、エリはいかつい顔に満面の笑みを浮かべ、哲の肩を思い切りどついた。
「やっだぁー! てっちゃんたら、やだあー!」
「痛えっ! 何だよ!」
「だってダイエット中か、なんて、そんな女扱い!」
「いや、てか自分は女だっていつも、てっ、痛えって!」
「甘いものは好きじゃないのよう、昔っから!」
「ああ、そうかよ」
 ナリは若干微妙ながらも女子のくせに、味覚と胃袋は男のままか。そう言ったらエリは一層激しく哲の肩を叩きまくった。
「痛っ、マジで痛えっ」
「もうっ、ナリが女子なんて、ジョシ、なんてっ! もう、もう! てっちゃんあたしと結婚しない!?」
「しない」
 答えたのは哲ではなく前を通りすがった秋野だった。煙草を銜えているから換気扇の下に向かうらしい。目の前の脚を蹴っ飛ばしかけて思い止まり低く唸った哲を見下ろし、秋野は疲れ切って、そのくせ飢えたような目で哲を見つめてにたりと笑った。