仕入屋錠前屋67 今は、ただ 2

 秋野からメールが来たのは、解錠とも言えない解錠をしてから二週間ほど経ってからだった。またしても解錠の仕事があるというメールだったが、さすがの哲も少々躊躇った。
 あれから数度顔を合わせたものの、どちらもごく短時間で、ろくに話もしていない。
 それ自体は珍しいことでもないが、妙な沈黙が下りていたたまれなくなったり視線がほとんど合わなかったりすることは今までになく、自然なふりをしていても実際は不自然極まりなかった。
 とはいえ、解錠の仕事があると言われれば受けずにいられないのが哲の泣き所だ。場所と時間を知らせるように返信し、メールが送られるアニメーションになんとなく毒づいた。
「佐崎さん」
 背後のドアが開き、服部が顔を覗かせる。哲は煙を吐きながら携帯をジーンズに突っ込み振り返った。
「ああ?」
「休憩中すみません。お客さんが佐崎さんご指名で……」
 一瞬秋野かと思って身構えたが、服部も秋野の顔は知っている。名前を言わないということは違う人物に違いない。
「女? 美人?」
 煙草を携帯灰皿に突っ込む哲に向かって無邪気に笑い、服部はドアを大きく押し開けた。
「残念ながら男性です。でも、美人ですよ」
 なんだか嫌な予感がした。厨房を出て隅のテーブル席まで足を運ぶと、案の定、別に見たくもない顔がこちらを見上げていた。
「——どうも、いらっしゃいませ」
 哲より更に仏頂面の近野千晴は、低く呻くような声を出した。どうやら——想像の域を出ないが——挨拶をしたらしい。
 連れは哲の見知らぬ男だ。チハルの顔と見比べると、平凡な顔立ちがより一層平凡に見える。取り立てて特徴のない顔、中肉中背。黄色人種かどうかは微妙な肌の色だ。秋野やチハル同様混血しているのかもしれない。男は哲に軽く会釈しただけで、突出しの小鉢をつつき始めた。
「あんたの携帯の番号知らなくて」
 男の手元をなんとなく眺めていたので、チハルの声に我に返った。
「あ?」
「いや、だから、勝手に連絡取れっつーから、アキが。そう言われても番号わかんねえっつったら、ここ行けって。で、店入ったらあんた呼ぶ前に席に通されちまって、なんつーか成り行きで食ってんだけど」
「って、何。飯食いに来たわけじゃねえの」
「だから、携帯知ってりゃ来てねえよ」
 刺のある声で言い返したものの、チハルは自分を抑えるようにビールのジョッキを手に取った。
「アキから聞いてるだろ」
「何を」
「だから……仕事の話。ここのじゃなくて」
「ああ——」
 メールにあった解錠の仕事というのはチハルの依頼だったのか、とようやく腑に落ちた。チハルの依頼を秋野が仲介するのは意外だったが、幼馴染同士、今更ながら歩み寄ろうと努力しているのかもしれない。
「時間と場所。今言えるか」
 前掛けのポケットから伝票とボールペンを取出し、チハルの言う場所と時間をメモして破り取る。伝票を半分に千切って自分の携帯番号を書いた。番号の書かれた方を差し出すと、チハルは面食らった顔をして紙と哲を交互に見比べた。
「何だよ。何かある度いちいち食いにくんのか? 俺は別にそれでもいいけど、毎日いるわけじゃねえぞ。呼ばれても出てこられるとは限んねえし」
 チハルはむっとした顔をしてひったくるように伝票の切れ端を受け取り、シャツのポケットに突っ込んだ。
「俺には知られたくねえかと思ったんだよ」
「別に」
 どうでもいい、とは言わなかったが正しく通じたらしく、チハルは小さく舌打ちした。
 拉致までされたのだから警戒すべきなのかもしれないが、どうもそういう気になれない。レイの脚を折った話を聞けばチハルも十分危ない。どう考えても無害ではないのだが、つい、秋野に比べれば害はないと思ってしまうのだ。
「そんじゃあ明日」
「おい」
 背を向けかけた哲をチハルが呼び止めた。
「何」
「——いや」
 何でもない、と呟くチハルに肩を竦め、目についたテーブルの空いた食器を持って厨房に戻る。次に店に出てきたときには、チハルも連れも既に帰った後だった。

 

 チハルとの待ち合わせは繁華街の外れにある質屋だった。ブランド品高価買取、という看板は、その辺の飲み屋のものより余程派手だ。間口の狭い小さなビルで、看板も大きくはないがやたらと明るい。角を曲がった瞬間いきなり目をやられる感じで、店内の何か——何かは分からないが——を誤魔化す目的で明るくしているのではないかと邪推したくなる。
 ガラス戸を押し開けてビルに入ると狭いエレベーターホールがあり、奥の方にトイレの表示が見えた。ビルは三階建のようだが、一階は特に何も入っていないらしい。
 エレベーターで三階に上がる。エレベーターが開いたらすぐ目の前に自動ドアがあり、質屋とは思えない気取った店名がでかでかと書かれていた。
 自動ドアは古いのか軋みながらゆっくりと開き、途中でがくんと一度止まりかけたが何とか開き切った。まずは白い壁と通路しか見えず、鍵の手になっている部分を曲がるとようやく店内の様子が見えた。
 狭いフロアの中にはガラスケースがいくつもあり、哲でも分かる有名ブランドのバッグが展示されている。真贋について哲はまったく判断できないが、贋物だとしても一目で分かるような物は置いていないだろう。
 バッグの入ったケースの向こう、狭いカウンターにはビジネスマンというよりホスト風のスーツを着た店員が座ってにこにこ笑っていた。
「いらっしゃいませ! 何かお探しですか? 査定と現金化もすぐに可能ですが」
「あー、いや。近野さんいる?」
「あ、約束の人っすか。すんません、ちょっと待ってください」
 突然チンピラ風の物言いになり、店員は奥に引っ込んだ。すぐに戻ってきて、カウンターの一部を跳ね上げ手招きする。
「こっちっす」
 店内から見えない部分は雑然としており、事務所として使っているようだった。店員は奥を指さして店に戻って行った。パーテーションの向こうに回ると、病院の待合室にあるような合皮のソファが置いてあった。テーブルに両足を乗せた偉そうな態度でソファに座っているのはチハルだ。哲は歩み寄ってその足をテーブルから蹴落とした。
「行儀悪ぃ」
「うるせえな! 何なんだよ」
 相変わらず不貞腐れた顔をしているが、以前よりは多少マシになったような気もする。とはいっても哲に対して親近感や好意が芽生えたわけではなく、秋野との関係が改善したからなのだろう。
「……座れば」
 黙って立っている哲にそう言って、チハルは煙草を取り出した。一応店舗側に気兼ねしたのか、近くに置いてあった空気清浄器らしき家電のスイッチを入れる。ごうごうとやかましい音がしたが、少なくとも煙は吸い込んでいるらしい。
「開けてほしいのは投入式の金庫ひとつと、あと普通の耐火金庫」
 世間話はなしということだ。チハルは哲が座るなり金庫について話し出した。
「どっちもダイヤル式で、多分あんたならすぐ開けられるってアキが言ってた。都合悪くなけりゃこのまま移動すっけど」
「そんな急ぐなら直接そこ行ったのに」
 哲が言うと、チハルは煙を吐き出した。
「いや、そんな急いでなかったんだけどな。でも最初に頼んでから二週間経ってるし、また待つ時間はねえから。あんたが今日無理なら他の——」
 哲の表情に気が付いたのか、チハルは眉間に皺を寄せた。
「なんだよ」
「最初に頼んだって、何」
「は? だから、アキに頼んで連れてきてもらったけど、あんたに急用できたとかって。ドアの前まで来て帰ったっつってたけど、違うのか?」
「女の依頼ってやつはあったけど……すんげえボロアパートの玄関とか」
「ああ? なんか微妙に話違うけど、それじゃねえかな。その女の今の男ってのが俺の知り合いで、そんで……つーか面倒くせえからそのへんはどうでもいいけどよ」
 チハルが告げた住所は確かにあのアパートがある辺りのものだった。
「玄関ドア開けたらもう帰っていいって言われて帰ったんだけど」
「何だよ、アキの奴寝ぼけてたんじゃねえのか?」
 チハルは前かがみになって煙草の灰を払いながらぶつぶつ文句を垂れた。
「そこで待っててくれりゃ行くって言ってあったんだぜ。確かに鍵は勝手に開けて入っててくれっつったけどな。あんたいるんだから要らねえだろって——電話ではあんたが都合よくなったらまた連絡するから待ってろって、それだけで」
 訳が分からないが、別に被害をこうむったわけでもないし、怒ることでもない。チハルも釈然としない様子だったが、無駄足を踏んだのは自分ではなくて哲なのだからどうでもいいと思ったのだろう。煙草を揉み消した。
 腰を上げたチハルに促され、別の入口から店を出る。チハルは階段室に向かい、重たいドアを開けた。チハルに続いて階段を下りながら、前回とは位置が逆だ、となんとなく思う。チハルも同じことを考えたのか、一瞬振り返って肩越しに哲に目をやった。
「アバラはもういいのかよ」
 一階分下りたところでチハルが訊いた。
「ああ」
 そう返すとチハルはふうん、と呟いて、その後はビルを出るまで黙ったままだった。