仕入屋錠前屋68 性(さが) 10.5

 目を開けたら顔の上に何かがあった。なんだこりゃと思いながら目を瞬く。徐々に目が覚めてきて、上掛けが顔の上に被さっているのだと気付いた。
 確か、秋野の新しい部屋の床で寝たはずだ。土足で歩いた床に寝転がるのもどうなんだと束の間思ったが、本気で殴り合った上何度も抱かれて猛烈に眠たかったから、どうでもいいかと思い直して転がった瞬間もう記憶がない。
 運が良ければそのまま朝まで床にいられると思ったが、どうやら懸念していたとおり、上の階まで運ばれてしまったらしい。まあ意識がなかった間の事なら、お姫様抱っこをされようが、米袋のように担がれようが分からないのだから今更腹を立てても仕方がない。
 顔にかかる布地を払いのけたら明るかったが、日が昇って間もないという感じの薄青い明るさで、思ったより眠っていないのだと知れた。
 まだ眠っている奴もいるようだが。
 さっきから気付いてはいたが、身体に腕が回り、背中が胸に密着していて暖かい。姿は見えないが、多分秋野だろう。秋野でなかったらさすがにびっくりだ。
 重たい腕を持ち上げ退けてみたが反応がない。昨日も寝ている途中で叩き起こしたせいか、珍しいが、まだ熟睡中のようだ。起こさないようにベッドから出る。用を足し、一階まで降りて行ってカウンターで煙草を吸い、水を飲んで戻ってきても秋野はまだ眠っていた。
 ベッドの脇に立って珍しいものを見るように——実際珍しいが——秋野の寝顔を見下ろす。知り合ってから何年かになるが、今までほんの数回しか目にしたことがない、完全に意識のない秋野の顔。どうせどこかで気が付いて、眠ってなんかいませんでしたという顔でいきなり目を開けるのだろうが。
 濃くて長い睫毛、通った鼻筋、高い頬骨、肉の薄い精悍な顔。全体の雰囲気から男前だと思ってはいたが、哲が顔立ちより別の何かに気を取られてしまうせいか、男前どころか美しい顔なのだと気付いたのは出会ってから結構時間が経ってからだ。育ちの悪さは哲より数段上だが、そんなことはものともせずに、人間としても大分上等。
 これだけ長所の持ち合わせがあれば、誰だって手に入れられるだろうに。
 勿論、望めばすべて、ということはないだろう。実際に多香子は秋野の元を去っていった。それでも、少なくとも哲よりもっとマシな誰かを手に入れることは、いくらだってできるだろう。
 わけがわからねえと思いながら欠伸を噛み殺す。
 なんで俺なんかがいいのか。前は分かった。何となく。だが、今はまったく分からない。
 それを言ったら自分がどうして秋野がいいのか——秋野だけなのか、それだってもう分からないが。
 女の裸を目の前にして、普通に興奮していると思うのに身体の反応は鈍かった。焦りも驚きも生まれはせず、なんだかそんな気がした、と腹の底で溜息を吐いたのは、高層マンションの部屋で抱かれた翌週だったか、その翌週か。結局最後まで終えるには終えたが、忸怩たる思いは残った。
 何遍か試したが結果は同じ、結論から言うと、女でも勃つ。だが、努力は要した。しかも、かつて一度もそんなことはなかったのに、最中不意に秋野の指や舌の感触が蘇って身体が顕著に反応し、辟易したりしたのはもう忘れたい。
 哲はもう一度ベッドに上がり、片肘をついて暫く秋野の閉じた目蓋を眺めていたが、身体を屈め、寝ている秋野の唇を塞いだ。うなじを掴み、力の抜けた唇を割って舌を差し入れる。別に深い意味はない。寝ていたら味が違うのかとなんとなく馬鹿なことを思っただけだ。
 気が付いたら秋野の掌が哲の後頭部に回され、もう片方の腕で抱き寄せられていた。長く深い口づけは熱烈で、噛みつき、殴り合うのと多分根本的には変わらなかった。ああもうだから、言い訳したってどうしたって、何もかも一緒くただよな、と渋々認めて身を任せる。
 今でも突っ込まれれば不愉快で、目が眩むほど腹が立つ。だが、同時にどうしようもなく感じもする。怒りも快感も一緒くたになって哲を揺さぶる。それが事実なのだから、これまた今更自分に腹を立てても仕方がない。
 唇がゆっくり離れ、覚醒しているが眠たげな薄茶の目が間近で物問いたげに瞬いたが、何も言わずに見返した。
 俺は考えることを放棄した。だから、何か納得させたければ、また無理矢理押し付けてみればいい。受け取るかどうかは分からないが、両手を後ろに隠すような真似はもうしない。
 秋野は不意に喉を鳴らすように低く笑い、哲のシャツの裾から掌を潜り込ませて脇腹を撫で上げ、同時に首筋を歯で嬲った。今はそんなふうに撫でていやがるが、激怒して何本も折りやがったじゃねえかと思ったら、楽しくなった。なんだかんだ言ったって、結局それが仕入屋だ。
 手を伸ばし、首筋に腕を絡めて秋野の上に乗りかかる。でかくて硬くて、身体も、存在そのものも、女の心地よい柔らかさとはまるで違う。そこにいるだけで蹴っ飛ばしたくなることもあるむかつく野郎。誰にもやらないとは思わないが、俺のものだとは思う。
 もう一度唇を塞ぎ、シャツを脱がされながら思い切り下唇に齧りついた。離れようと思ったら両手で首を捕まえられ、激しく貪られて低く呻く。そのまま身体を入れ替えられて、重てえなと思いながら秋野の髪を手荒く掴んで引き寄せ、貪られるまま与え、そして奪った。
 秋野は薄く笑いを浮かべたまま哲の両手をまとめて頭上に引き上げた。そうして伸び切った二の腕の裏の柔らかい肉にゆっくりと舌を這わせ、濡れた皮膚に噛みついた。強く、何度も。
 努力なんか少しも要らない。
 深く貫かれて頭に血が上る。身体の中心が充血して硬く立ち上がる。本気でさっさと抜けと思うのに、同時にもっと奥まで抉られたくて身を捩る。
 どうしようもねえなあ、と思いながら、哲は喉を晒して仰け反って、それなりに甘く掠れた声を上げた。