仕入屋錠前屋29 ヨハネの再来 2

「いやぁーん、二人とも久し振りぃ~!」
 嬌声は、余りにも野太く、さすがに哲も笑うしかなかった。声の主は、今日は首周りにぎらぎら光るスパンコール付きの服を着て、その白い服のお陰でより一層膨張して見える。太っていると言うわけではなく、要はガタイがよすぎるのだ——オカマにしては。太くてごつごつした腕を哲に絡ませ、エリは濃い化粧の顔を綻ばせた。
 ヨアニスは、内心ではどうか知らないが、涼しい顔で笑っている。店内のオカマ達の熱い視線を一身に浴びて、どこ吹く風だ。さすが秋野の知り合い、どっか壊れてんのは類友に違いねえ。哲は内心感心しながらエリの太い腕を引き剥がした。
「暑苦しいな、てめえは」
「ひどっ。あんたって男は!」
「正直者なんだ、俺は」
 わざとらしく憤慨してみせるエリに構わず、哲はカウンターの椅子を勝手に引っ張り出して腰掛けた。
 エリに会うのは金を受け取りに来て以来だ。何度か耀司を通じて遊びに来いと言われてはいたが、ゲイバーで飲む趣味はないし、エリのでかい顔は嫌いではないが酒の肴にはいささか濃い。
 それが渋々アイーダに足を運ぶ羽目になったのは、このヨアニスと言う男のせいだ。ヨアニスはすっかり変貌を遂げたマサルくんに会う機会が今までなかった、というので、この機会に顔を見るのを楽しみにしていたらしい。
 それは別にいいのだが、秋野が仕事で案内できなくなり、日曜はバイトがない哲に白羽の矢が立ったということだ。
 そんなもん勝手に一人で行けばいいと思うのだが、要はそれを口実に哲をいじろうという魂胆が見え見えだった。耀司と言い手塚と言い、秋野の周りの奴らは余程あの男に頭が上がらないらしい。だからと言って哲をいじることで間接的に秋野をいじろうとするのはいい加減なんとかならんものかと思う。自分は猛獣使いでもなければ美女と野獣の美女でもない。実際のところ、誰よりもあの虎男を苛立たせて面白がりたいのは自分だと言うのが、いまいち理解されていないらしい。
「久し振りだねえ、勝」
「ヨアニス~! あんた何よ随分お上品っぽくなっちゃったじゃないのさ!」
「君は随分綺麗になったね」
「お世辞と冗談は限度が大事よ。むかつくわね、相変わらず」
 笑顔でそんな会話を交わす二人をぼんやり見ながら、哲は煙草を銜えた。ヨアニスはお土産だと言いながら紙袋をエリに渡し、説明を始めた。
 菓子だ何だと次々と袋から取り出される品物を見て、エリは嬉しそうな笑い声を立てている。そのエリが、急に振り返って口を開いた。
「ねえ、秋野は元気?」
「何で俺に聞くんだ」
「だって、あんたの男じゃないのさ」
 エリの台詞に、ヨアニスが目を剥いた。さすがに張り付いたお上品な笑顔がきれいに剥がれ、青い目を瞠って哲の顔を凝視している。哲は心底うんざりして煙草の煙を鼻から出した。
「違うって言ったじゃねえか。死んでねえって意味なら元気だよ、あのクソ馬鹿は」
「そ、ならいいけど。だってあたしが電話したら色々お説教されるんだもん」
「説教されちまえ、何時間でも」
「やあよぉ」
 嫌そうに言うエリの向こうで、ヨアニスが固まっている。まったく、またひとついらないネタを提供してくれやがった。哲はエリの広い背中を睨みながら、盛大に溜息を吐いた。

 

 呼び出し音が何度か鳴った後、明るい声が電話に出た。
「もしもしぃ?」
「お前は俺に何か言うことがないか?」
 ヨアニスの地を這うような声に、耀司はとぼけた返事を返した。
「元気?」
「……」
 続く英語の罵詈雑言に、英語は分かりませーん、と元気一杯の返事が返ってくる。ヨアニスは目頭を指で揉んだ。仕事中の耀司は格好は女なのだろうが、エリと違って仕事上オカマなだけで本当はただの男だ。そのせいか気を抜くと途端にいつもの口調に戻る。
「もう勝んとこ出たの? 会えた? あいつすげえことになってるだろ」
「まだアイーダにいるよ。勝は、あれだな、ある意味まったく変わってないな」
「まあね。胸もないしね、相変わらず息子もついてるしね」
 そういうことを言ってるんじゃないのだが、とヨアニスは言いかけて口を噤んだ。このまま耀司のお喋りに付き合ったら目的を見失いそうだ。
「それはどうでもいい。あいつのムスコに興味はない」
「あったらびびるよ、さすがの俺も。何? 何か用?」
 ヨアニスは、肩越しに振り返ってエリと哲を見た。カウンターの哲は腕に絡まるエリを邪険に振り払い、時に蹴飛ばしながら、渋々と言った感じでグラスを傾けている。案内は終わったとさっさと帰ろうとする哲にエリをけしかけ、何とか留め置くのに成功したところだった。
「アキと哲は何だ、そういう関係なのか? お前そんなこと一言も言ってなかったろう」
「あー……。勝がバラしたのか……。あいつ秋野にドラゴンスクリューかまされんな、絶対」
 耀司は電話の向こうでぶつぶつ呟いた。ヨアニスは壁に凭れて額に手を当てる。
「じゃあ、本当なんだな?」
「っていうかさあ……」
 耀司の後ろから一瞬音楽が聞こえ、また聞こえなくなる。店のドアが開閉したのだろう。耀司が階段を昇っているのか、靴が床を踏む規則正しい音がした。
「俺もちゃんと聞いたわけじゃないけど、やっちゃってるとは思う。多分。ていうか絶対」
「何を——と聞くだけ野暮か」
「お国の言葉で言えば——」
「いい、やめてくれ。聞きたくない。想像もしたくない」
 本当に眩暈がしてきたヨアニスの耳元に、耀司の諦めたような声が響いた。
「俺がお前に言わなかったのは、あいつら恋人同士、ってわけじゃないからだよ。なんていうのかな、執着はしてるみたいだよ、お互いにね。でもねえ、好き合ってるかって言うと、それが違うみたいなんだよね」
「好きでもない相手と何で寝るんだ」
「知らないよ、俺秋野じゃないもん」
 耀司はそう言いながら溜息を吐いた。
「俺も前に訊いたよ、好きじゃないのに何で、って。秋野は哲が欲しいんだってさ。で、骨まで食っちまいたいんだって。それって不健全だとは思うけど、それであいつが幸せなら俺はもうどうでもいいよ」
「——別にゲイに偏見はないが、アキがそうだったとは……」
「だから違うって。お互いに女のほうが好きみたいだしさ、まあじゃれあってるだけなんだから大目に見てやったら」
 ヨアニスは大きく息をついた。ゲイに偏見がないというのは、嘘かもしれない。今まではそう信じていたが、友人が同性と寝たと知っただけでおぞましく感じてしまうのは、自分も今まで嫌っていた偏屈で保守的な男に過ぎなかった、と言うありがたくもない証明なのかも知れなかった。
 心配そうな声を出す耀司と適当な挨拶を交わし、ヨアニスは電話を切った。別に親ではないから秋野の趣味をどうこう言う気はないものの、長年の友人の意外な嗜好には正直愕然とした。おまけに、こちらが一目で納得できるような相手——例えば男でも目が眩むほどの美貌の持ち主とか——ならともかく、哲はどこからどう見ても標準的な外見の、おまけにどこか剣呑な雰囲気の男だ。
 好きでもないと断言できる相手に何をそんなに執着するのか、ヨアニスにはさっぱり理解できなかった。それもどこにでもいそうな容姿の、気の荒いだけの同性など。それとも、それは単なる照れか羞恥の言わせる言葉に過ぎなくて、秋野は彼に恋をしているのか。
 ヨアニスは溜息を吐き、そして思い直して薄く笑った。まあ、お節介ではあるが、哲がどんな男なのか見極めてやるのは友人として当然の義務かもしれない。
 あの馬鹿が何を考えているかは知らないが——、ヨアニスは電話をジャケットのポケットに落として振り返った。馬鹿でも何でも、秋野は大事な友人であることに変わりはなかった。