ユズキクリーンサービス 4

「なあ、何してんだ」
 新海が訊ねたら柚木は何を訊かれているか分からないという顔をして、尻の下のソファを眺めてから新海に目を戻し、Tシャツとボクサーパンツ──因みにどちらも黒──姿の自分を見下ろして、もう一度新海に目を戻した。
「何って……眠ろうと思ってんだけど」
「それは知ってる」
「え? じゃあ何が訊きてえの」
「だから、眠ろうとしてんのに、そこで何してんだって。こっち来い」
 柚木はぽかんと口を開けた間抜けなツラで新海を凝視した。
 さっきまでの色っぽい顔とは大違いだ。そう思いながら、新海は柚木に近寄り、腕を掴んで立ち上がらせた。

 柚木がどこに住んでいるのか、新海は知らない。訊いたところで教えてくれるのかどうか分からない。だが、ほとんど部屋に帰っていないらしい、ということは知っている。というか、今日知った。
 発端は今日の仕事だ。
 珍しく早朝の時間帯、いつものように重装備の六人を積載して車を走らせた。新海が指定の建物の前にバンを寄せたら、すぐ近くに先客がいた。背が高めのワンボックスカーで、車体に花屋のロゴが入っている。外見もいかにも花屋という感じの若者が二人、建物の中から次々と観葉植物を運び出しては車に積み込んでいる。
 このまま車を停めていいのか分からずルームミラーで柚木を確認したが、何の指示もなかったので、問題ないのだろうと判断してそのまま停車する。後ろの面子は淡々とバンを降りて外に出て行った。
 本物の花屋なのか偽装なのか知らないが、覆面姿の男たちが群れをなして歩いていても一顧だにしないということは、どっちにしても普通の奴らではないのだろう。引き続き作業を続けた花屋はあっという間に去っていった。数時間後、クリーンサービスも、何の問題もなく帰投した。
 流石に早朝の仕事の後は柚木も新海のところには来ないだろうと踏んで、細々したことを終えて喫茶店に降りたら、ちょうど柚木に渡邉、岡本と志麻がやってきたところだった。
「あー新海さあーん」
 眉毛の薄い渡邉が犬のように寄ってくる。人懐こい渡邉は年齢も六人の中で一番下、二十代の半ばらしい。
「お疲れ」
「あ、持ちますよ」
 新海が両腕に抱えたコーヒー豆の袋の片方をさっと取り上げた渡邉は、先にカウンターにたどり着き、天板の一部を跳ね上げて新海を待った。気が付く性格というより、多分体育会系の下っ端だからだ。
「悪い」
「やーそんな! 俺下っ端っすから!」
 ほらな、と胸の内で呟き一人で笑う。
「え? なんすか?」
「いや、何でもねえよ」
「何すか、もう」
 そう言いながらコーヒー豆を下ろしている間に、柚木と岡本と志麻が並んでカウンターに腰かけ、口々に言った。
「渡邉、アイスコーヒー」
「渡邉、ホットコーヒー」
「渡邉、ホット」
「何すか! 何で俺! 新海さんここにいるのに!」
「下っ端だから」
 柚木がにやにやして言い、渡邉は口をとがらせながらも支度し始めたので、新海は煙草を銜えて腰を下ろした。岡本が加熱式の煙草を取り出し、柚木が紙巻を銜え、志麻は文庫本を取り出した。
「そういえば、今日花屋来てて思い出したんだけど」
 岡本が柚木に言った。
「代表んちのサボテン、まだ生きてんの?」
「……」
 志麻がちらりと柚木を見て、渡邉が手を止め、目を剥いた。
「まさか代表、またっすか……!」
「うるせえ渡邉。まだ死んでねえ」
「まだって! 瀕死!? 代表、もしかしてサボ子瀕死!?」
「違うっつの、てか勝手に名前つけんな。しかもだせえし」
「新海さん、サボ子はアレっす、代表んちの四代目サボテン」
 新海がぼんやり話を聞いていると、岡本が説明してくれた。岡本は柚木と同じくらいか、三十を少し超えたくらいの奴で、唯一柚木とタメ口をきいている。
「前に代表が知り合いからサボテンもらったんっすよ。部屋があんまり殺風景だっつって。そしたら代表、あっという間に枯らしちゃって」
「……サボテンをあっという間に枯らしただ?」
 思わず復唱した新海に岡本は両腕を広げて見せた。外国人のような仕草だが、岡本には何故か似合う。彫りの深い、しかし優男風の容貌のせいかもしれない。
 柚木が舌打ちして岡本を睨んだが、岡本は無視して続けた。
「そう。でね、あんまりだってんで、渡邉が贈呈したの、次を。そしたらそれがまたすぐ昇天しちゃって。それで、最初はもしかして部屋が事故物件なんじゃねえかって」
「植物って敏感っすからねえ」
 渡邉が横から口を挟む。
「そうそう。で、代表が引っ越したんで、今度は俺と石津が引っ越し祝いに贈ったんだけど」
「──枯れたのか」
「うるせえな! 俺んちの鉢植えがどうなろうがお前らに関係ねえし!」
 新海にまじまじと見られた柚木は不貞腐れたツラで言って、鼻から大量の煙を吐いた。
「仕方ねえだろ、留守がちなんだから」
「いや、それはあんたが女んとこ渡り歩いてほとんど部屋に戻んないからでしょ」
 岡本が呆れたように言って煙を吐き、渡邉がお待たせしましたぁと裏声で言いながらそれぞれの前にコーヒーを置いた。
「そうなのか」
 新海が岡本に訊ねた一瞬、柚木が新海に視線を向けた気がしたが、気づかない振りをした。
 別に柚木がどこの女のところへ通おうが、一緒に住んでいようが、新海に口を出す権利はない。だが、気にならない顔でやり過ごせるかと言ったらそれはまた別の話だ。
 岡本はコーヒーを啜りながら屈託なく笑った。
「代表はほら、新海さんみたいに男前っつータイプじゃねえけど……細身で薄っぺらいけど中性的じゃなくて、何ていうかなあ、あんなでかくはねえけどパリコレモデルとかみたいな感じでしょ。やーだからモテるモテる」
 そういえば、渡邉も柚木には女がたくさんいると言っていた。
「──そんなことねえよ」
「何謙遜してんの、あんたは。つーか実際女も寄ってくるけど、あんたも割と見境なく釣るよね」
 今度ははっきり新海に目を向けた柚木が気まずそうな顔をして、忙しなく煙草を吸いつけた。岡本は柚木から新海に目を移し、続けた。
「この人、どっかのこじゃれた店とかで隣に女の一人客が座って、ちょっとガード甘そうだったら、すげえエロい風で迫るんすよ。イチコロですって、女も。てか、俺、ドラマ以外で自分の女じゃない女に壁ドンして引かれない奴ってマジで代表しか知らねえもん」
「あーもういいって」
 柚木はアイスコーヒーのグラスを持って立ち上がり、カウンターから一番遠いテーブル席にどっかり腰かけた。ずっと黙っていた志麻が岡本を見て小さく溜息を吐き、文庫本とコーヒーを持って柚木の向かいに腰を下ろし、また本を読み始めた。
「あら、ご機嫌損ねちゃった」
 岡本は笑って肩を竦めた。
「志麻の溜息は?」
「あれは、俺に対して、いい加減にしろって溜息」
「はい、新海さんもアイスコーヒー」
 話の切れ目に渡邉がコーヒーを出してきて、話題は別のことに移った。新海は午後から用事があったので暫くしてから席を立ち、入れ替わりに堀田がやってきて、結局それ以上柚木とは話をしなかった。

「なあ新海、飯食った?」
 管理人室とは名ばかりの居室を覗いたのは柚木だった。背後に誰かがいるかと思ったが、気配はない。
「他の奴らは?」
「帰った」
「早えな」
 読みかけの本を置き、寝転んでいたソファから起き上がって時計を見たら、まだ九時前だ。なんだかんだと用事があるのか、それとも単にすることがないのか知らないが、大抵十時くらいまでは誰かしらが残っている。
「うん、なんかたまたまみんな早くいなくなったから、あんたと飯でも行こうかと思って」
 柚木はドアを開けて部屋に入り、壁に凭れた。
「用事あんならいいけど」
「いや、ねえよ。何食うかな」
 新海は立ち上がりながら呟いた。柚木は食が細くて、食うことにあまり興味を示さない。だから、何か食いたいものあるか? なんて気を遣ったところで、どうせ「何でもいい」としか答えない。
 柚木も自分に言われているとは思わなかったらしく、黙ってその場に立っている。新海は椅子──一応事務所なので、スチールデスクと事務椅子がひとつずつある──の背にかけてあったシャツをTシャツの上に羽織った。財布とスマホと鍵を掴んでドアに向かう。柚木は忠犬よろしくおとなしく待っていて、犬から渡邉を連想し、それから一瞬のうちに巡り巡って、岡本の話を思い出した。
「どこ行く──」
 興味なさげにいいかけた柚木に覆いかぶさり、荒っぽく壁に押し付け、柚木の顔の横に手を突いた。巷ではやりの壁ドンというのは、実は物凄く威圧的な体勢だと新海は思う。岡本ではないが、付き合ってもいない女にこんなことをしたら恐怖心を与えるだけだろう。
 柚木はほんの少しだけ驚いたような顔をしたが、恐怖心どころか新海が何か言う──する前に、新海の胸倉を掴んで唇を重ねてきた。激しく求めてくる柚木の唇を貪りながら、なんとなく考える。滅多に部屋に戻らず、サボテンすら枯らす柚木。それだけ面倒を見てくれる女がいるのなら、何でこんなことをしているのだろう。そもそも、柚木にとって、女と自分の違いは一体なんだというのだろう。
 新海は柚木の唇を甘噛みしながらゆっくりと身体を離した。
「新海──?」
「飯食うんだろ。行くぞ」
「……飯なんかどうでもいい」
 低く掠れた声で呟く柚木に、今すぐここでぶち込みたい。ぐらぐら沸き立つ腹の底の衝動を無視して、新海は柚木に背を向けドノブに手を伸ばした。
「どうでもよくねえ。行くぞ」
 背後から舌打ちがしたと思ったら思い切り尻を蹴飛ばされ、新海は危うくドアに額をぶつけかけた。

 近所の小さな居酒屋にいる間中、柚木はあからさまに不機嫌だった。例えばラーメン屋とか蕎麦屋でさっと済ませることもできたのにこんなところに来たのだから、当然と言えば当然だ。
 それでも新海を置いて帰ろうとはせず、のんびり飲みながらどうでもいい話をする新海に本日二度目の不貞腐れたツラで付き合い、料理にもほんの少しだけ手をつけていた。
 店には先に客が一組いたが、途中で出て行き新海と柚木だけになった。用でも足しに行ったのか、店の親父が奥に引っ込んだ隙に隣の柚木の顎を掴んで唇を奪う。
 親父が戻ってくる足音がするまでじっくり味わってぱっと離れたら、柚木はものすごい目で新海を睨みつけ、親父が戻るなり勝手に「お愛想!」と喚いて新海を笑わせた。
 ビルの上階の窓はすべて暗くて、明かりが見えるのは、点けっぱなしで出てきた二階の管理人室だけだった。
 ビルの入り口の鍵を開け、中に入って閉めたところで柚木の我慢がきかなくなって、それこそ壁に押し付けられた。
 柚木のほうが新海より背が低いから、残念ながら女も落とす壁ドンを体感することはできなかったが、エロい顔で迫られる、については体験できた。もっとも、女に見せるのはこんな顔ではないだろうが。
「何なんだよ」
 食いしばった歯の奥から声を押し出すように、柚木は新海の口元で呟いた。
「あんた、ひでえ──」
 両手で尻を掴んで柚木を引き寄せ、唇を塞いだ。すでに形を変え始めている柚木のものが脚に当たる。尻を持ち上げるようにして脚の間を腿で擦ったら、硬くなったものがひくりと跳ねて、柚木が甘ったるい吐息を漏らした。
「ほら、歩けよ──ここでやるわけにいかねえだろ」
 どうにか二階にたどり着き、ドアを開け、続いて入って来た柚木をドアに押し付けて身体越しに手を伸ばして鍵を閉めた。
 もはや噛んでいるんだか舐めているんだか分からないべたべたのキスをしながら柚木の服をむしり取るように脱がせ、首筋に齧りつく。思い切り歯を立てたせいか柚木が切羽詰まった声を上げ、胸の鳥の羽がぞわりと動いた。
 へたり込みそうになった柚木を抱き、また唇を重ねながらいい加減に後ろに下がったら、シャツを引っ掛けていた椅子に腰がぶつかり思わずよろけた。
 そのままひっくり返らないように重心を前に移し、椅子を押し退けながらバランスを取る。キャスターつきの椅子が飛んで壁にぶつかり、抱いた柚木の腰の後ろがデスクにぶつかった。思わず笑うと、半裸の柚木が変な顔で新海を見ていた。
「ああ、悪ぃ──いや、なんか、初心者みてえにばたついてっから、俺」
 そう言って、新海は柚木の耳元に顔を寄せて囁いた。
「──俺だって本当は飯なんかどうでもよかった」

 デスクに両腕をついて身体を支える柚木の中に、性急に押し入った。先端を飲み込ませただけの浅いところで何度か突いたら、柚木はもどかしげに頭を打ち振り、喘ぎに何度もつっかえながら、根元まで全部欲しいと懇願した。
「怖いんじゃねえのか」
 一応訊ねたら、見下ろす柚木の背中の筋肉が僅かに引き攣れた。
「でも──」
 微かな声は、デスクの天板と柚木の身体の隙間でくぐもり、どこか不明瞭だった。
「でも、何だよ」
 訊ねたが答えはなかった。答えなんかないのかもしれない。単なる反射だったのかも。
 徐々に深く押し入り、望み通り根元まで収めたところで身体を屈め、柚木の耳元に全部入ったと囁きながら勢いよく腰を引く。
「ん──新海、待っ──」
「心配すんな。まだこれからだろ」
「い、あ──あぁ……っ」
 抜き差しを繰り返す度がくがくと震えていた柚木の腕がついに崩れた。柚木の尻を割り、繋がった部分を拡げるようにして、更に腰を押し付ける。腰を掴んで中を捏ねるように抉り、抜ける寸前まで引いてまた穿つ。
 今までにないくらい奥深くを突いた途端に柚木が達して身悶えたが、構わず柚木が感じる場所を一層激しく突き上げた。柚木は男のもので深く貫かれて悦ぶ自分を恥じるかのように、デスクに額を押し付けたまま、艶めかしい声で啼き続けた。

 居酒屋でほとんど食わなかった柚木に温かい素麺を作ってやって、新海は煙草を銜えた。
 ついさっき表裏ひっくり返されながら散々新海に抱かれたデスクで素麺を啜る洗い髪の柚木を見ていたら、訊かないでおこうと思ったことがつい口に出た。
「なあ、何で自分とこに帰らねえんだ」
 柚木は素麺を口から垂らしたまま横目で新海を見て一瞬止まり、また食い始めた。
「──別に、女がどうこう言う気はねえよ」
 そう続けた後も柚木は黙って素麺を食い続け、ごちそうさまでしたとぼそぼそ呟いて、食器を下げに行った。
 このまま流されるのかと思ったら、戻って来た柚木はソファに腰かけていた新海の隣にどさりと腰を下ろして煙草を銜え、少し経ってから口を開いた。
「一人でいると、何も考えねえから。だから誰でもいいから誰かといたくて」
「……色々考えるから、じゃなくて?」
 一人でいると色々考えてしまうから一人でいたくない、という話はよく聞くが、逆は初めてだ。
「うん」
 柚木は頷き、右手で煙草を摘みかけ、動かなかったのか、顔を顰めて左手の指に煙草を挟み天井に向かって煙を吐いた。
「それは俺も同じような気がするけど。することねえと一日ぼーっとしてることもあるぞ」
「いや、そういうんじゃなくてさ」
 柚木はちょっと笑って煙を吐いたが、それはおかしいから笑った、という顔ではなかった。どこか自嘲めいたそれは、柚木の顔を驚くほど荒んで見せた。
「ほんと、何も考えらんねえの」
「よく分かんねえな」
「何ていやいいのかなあ。息してるだけの、ただの肉の塊になっちまうっつーか」
 軽い口調で口にされたそれは、比喩としては特別どうということもない。だが、柚木の商売のことを知っているからか、それともその目がひどく暗かったからか、新海のうなじの毛がぞわりと逆立った。
「食うのも眠んのも忘れんだよね」
「……」
「岡本はああ見えて意外に気ぃ遣いだから迷惑かけるし、渡邉はやかましいから俺が無理だし、石津は女と住んでるだろー、あと堀田は一人暮らしだけどしょっちゅう女くるから一人とは言えねえし、そしたら志麻くらいなんだよなー、泊めてもらうっつっても」
「そうなのか」
「志麻は俺がいてもいなくても変わんねえから、泊めてもらっても楽なんだけどさ。でもマジで存在忘れられちまうことがあって、この間も便所から出たら何でいるんすか! とか言ってすっげえ驚かれてこっちが驚いたわ。まあどっちにしたっていつもいつも志麻んとこ行くのもどうかと思うしな」
「だから女んとこ」
「うん」
 柚木はまたこくりと頷いて、まだ長さのある煙草を灰皿に放り込んだ。
「あちこちね。決まった女はいねえから」
 それだけ言って立ち上がり、柚木はバスルームへ消えた。歯を磨く音がし始める。新海も煙草を揉み消し立ち上がり、散らかった服やら何やらを拾い集めていたら柚木が戻ってきた。ベッドの上に出してあった枕を取ってソファへ行く。確かに、今まで柚木を泊めるときは、そうだった。
「なあ、何してんだ」
 新海が訊ねたら柚木は何を訊かれているか分からないという顔をして、尻の下のソファを眺めてから新海に目を戻し、Tシャツとボクサーパンツ──因みにどちらも黒──姿の自分を見下ろして、もう一度新海に目を戻した。
「何って……眠ろうと思ってんだけど」
「それは知ってる」
「え? じゃあ何が訊きてえの」
「だから、眠ろうとしてんのに、そこで何してんだって。こっち来い」
 柚木はぽかんと口を開けた間抜けなツラで新海を凝視した。
 さっきまでの色っぽい顔とは大違いだ。そう思いながら、新海は柚木に近寄り、腕を掴んで立ち上がらせた。
「ちょっと、新海──」
「ここで寝ろ」
「え、でもそしたらあんたどこで」
「馬鹿、お前をここに寝かせて俺が他所へ行く必要がどこにあんだ」
 新海は柚木の肩を押し、ベッドに腰を下ろさせた。見上げてくる柚木の顔は普段と何も変わらないのに、何かが剥き出しになっているように見えた。柚木が抱えるがらんどう。それが、目の前にぽっかり口を開けている。
「何も考えなくていい」
 柚木がゆっくり瞬きする。己が空っぽだと嘆く、決してうつろではない瞳が。
「眠るのも、食うのも、忘れたら俺が言ってやる。サボテンも俺が面倒見てやるから持ってこい。女んとこでお前が安らぐってんならそれでもいいけど、そうじゃねえときは」
「女で済んでたらあんたに頼ってない」
 遮った柚木の口調は腹立たし気で、だが、どこかに弱さも仄見えた。
「……女とあんたは同列じゃない。それなら最初から、何かいれてくれなんて俺」
「柚木」
「歯止めが利かなくなりそうで怖え」
 言葉を探しあぐねるように視線を宙に彷徨わせ、柚木は傷のある右手を伸ばして新海のスウェットの脚に触れた。
「あんたに全部──」
「言ったろ、お前が破けちまうまで俺を詰め込んでやるって」
 新海は身体を屈めて柚木の頭のてっぺんに口付けた。
「無理に女引っ掛けてついてくくらいなら、そん時は俺んとこに来い」
 柚木はそれ以上言い募ろうとはせず、暫くしてから小さな声で、眠てえ、と呟いた。

 二日後、柚木がサボテンの鉢植えを持って喫茶店にやってきて、サボ子は殺しちまう前に新海に預けると宣言した。
 渡邉は「サボ子が救われた」と胸を撫で下ろし、堀田と石津は笑い、志麻は小さく頷いた。岡本は少し考えるような顔で新海を眺めていたが、よかったね代表、と言って、優しく笑った。