仕入屋錠前屋20.5-1 俺式四ヶ条

 事務所に戻って来た遠山は、どこからどう見てもヤクザには見えない涼しげな顔を僅かに緩ませた。
「とりあえず、押し込めてきました。若いの何人かつけてますから、逃げ出したりは出来ないはずですんで」
「ご苦労さん」
 中嶋はソファに深く沈んで欠伸をした。趣味の悪い——というのは自分でも分かっている——ブランドの花柄ネクタイはとっくに外され、これまた悪趣味な黒いシャツの襟は寛げられている。遠山は対照的にきっちり着こなしたシックなスーツ姿で、失礼します、と断ってから向かいに腰掛けた。
「どうしますか、あの男。バラして隠すのは簡単ですが──」
「いや、うちに損させた分はしっかり返してもらわねえと。あっちの工場は正直言って欲しいんだ。何も余計な汚れ仕事をすることねえよ。こうなったら言うなりにさせて、儲けてやるさ」
 中国の工場で密造銃を作っている山城という男が接触してきたのは一ヶ月と少し前だった。銃の質はあまりよくはなかった。しかし、最高の物でなくとも買い手はつく。
 最初はお互いご挨拶程度の取引のはずだった。しかし、何を思い上がったのか、山城は商品の半分に出来損ないを紛れ込ませ、代金を持って姿をくらませようとした。ついさっき当人を捕まえたばかりだ。
 真っ当でない人ひとり消すのは簡単だが、今回のことをネタに脅し、力ずくで傘下に入れてやるつもりだった。向こうに四の五の言わせない状況が出来たとなれば、逆にいい結果だったと言える。
「あそこにいた男、中嶋さんの知り合いですか」
 遠山の声で我に返る。
「ガキは知らねえなあ。残りは仕入屋と錠前屋だ」
 遠山は分かったのか分かっていないのか、不思議そうな顔をした。
「同業じゃあねえよ。まあ見りゃわかるだろうが」
「それは分かりましたけど……何か、見たことある気がするんですよ、あの背のでかい方」
 中嶋は考え込むような顔の遠山を眺めた。確か三十前後だったはずだ。こいつこそ見た目はヤクザ者にはまるで見えない。せいぜい水商売がいいところだろう。
 線の細い涼しげな容貌は、遠山自身の女房より余程穏やかそうに見える。もっとも人間というものは、必ずしも見た目どおりではないのだが。
「お前ずっとこっちが地元だろ? 年齢も近そうだし、どっかで見たことあるのかもしれねえな」
「そうですねえ。あの目の色だし、そうでなくても目立ちますし。飲み屋かどこかで見たのかもしれないです」
「どっちにしろあいつらには構うなよ。山城をこっちに渡す義理なんかねえのに連絡寄越したんだからな。まあ律儀なのかどうでもいいのか知らねえが」
「そういう中嶋さんも、理由なんかどうでもよさそうですよ」
 遠山はおかしそうに微笑んだ。煙草を取り出した中嶋に目敏くライターの火を差し出す。ダンヒルの金色のライターが、それだけ妙にヤクザ臭くて不釣合いだった。
「随分贔屓にしてるんですね」
「違うよ」
 中嶋は煙を吐き出した。遠山がテーブルの上の大理石を模した灰皿を差し出す。
「基本的に堅気に迷惑はかけねえ、約束は守る、やられたらやり返す、オヤジのために死ぬ時は死ぬ、これが俺式四ヶ条ってやつでな」
「堅気に迷惑かけてない極道なんてこの世に存在するんですか」
「だから単なる心構えだよ。基本的っつったじゃねえか」
「じゃあ何か約束をされた、と」
「まあな」
 中嶋は錠前屋の顔を思い出した。中々根性があるし、喧嘩もできて腹も据わってる。向こうにその気がありゃあ、手駒の一つとして是非とも手元に置いておきたい人材ではあった。だが、本人も、隣に立つ黄色い目の男もそれを許しはしないだろう。
「本当に必要なもんってのは、中々手に入らないもんだねえ」
「そんなこと言わないでくださいよ。俺がいるじゃないですか」
 わざとらしく軽薄な口調で吐き出された遠山の台詞に鼻を鳴らし、中嶋はソファから身を起こした。
「俺は帰るぞ。山城はちっと痛めつけて言うこと聞くようにしとけ」
「分かりました。お疲れ様です」
 四十五度のお辞儀を返す遠山の肩を軽く叩いて、中嶋はドアに向かった。
 高望みはしねえ主義なんだ。
 手に入るものでどれだけオヤジの役に立てるか、俺の人生はそれに尽きるよ、結局のところ。
 自分で車を出すのだろう、遠山が早足で中嶋を追い越していく。
 ろくでもない世界、ろくでもない部下、ろくでもない自分。だが、それを嫌ったことはない。今までも、多分これからも。
 事務所のガラス戸を押し開けると、夜明け前の薄明かりが空を薄青く染めていた。早くも車寄せに回された車から遠山が降りてくる。
 開かれた後部座席へ、中嶋は滑り込む。失うものも、得るものも何もない世界。 その中へ滑り込むように。