君のすべて 3

「だって、お前坊主だったろ」
 桑島は曾山を上から下まで眺め、思わず言った。
 ビデオ屋のカウンターに座っている男、曾山は桑島の中学の同級生だった。曾山は確か野球部で、野球部といえば例外なく坊主だったから、桑島の中の曾山は常に坊主頭で思い出される。
 思い返してみれば、高校に上がってから髪の伸びた曾山を見かけたことがあった。すっかり忘れていたのはやはり中学時代の印象が強かったからだろう。
「ああ、中学んときはずっと野球部だったからな」
 そう言って笑う曾山は、桑島が覚えているスポーツ少年とは随分違う。ピアスも、身につけている服もいかにもしゃれていた。髪は長くも短くもなく、色もセットもそのへんの会社員という感じではない。
 当時曾山から感じた野球少年のお手本みたいなストイックな雰囲気はないが、かといって崩れているというわけでもなく、面影は確かにあった。
「いつもこんなマニアックな店に買いに来てんのか、諒。今時ネットでも十分見られんのに」
「違うっての。俺を何だと思ってんの、お前は」
「いや、別に恥ずかしがることないぜ」
 曾山はにやりと笑って腕を組んだ。頭上では相変わらず女優が大袈裟な声を上げている。
「そうじゃなくて、仕事だよ。お前、ここの店員?」
「まさか」
 桑島は正直なところいささか安堵して息を吐いた。職業に貴賤はないとはいえ、同級生がこんな薄汚れたエロビデオ屋の店員というのも何だか切ないと思ったからだ。
「そっか。じゃあ何、バイト?」
「いや、知り合いの店なんだけど、そいつが交通事故で足の骨折ってさ。出て来れねえっていうから月水だけ店番してやってんの。ボランティアじゃねえけどな」
「へえ……お前、変わってないね」
「全然分かんなかったくせに、よく言うぜ」
 苦笑した曾山は、基本的に昔と変わっていないように見えた。あの頃は今よりもっと硬い雰囲気を持っていたけれど、大人になったということなのだろう。
 投げ出すような物言いの割には面倒見がよく、意外に社交的で優しかったように思う。細いが背が高く、きつい顔立ちと相まって一部の女子には近寄りがたいと思われていたが、逆に一部の女子には酷く人気があったものだ。
 もっとも、本人は飄々としていて大して嬉しそうにもしていなかった。そのくせいつの間にかそのうちの一人と一緒に帰ったり——今と違って、当時はそれでも付き合っているとか言われてからかわれた——していたような気がする。
 坊主頭でなくなった今は更に女性の目を引きそうだ。成長途上だったからだろう、あの頃はきついという印象が先に立っていた顔はなかなか男前になっていたし、座っていても桑島より上背がありそうに見えた。
「で、何、仕事って」
「あ、そうそう——」
 この際、ここにいるのが旧知の人間だというのは都合がよかった。桑島の説明に頷き、曾山はカウンター代わりらしい合板をずらして桑島を店の奥のスペースへと呼び入れた。
「いいのかよ、部外者が入って」
「別に、大したもんねえし。パソコンに商品のデータベース入ってんの。オーナー自作のソフトでキーワード検索とかできるから、やってみっか」
「へえ、そうなんだ」
「ここのオーナー、元IT系なんだよな。店もソフトもどっちも趣味なんだとさ。まったく、羨ましいよな」
 曾山がパソコンの電源を入れる。立ち上がった画面にパスワードを打ち込む曾山の指先には迷いがなかった。本業が何か外見からは推測できないものの、少なくともまったくキーボードを触らないような職種ではなさそうだ。
「あー、けど、主演の女優とか分かんねえんだもんな」
「そう。一応この名前でなんか出るかな」
「ん」
「ググっても、もう全然更新されてない個人のブログとかがちょっとひっかかってくるくらいでさ」
「どれ——ねえな。大体、芸名が今も当時のままとは限らねえし」
「だな。そうなったらお手上げだよな、やっぱ」
 結局いくつかそれらしきビデオを早送り再生してみたがどれも外れた。なんだかんだと気付けば一時間以上経っていて、集中していたからか妙に疲れた。曾山は桑島とともに再三パソコンの前に戻ったが、ついには天井を睨み、黙り込んだ。
「あいつ、呼ぶか」
「え?」
「お前、店番しててな」
「は?」
「詳しい奴呼んで来てやるから」
 それだけ言って、曾山はあっという間にカウンターを跨ぎ越して出て行った。桑島は呆気に取られてカウンターの中に突っ立ったまま、ビデオの中の女優が上げる嬌声を聞いていた。

 

「何やってんですか」
 薮内はカウンターの中に座る桑島を見てさもおかしそうに頬を緩めた。
「店番」
「そんなスーツびしっと着た店番って、お客さん逃げません?」
「……実際一人逃げてった」
 曾山が出て行ってすぐ薮内から連絡がきた。たまたま近くにいた薮内がここに来るまでの十分の間に、カウンターまでやってきた客は一人。その若者はカウンター内の桑島を見て一体何だと思ったのか、すいませんすいませんごめんなさいと謝りながらDVDを放り出して走り去った。この店の売り上げには興味がないから別にいいが、それにしたって何だか悲しくなってしまう。
「営業なんだからセールストークしないと駄目じゃないっすか」
「話しかける前に逃げて行ったんだから仕方ないだろ」
「何と間違ったんでしょうね」
「知らないよ」
「取り敢えずクーラーは利いててよかったけど」
「寒いー!!」
 薮内の声にかぶせるように甲高い声がして、入口のドアが開いた。
「クーラー利きすぎ! 女の子に冷えは大敵なんだけどっ」
「女の子って歳かお前」
「あっ、言ったわね!」
 薮内と桑島が入り口の方に顔を向けると、濃い化粧にうず高く結い上げたロングヘアーの女と曾山が言い争いながら店の奥に入ってきた。女は化粧のせいで年齢不詳。胸が大きいのにやけに痩せていてちゃんと食べているのか不安になる。
「悪いな、諒……あ、お客さん?」
「いや、違う。こいつは俺の後輩」
「どうも」
 薮内には電話で事情を話しておいたので、特別説明は必要なかった。女は桑島と愛想よく微笑み会釈した薮内を交互に見て、薮内のことは上から下まで丹念に眺め回した。
「あの……?」
「結構いい男じゃない? ガキだけど」
「ガ……」
 薮内が絶句する。確かに、女は薮内とそう変わらないように見えた。
「二十代はみんなガキよ。退きなさいよ、邪魔ね」
 桑島は女の手の一振りで脇に避けられ、彼女のゴージャスな巻き毛とセクシーな香水の香りに気圧されて一歩下がった。
「さくらは昔AV女優だったんだとさ。それに、旦那がAV制作会社の社長やってるからすげえ詳しいんだ。心当たりあるっつーから」
「ご結婚なさってるんですか」
 思わず言うと、さくらと呼ばれた女性はパソコン前の椅子から肩越しに振り返り、冷たい目で桑島を見つめるとそう、と頷いた。
「あたしみたいないい女が独身なわけないでしょ」
 濃い睫毛とアイラインに縁取られた猫を思わせる目にじっと見つめられ、気付けば桑島は先程の客のように「すみません」と謝っていた。