仕入屋錠前屋20.5-2 駆引きの世界

——山城はどうなるんだか。

 ナカジマと連れのヤクザに引っ立てられて行った気の毒な──心にも思っていなかったが、一応──男の行く末など、今の今まで気にしてもいなかった。しかし、哲がふと漏らした一言に、秋野は特に考えてもいなかったことを考えさせられた。
 哲とて別に心配して口に出したわけではなかろうが、言われてみればあの男はこれからどうなるのだろう。
「バラされはしないだろうが……」
 ナカジマの組も、山城の仲間が持つ密造銃の工場を押さえられるものなら押さえておきたいに違いない。
「せっかくできた繋がりをあっさり捨てるほどの余裕は多分ないだろう」
 哲は頷き、秋野が身じろぐと微かに眉を寄せた。
「昔と違ってヤクザ同士の抗争なんかは減ったからな。そういう意味では、もはや銃は武器じゃない。ビジネスの手段だ」
 ナカジマというヤクザの一見穏健派然とした態度も、あくまでも外面でしかない。
 銃や刃物を持っていようがいまいが同じだ。刺青がないきれいな肌。パンチパーマに派手なシャツなんてとんでもない、ごく普通の会社員に見えるスーツ姿。例え身なりを変えたところで中身は変わらない。暴力を使わない分、陰湿になっている気もしないではなかった。それに今は、昔と違って堅気を食い物にするやつが——。
「……秋野」
 哲の低い声で滅多に呼ばれない名前を呼ばれ、秋野は物思いから引き戻された。
「何だ」
「何だ、じゃねえだろ、くそったれ。突っ込んだままべらべら喋ってねえでとっとと終わらせろ」
「お前が話を振ったんだろうに……」
 秋野は哲のしかめ面を見下ろして思わず笑った。どこからどう見ても上機嫌とはほど遠い。
 うっすらと汗ばんだ額に手を這わせると、首を振って逃れようとする。心底嫌そうな表情からも、間違っても戯れの拒絶ではないのは明らかだ。面白い——と言っては不謹慎に過ぎるか。
 およそ和らぐということを知らない瞳が、まるでリングの中で相対しているボクサーのように睨み上げてきた。基本的に笑顔でいることは少ない男だが、今は立派に不機嫌だった。今回は抵抗らしい抵抗もしなかったくせに、結局終始機嫌が悪い。
「お前、女とする時もそんな不機嫌なのか?」
 興味本位でつい口に出すと、哲は呆れたように秋野を見上げた。
「あのなあ、比べること自体が間違ってるんじゃねえか? 女とは嫌ならしねえし、大体、女はお前みたいにこっちの都合を斟酌しねえってことは……」
 普段より——多分、快楽ではなく苦痛によって——掠れたような哲の声に背筋がぞわりとする。最後まで言わせず唇を塞いだら、ひどく不満げな、縄張りを荒らされた犬のような唸り声が唇の端から漏れ出した。
「お前はしたい時にするって分かりやすい質なんだろうが、男女関係ってのはもっと駆け引きがあるもんじゃないのか」
「駆け引き、ってのは、俺には合わねえ……っ——痛えな、もっと気を遣え馬鹿野郎!」
「痛っ」
 真っ最中だと言うのに思いっきり顔を殴られ、何だか馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまう。
 まったく、色っぽいなんて言葉とはほど遠い。駆け引きの世界とも。
 人並みに背丈もあって筋肉の乗った硬い男の身体を下にして、血迷っていると本気で思う。思うが、それでも別に構いはしない。
「あー、もう早いとこ終いにしてくれ」
「お前が黙ればそうする」
「……ああ言えばこう言うな、お前」
「お互い様だ」
 今度は唸り声もすべて飲み込むように口づけた。両手で哲の頭を固定し、何度も角度を変える。差し入れた舌を噛まれ、錆の味が口のなかに広がった。
 触れようと伸ばす秋野の指先を邪険に振り払い、何に縋るわけでもなく投げ出された手足を潔いと思う。普段より少し潤んだ目と気だるげな表情。それさえなければそのへんを歩いているときと何ひとつ変わらない錠前屋。浮き出た頑丈そうな鎖骨に齧りついたら、今度は頭を殴られた。
 哲の食いしばった歯の間から漏れ始めた浅い息を聞きながら、駆け引きなど意味がないと重ねて思う。愛してなどいないが、この男のすべてが欲しい。喉から手が出るほど、衝動で何も見えなくなるほど。
 昂りも執着も苛立ちも、お前が持つもの、誰にも見せずその手の中に隠しているもの、すべて。

 何もかも掬い上げるから、そのまま差し出せ。この俺に。